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  • 2024.01.09 Tuesday
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ミシャクジ信仰のさらに奥に

 

■1■現在の神道・古神道的な神話層の奥に、今でも歴然と存在するミシャクジの問題は、胎盤と胎児の問題まで含有して余り有る。胎児由来の胎盤は、胎児が反転してこの世界に生れ出た途端、本来この世界のものでない在りようとして生滅していく。そしてそれに守られていた胎児と異次元で繋がりを保つ。

 

■2■胎盤を被って生まれきた子には特別な力があるという考え方が、芸能・職人世界においては現世ならぬところと繋がってものを産み、ことを創る領域との繋がりとして、この列島では今でも存在し続けている。これはどちらが先と言う話ではなく、世界卵とミトラ神の原初神話とも繋がると見てとれよう。

 

■3■個人的には記紀の内容には殆ど重きを置いていないのだけれど、それらの履いて後にある諸々の操作を差し引いた後に残る文献学的な意味と価値までは無視しない。しかしたかだか2千年にも遥かに満たない文言のみに、余りにも大きな重きを負わせ続ける現今の諸アプローチのみが正しいわけではない。

 

■4■人間の準備が整えば出現する化石のように、今後様々な定説とされてきたものたちをひっくり返すべく、遺跡や人骨もまたその出番を待ち続けていることだろう。殆ど覆い尽くされてしまった世界全般の古層の、意識地表面のまれなる露出地として、日本の今後の諸事が世界中のものごとと繋がるだろう。

 

■5■世界のより古き神や神話が、蛇として表現され象徴されているのが現状だ。しかしそのさらに元となる在りようを異なる言葉や象徴で表現できないまま、全てはミシャクジ全ては蛇というどん詰まりのなかでその先を見ていくことは難しい。もっともそれには人間の限界を超えていく必要があろうけれど。

 

■6■諏訪を中心にした広大な地域で、今でもごく自然に息づくミシャクジ信仰。出産後に胞衣・胎盤を神への感謝と共に納めたり、自宅の敷地内に埋めたりするのはバリ島などだけでなく、この列島でもあったことだとは、諏訪大好きの画家ましましさんと諏訪で温泉につかっていた時は思いもよらなかった。

 

■7■しかも胎盤は、生物学的には有胎盤類(有袋類とほ乳類)に進化して以降の動物にしかないわけで、呪術的と括られているけれどトーテミズムにも詳しいあにまんだら氏の世界もまた、ミシャクジの世界観と重なっているわけだ。さらには妖怪哲学を立ち上げようとしている甲田烈氏のワールドとすらも。

 

(続くかなー)

 


■8■たまたま自分の成そうとしていることと、それ以上に大きいこととが重なってしまうことには驚きはしないし、さしたる気負いももはやない。しかし7月10日に以前からセッティングしていた福岡での多面体ワークと話のイベントに関して、よもや第24回参議院議員通常選挙と重なるとは思わなかったし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


春分から夏至、そして秋分へ

 

■1■春分の日に関西ヌーソロジー関係の人たちメインのバスツアーで、BOBと私は奈良の大神神社を訪れた。そして夏至の日にも、BOBと私は奉納奉告祭の記念講演をさせてもらった。この翌日も2人で今度は砕けたお話会を桜井でさせてもらったのだけれど、そこの詳細はまた別のところで報告したい。

 

■2■そしてその翌々日の24日には、今回の三輪イベントの主催者と協力したチームASUKAのメンバーの一人が、関空から慌ただしくサンマリノ共和国に飛び立った。そこには数年前に神社ができて、そこでの酒関係の催しに参加し、かつ多面体と今回の絵画の掛け軸を紹介し、奉納したりもするようだ。

 

)ちなみに大神神社と三輪山はお酒にも大いに関係があり、酒を造る杜氏が全国から集まる。この「杜氏」(トウジ)という言葉は、成熟した女性を表す「刀自」からきている。かつて噛んで醸される酒を作るのは、もっぱら女性の仕事だった。

 

■3■23日の夕刻、帰路の途中に、オオモノヌシ≒OCOTが重なる奉納した絵画や、大神神社などの古い神道とも自然に繋がってもいそうな、さらに古層の神たち≒ミシャクジについて語っているらしい中沢新一の『精霊の王』を購入し、ついでに買った山村明義の『神道と日本人』のページを何気に開いた。

 

■4■本の背表紙裏から出でいるしおりひも(日本ではスピンという名らしい)が挟まったページだったのだが、そこには昭和62年に日本の神道史上初めて北米大陸で「世界平和」を目指して神社創設した話が載っていた。私は21日に神道は世界に布教展開などはしないと話をしたが、乞われて造る神社はある。

 

■5■最初に書いたサンマリノの神社もそうだが、アメリカ本土の神社の神主さんも来日して神道を学び、神主の資格を認められている。そして驚いたことに、その名前は「アメリカ椿大神社」なのだ。この神社創建に尽力したのが三重県伊勢一の宮の神社「椿大神社」の97代の山本隆前宮司なのである。

 

)神職認定書は本来は神社本庁が行うのだが、現在は外国人の浸食資格を認めていないので、椿大神社が独自に認定書を出されているという。

 

■6■なぜ椿大神社の名で驚いたかと言うと、先日の夏至に大神神社への奉納に続いて、さらに今年の秋分の日に、画家の亜紀さんは、この三重県の椿大神社に絵画を奉納する予定でいる。この予定は以前から決まっていたのだが、私はこの時も記念講演をする予定になっているのだ。偶然にしてはベタ過ぎる。

 

■7■この椿大神社には数か月前に1度訪れたが、主祭神は猿田彦大神である。ここは猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。また別宮椿岸神社の主祭神は天鈿女(アメノウズメ)命だ。言うまでもなく「芸能の祖神」として信仰されており、ミシャクジとそのまま相い通じる。

 

■8■猿田彦の方は現今と別の世(もう少し狭めれば天つ神系と国つ神系)の界面に立ち、双方を繋ぐ存在でもあり、こちらも古層の神及びミシャクジとも大いに関係がある。さらに椿大神社は「暦」に関しても縁の深い所であるらしい。私は能動的に関与する意志はないのに、もうこてこての巻き込まれ型だ。

 

■9■21日に大神神社で話をした、古代の太陽ネットワークと中心が移動してきた三輪の太陽ネットワーク(夏至・冬至ラインと古代30里・30里のグリッド)を繋ぐ領域の世界として、また惑星グリッドと黄金比、太陽暦と太陽信仰などを滑らかに繋ぐための「暦」というものの変遷と世界観…。話はこれからだ。

 

()「椿大神社」は「つばきおおかみやしろ」と読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絵画奉納奉告祭の記念講演(その3)

■奈良の大神神社で、夏至の日に盟友半田広宣氏と共に行った「絵画奉納奉告祭の記念講演」で、語りつくせずにスキップした内容の一部を、翌22日の「半