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  • 2024.01.09 Tuesday
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ありがとうウメタロウ、そして猫たち



■1■このようなことは先延ばしにすると、自らの心の中でややこしくこじれやすいので早々に記しておこう。今日の昼過ぎに家に電話があった。愚妻が出たのだが、私は犬猫病院からだなと思った。案の定、入院中の黒猫ウメタロウが今さっき他界したという知らせだった。…愚妻も私も特に取り乱すことはなかった。

■2■なぜ野良猫だったウメタロウが当家に来たのかについては、すでに何度か書いているので簡単に記す。一昨年の夏、12年間マンションで内飼いにしていた2匹の兄妹猫のうち、兄の黒猫が私の不注意でいなくなった。散々探してようやく1か月後に黒猫を捕獲した。後日、誤認捕獲と分かった。それがウメタロウ。

■3■そうこうしている内にまた連絡が来た。「事故にあって動けない黒猫を保護しているが、おたくのではないか?」毛布にくるんで即座に入院させた。退院して家に来た黒猫も別の野良猫だった。これがモモノスケ。再放逐もできず、2匹とも去勢して面倒を見ることに。2匹とも猫エイズと白血病共に陽性だった。



■4■今でも野良猫の平均寿命は僅か数年だ。飼い猫の寿命は20年を超えているのに。2匹とも最初は牙をむき、人間には慣れる素振りを見せなかった。何度私も血を見たことか。やがて慣れて甘えるようになった。しかし糖尿病を始め様々な病気になっては交互に入退院していた。そして去年の暮、モモノスケが他界。

■5■猫の糖尿病は複雑で難しい。ウメはいつも栄養吸収できずに細胞がいつも餓えていた。医者に連れていかなければ分かっている限りで4度、確実に死んでいるはずだった。そしてその49日に当たる今日、ウメタロウも様々な要因からついに戻らぬものになった。1つ大きな波が終わりフェイズが変わった気がした。



■6■ここ数日、愚妻と共に午前と午後の2度面会に行っていた。実は今朝も9時過ぎに会いに行き、横たわったままだがいつになく元気で、私たちを見て嬉しそうに鳴いた。もう元気で家に戻れないと分かった。いつも愚妻は頑張れと励ますけれど、私たちのためだけに無理して頑張らなくていいんだよと心で言った。

■7■それからわずか数時間後に、病院から電話があったのだ。午後の見舞いには今日は来れないと知っていたはず。明日の午前9時までの時は遥かに長い。モモノスケとウメタロウ、野良で無縁同士の2匹の黒猫が、兄弟のように仲が良かったことを思い出す。吊り上がっていた目が、愛らしい優しい目になっていた。

     

■8■生まれた時からほとんどすべての時間、身近に猫がいた。大人になってからは、できることは惜しみなく接してきたので、猫との別れに悔いや禍根は残っていない。理性的にはいつもそうだった。しかし無意識と意識のあわいのあたりから、吐き気がして嘔吐しそうなのを、ぐっと堪えているような感覚があった。

■9■先日横浜で話していたウニヒピリを想起してみた。愚妻が仕事に出かけた後、家で明日動物の葬儀をしてくれるお寺に連れて行くまで、通夜の真似事のように部屋に安置する場所を作りながら、気が付いたら涙が止まらなかった。悲しいとか後悔とか悲嘆の涙ではなかった。これがいわゆる一人ウニ祭りなのか。

      これはもものすけ側からみたうめたろうの画像

■10■もう毎日絶やさず注射を打つことも、提示に定量の餌を与えねばならない縛りはなくなった。私の2013-2014年問題。私には自分自身の激痛を伴う大変換はないと決めていたけれど、代わりに思いもかけない猫たちとの関係の激変があった。身代わりだと思っている。感謝と共に、今次のフェイズに進もうと思う。

■11■私のウニヒピリは私自身に対しても多分優しいのだろう。ひとくされ心地よい涙の爆流の後には、悔いも禍根も、感情的な捩れももう何もない。また思い出せば涙ぐみはするかもしれないが、それはただ優しい記憶の残響なのだ。忘れはしない。ただこれだけは言いたい。「ありがとうウメタロウ、そして猫たち」













 

デジャ・ヴュ(既視感)もジャメ・ヴュ(未視感)も


■1■二而不二とはまた違う、2元論的発想をはみ出した1と2について。「初めて」と「2度目」の違いは自明である。しかし例えば初めての遭遇と2度めの遭遇の場合、後者は初めての「初めてでない」遭遇だということ、つまり未知ではなく初めての既知であるということだとはあまり意識されていない。
 
■2■これは「初めての2度目」問題として何度か語っているが、私たちの意識は未知と既知を常に明確に2分別しているわけではなく、それらの間の不明瞭な部分を過去の記憶や推量で、意識側からすれば自動的に判断しているのである。既知を未知なるものと認識し、逆に万物を初見と解釈することもある。
 
■3■デジャ・ヴュ(既視感)という言葉がある。実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じるあれのことだ。最初は統合失調症その他の精神疾患や記憶の混乱、または超心理学的な予知夢の枠で語られていたが、現今ではむしろ健常人が持っている一般的な感覚である。
 
■4■この言葉に対してはジャメ・ヴュ(未視感)という言葉がある。日常見慣れていたものたちが、初めて見た未知なるものに感じられるという感覚である。これもまた一過性の記憶障害や精神障害の際に現れる症状という括りで語られるが、常人の覚醒意識でも世界が刷新されたように見えるケースがある。
 
■5■これらは1度目なのか2度目なのか、それとも幾度もあったことなのだろうか?それとも未だ生起していないことなのだろうか。数私たちの外部のみでなく、中にも存在する。私たち1人1人の内と外の数の相互作用において数得るという行為は立ち上がる。自分自身の明確な意識で数を数えていきたい。
 
■6■私とあなたの1と2が異なることもある。それらの差異と相似を良く認識し合いながら数を数え始めなければ、全ての数認識が泥水の中でなされてしまう。初見と再見、デジャ・ヴュとジャメ・ヴュ、あなたと私、1と2を対語としてでなく、また泥水の外でうまく重ね捉えながら、数を数えて行きたい。












 

『ナウシカ』と『アキラ』と今現在


■1■マンガの宮崎駿の『風の谷のナウカ』と、大友克洋の『アキラ/AKIRA』について考え直してみたい。何を今さらではあるが、それでも敢えて今改めて…なのである。若い子たちはまだ生まれていなかった時代のことではあるが、この2作品はまるで申し合わせたかのように、ほぼ同時期に描かれ完成を見ている。



■2■共に作者自らの手で、マンガとは異なる話としてアニメーション映画化され、共に高く評価されている。アニメ化のためだけでなく、作品のテーマの深化や行き詰まりなどから、何度か連載の中断期間を挟んで、単行本での加筆なども加えて完成形体を見たのは、共に1990年代前半である。時はすでに平成時代だ。



■3■両作品ともテーマの呼応や対称性を内包し、作者個人の意識を大きくはみ出した様々な予言的局相も孕んでいる。『ナウシカ』の大海嘯のイメージは東北大震災の時の津波によってより現実感を抱かせられ、また『アキラ』の舞台は、現実と同じ2020年の東京オリンピックを翌年に控えた2019年のネオ東京である。



■4■ペンタッチはある意味対極的だ。初期の手塚治虫をほうふつとさせる、『ナウシカ』の柔らかくて丸くメリハリのある線に対し、『アキラ』のそれは無機質で精緻で冷たい。絵柄は異なれど共に細密で、奥行きのある世界を描いている。どちらもカメラの位置を念頭に置いた躍動感のある画面で、情報量は多大だ。



■5■『アキラ』の覚醒によって壊滅していくネオ東京の超高層ビル群の倒壊や、『ナウシカ』の大海嘯や首都シュワの攻防戦による天の火の爆裂による地上物一切の溶滅など、大団円における圧倒的な破壊と混沌が描かれている。またどちらも米国映画のような定型の家族愛や絆は希薄で、重要な拠り所とはならない。



■6■以前は旧態然とした世界観として捉えられていたシャーマニズム的な世界観も、自然かつ重要なものとして織り込まれている。『ナウシカ』では相互の慈敬からテレパシックな意志と情動の感応や増幅が自然に描かれ、『アキラ』では神道的な呪術も、薬物や脳研究、電脳と渾然一体の超能力として描かれている。



■7■アセンションとか空中掲揚などという言葉が陳腐に感じられるほどに、『アキラ』では超絶的な異能力で空中どころか衛星軌道にまで飛翔しているし、『ナウシカ』では宮崎駿独特の造形によるバラエティに富んだ飛行機器群による飛翔感覚は途切れない。見えない世界を見えるようにするという表現がよくある。



■8■この2作は、安定しない霊視やいつ訪れるのかも分からない啓示ではなく、圧倒的な画力とテーマと世界観を内包する作品として可視化・物質化され、私たち自身は元より次の世代にまで影響力を与える物語となっている。一方の作品に深く共感を覚え、自分自身の生き方や世界観を見出している人もいるだろう。



■9■願わくばこの片方だけでなく、ある意味で双璧を成す両作品共を、ぜひ現今のこの時代に、時間を作り出して改めて通読してもらいたいものだ。そして単に通読するだけでなく、過去何十年かをこれらを1つの支点として、未来に反転展開していけたら良いのだが。…いやこれは個人的な老婆心に過ぎないけれど。












 

一寸先は光


 
・犬も歩けば光に当たる

・身から出た光

・嘘から出た光

・泣きっ面に光

・目の上の光

・臭いものには光

・年寄りの冷や光

・頭隠して光隠さず

・楽あれば光あり

・論より証光

・光を見たら泥棒と思え

・焼け石に光

・わざわい転じて光となす

・ひょうたんから光

・猫に光

・生兵法は光のもと

・泣き面に光

・残り物には光がある

・馬鹿と光は使いよう

…いかん、眩しすぎる。光だらけだ。光を闇に葬ろうとしても、闇が光になっちまう〜。












 

4月の「れつまろ」先行自己リーク


 
■24,25日の横浜合宿「あにまろ」イベントも想像以上に盛り上がって26日までかかっての無事終了をみました。参加者の人々、遠くから見守って下さった方々、どうもありがとうございました。またあにまんだらさんとはぜひ「第2回」もやりたいと思っています。あの先がぜひ見たい聞きたい身に付けたい。

■ところで最終日に妖怪博士甲田烈氏と相澤さんと打ち合わせして、4月25、26日(土・日)に、やはり横浜の阿修羅企画で「愉快な界面フィールドワーカーズ・れつまろ」(仮称)を合宿形式で敢行することになりましたので、先ずは先行自己リークです。ちょい先の話だけれど、小耳に挟んどいて下さい。
 
■ずいぶん前には、占星術師るしえる氏、妖怪博士甲田烈、ドリームスペラー小野満麿(=痴性体トーラス)の3人で旅芸人モードで車に乗って各地を回った時は「れっつとらしえ」とネーミングしていました。今回は動物世界に超詳しいあにまんだらさんだったので、アニマルもかけての「あにまろ」でした。
 
■ましましさんとの会津旅では、語感がふわふわとおいしそうなので「ましまろ」としました。それにしてもこの烈アンド麿は、まだあまり意味と音が美味く練りこまれていませんね。2回にわけて「上・下」とかしたら、2回目は「ゲレツマロ」でお下劣になりかねない(笑)。みんな単なるダジャレセンスです(^^)。












 

ダダ漏れ画像リーク:雑魚寝

       

■これは1泊2日の全行程が終わった後の、なぜか2泊目に突入した夜中過ぎの絵づら。楽器もないのに、笙の笛代わりのほらを吹き、太鼓の代わりに太古の無駄口叩く、謎の「雑魚寝五人囃子(ざこねごにんばやし))。他にも雑魚寝したメンツはいるけれど、確かにこの人たちではおとなしく眠るわけがない。

■この絵づらそのものが「1,2,3,4…そして5イコール新しい1」的なペンターブシステムっぽくなっている(笑)。ちなみに私が横になっているのは施術台。この上で8種類のアロマによるマッサージをしてもらい、元気な私。この後私は寝たけれど、他の面子は結局朝方まで語り明かしたらしいなり

     

■ましましさん、すでに軽く眠りの領域に。時はすでに丑三つ時。烈っつぁん、スポットライト当たっているし、何かとても楽しそうに見える。何か別の世界を垣間見ているのではなかろうね。それにしてもここのホットカーペットのおかげで、横になるだけでとても気持ちがよかった。場も大切なんだよね。

(撮影:鈴木寿美子)












 

背面ハグは人間クダクラゲ?



■1■横浜あにまろ合宿2日目のイベント終了後に、創出者のましましさんを筆頭に、残った全員で「背中ハグ」をやった。背中合わせで床の上に座り、背中をまっすぐ立ててお尻から無理なくぴったりつけて、軽く寄り掛かり合う感じ。後頭部を軽くつけてもいい。足は延ばしてもいいし胡坐をかいても良い。

■2■目に見えない状態で他者と背面のほぼ全面で触れ合う感触は、概念や知識として知っていても、ほぼ何も分からないままに等しい。これは先ずやってみてなんぼの世界である。一人きりで自分自身を抱きしめることはできる。でも当然ながら背中ハグは一人きりでは不可能だ。でも多人数でもできるのだ。

■3■あにまんだらさんの話で、多数の小さい個虫が集まって1つの生命体を成す群体生物の一種であるクダクラゲというものが出てきた。捕食・遊泳・生殖など様々な役割分担があり、個虫が協働して全個体即一、一即全個体という、何か哲学的テーマの1つでもあるような生物だ。最大50mのものもある。

■4■背面ハグをしながら両足を伸ばした姿勢で、その2人の両足裏に3人目と4人目が足の裏ハグすることができる。さらにその背面に新たに別の者が背面ハグをして、まるでクダクラゲのようにどこまでも連結することができる。足裏ハグもまた、土踏まずまで重ね合わせてみるという未知なる体験領域だ。

■5■足裏ハグは面と向かって顔を合わせてはいるが、足2人分離れているので近すぎるということはない。しかし実際は足の裏で接しているのである。背中も足の裏も、服や靴下を通して温かくなるのみならず、明らかに様々に交流している。前後の人だけ以上に繋がって、搾取することなく流れているのだ。

■6■何組かやるだけで、明らかに場が静かになる。日本の諸動作のように、気が下方に落ち着いていくのだ。落ち着いて温かくなり、血行も促進されるので、まるで温泉に入っているような感覚がする。心地よくてずーっと続けてしまいそうだ。誰かに負担がかからぬように時間を決めて置く方がよさそうだ。

■7■顔見知りの人でも背中合わせの感覚はなかなかない。親しい中でも赤の他人でも、正面での関係とはまた異なる感触を味わえるだろう。声や呼吸や笑いの振動を背中で感じるのも面白い。ちょっとした内臓感覚だ。広い場で多人数だと、大きな輪になることもできる。さらなる発展形紹介は後日にしよう。












 

明日の「あにまろライフIN横浜」へのフライング



■明日1月24日の横浜での話の出だし部分を考えていた。まあこんな感じて入ろうかと思って書き出してみた。例によって140字で8段落になった。でもそれを読み直してみて、なんかもうこれはこれでひとつ終わっているから、当日話さなくてもいいかなと思った。でもただ捨てる前に晒してもいいような気もする。

---------てことで、以下は架空の挨拶(笑)-------------


   20150124 ■挨拶からイントロへ

■横浜は都会です。私はちょうど21世紀から名古屋に引っこんで、もう今やめっきり田舎者。もはやいつもぼーっとしている「昼行燈」状態です。この昼行燈、夜な夜な猫が油を舐めにくる。妖怪かというとそうではなく、私が昼間、ネット上で油を売ったり顰蹙を買ったりする変な商売の残り物を舐めにくるんですね。

■トゲトゲのあるあの舌でショリショリ舐められている。そんな私でも、ネット上でいろいろ書いていると、一部にファンが付くんですね。いい世の中です。昼行燈のファン。アンドンファン。ちょっと韓国スターのような響きもあります。本当は満麿というレアな名前です。調べたら同姓同名は一人もいないようです。

■さて今日は太陽・月・地球の3体問題を話します。ああそうそう、行燈といえば、実は太陽に近いんですね。視覚の3要素的に言えば、太陽は自分で発光し、月は反射し、地球はそれらを観測する。観測するものがないと存在も意味もありやしないです。私はkin140:黄色い惑星の太陽という銀河の署名を持ってます。

■140と言えば、Twitterの最大文字数ですが、私はこのところずっと140文字ぴったりでしか文章が書けないという病を患っております。21世紀の奇病で、とてもレアです。まあ私のことなどはどうでもいいのですが、家の油を舐める黒猫。こいつがすでに3度死にかけ、実は4回目の今わの際を病院で彷徨っています。

■4回三途の川を渡りかけた時点で、三途も四途の川になりました。スフィンクスの謎かけに「朝4本で、昼は2本、夜は3本で歩くものは何か?」というものがあります。オディッセウスに「人間」と答えられて絶望して死んじゃうんですが、私なら「哺乳類」と答えたいところです。ようやく進化テーマに入ります。

■例外もありますが魚類や爬虫類や鳥類は、色覚細胞の光受容体が4種類あります。つまり4原色で世界を見ているんです。ところが哺乳類の先祖は夜行性で、2色が退化してしまった。巨大爬虫類などが死滅してから、再び赤の帯域から緑認識が分かれて、今の人間は3原色。その組み合わせで総天然色としている。

■つまり進化の過程が4−2−3というわけです。1つ前のザックジャパンが採用していた4−2−3システムを連想する人もすでにレアでしょうが、私は4:2:3というと、水星の会合周期の116日、自転周期の58.5日、公転周期の88日の比を連想してしまいます。この基本の1は後で見る月の朔望周期29.5日です。

■ということで、『太陽系トポロジー』の全てを見ていくには時間がなさすぎますが、単なる月が地球の衛星であるだけでなく、内惑星の各周期たちと、そして外惑星たちとも見事に呼応しているところを、「月・地球・太陽」の分かちがたい3つ組の絶妙至極な関係と在りようについて見ていくことにします。さて…。

(とまあ、話が始まる直前で終わっているわけですね。ということで、明日はこの先から始まります。)
内容に関してはこのことです(^^)。

「反転」について考えてみる(4)



■1■反転界面は人生の至るところにある。しかしそれを上手く超えていかなくては「閉じてはいるが無限」な宇宙の中で、同じパターンを繰り返す。これは横浜のあにまろ合宿でも少し話をした内容だが、「呪術」は呪術師だけが用いるものではなく、またその技や術も過去からの智慧を用いるだけではない。

■2■ニューメキシコのズニ族の話。12歳の少女が少年に手を握られた後、ヒステリー発作を起こした。少年は呪術を使ったという嫌疑で聖職者の裁判にかけられる。無実が晴れないので、少年は人間を狂わせる薬とそれを快癒させる薬をでっちあげ、自作自演で錯乱した後治ったふりをした。儀式創出である。...

■3■彼は少女に偽薬を飲ませて快癒を宣言した後遁走した。しかし翌日再度捕まって裁判にかけられたので、彼は先祖伝来の呪術的な羽根で変身できると新しい作り話をする。自宅に連行されて、彼はその在りもしない羽根を探すよう命令される。散々探しまわるが、壁土の中から偶然一片の羽根を発見する。

■4■創作神話が現実化したのである。やがて少女は投薬により治癒し、聴衆は少年を釈放させたのである。少年は語るにつれてその自らの劇的な演出(役割、操作、儀式)に情熱的に没頭して行き、最後はそれにより聴衆も含めた世界を征服したのだ。嘘から出た真以上に、ここには呪術の本質が潜んでいる。

■5■カナダのクワキトウル族の話。シャーマンの力に懐疑的な男が、その世界を調査するために擬装的に仲間入りをした。トリックも含めた様々な技や智慧を体得しつつ、彼は自らも治療に参加してしばしば成功を収める。やがて彼は近隣のコスキモー族の老シャーマンと病気治療の験術を競うことになった。

■6■彼はこれに圧倒的な勝利を得る。ライバルには直せなかった患者が、彼の術で正常に回復したのだ。最も動揺したのは、シャーマニズムに懐疑的精神を持っていた彼自身だった。負けた方の老シャーマンは後日発狂してしまう。だが彼自身は自らの懐疑精神を反転させて大シャーマンに変身するのである。

■7■これは現在スピ系として括られる様々な施術者・導師・占朴者・異能者・霊能者等についても言えることだろう。学んだ知識や技術だけで事に臨むことの限界。そして無意識的に湧き出た新しい方法や言葉が、想像を超えた新しい現実を創り出し、驚きと共に自らがより高次の領域に反転するという経験。

■8■必要に迫られて、自らも巻き込まれて状況の激流の中で意識していなかった新しい領域に到達する。これもまた呪術そのものの重層的な立ち現れであろう。ただ技術や秘伝を使うのではなく、自らもその一部となって大呪術者になるのだ。治癒と大呪術者になることとは因果や二元的世界観では語れない。

■9■自我の「意識」は自我の外を認識できない。ましてやそこに能動的に関与することはできない。意識は生起することの反応として立ち上がる。しかし「意志」は物事を生起させ、その外を内と関連付けて意味を見出し、価値を与え見る。日々の生活自体の中に呪術的な「反転」は無数に起こせるのである。

)ズニ族とクワキトウル族の話は『日本人の霊魂観』(山折哲雄 著) を参照しました。















 

「反転」について考えてみる(3)



■1■単位円(unit circle)とは、半径が1の円のことだ。座標幾何や複素平面的な表現として、ヌーソロジーなどでも用いられる。これはn次元の球面という概念のn=1 の場合という意味で、S1とも表される。しかし難しそうな話はしばし横に置いて、この閉鎖した単位円の外をイメージしてみたい。

■2■太古の海の中で、一方が親水性もう一方が親脂性の分子が連結して2分子膜となった。やがて親水性側を内にして球体に閉じて液胞になり、初めて内と外を分割した。これが連結複合して単細胞・多細胞となり、やがて海という外界を反転内包して陸に上陸する。後に哺乳類はさらに海を子宮に内包する。...

■3■比喩的相似に過ぎないが、この外を内に反転して内包するということは、逆に内を反転すれば外に対応するということだ。物質や肉体としては目に見えないけれど、の内外分割の進化過程の上位にこの自我殻も連結するだろう。個々人の環世界は、この自我殻を介して反転対応する領域の集合体でもある。

■4■円周を鏡面として反転幾何学的な対応を想定すれば、中心点である原点を通るか通らないかで変換の仕方が異なる。この特異点に対応するのが、平面上の全ての直線上に載っている唯一の点の「無限遠点」ということになる。全ての直線は無限遠点に通じる。生命の源と自己中心は全方向で連結している。

■5■子供のピュアな発想で「宇宙の果ての外側はどうなっているの?」という問いに対して、「この宇宙は閉じていてしかも無限である」と科学者が解説する。しかし大人になって改めてツッコミを入れよう。「それは在るともない無いとも言えない外側についての答でなく、分からないことの言い訳ですよね。」

■6■「広大無辺の宇宙」と力んでも、「自分にとっての全世界が自分」と小悟してみても、太古の海で2分子膜が自然に閉じた液胞にしても、他者と別枠の自我にしても、もうずるずるに内と外が繋がっていて、ミクロマクロ分別も一種の幻想。単位円の内と外の反転対称性を分かりやすく示せたらいいのに。














 

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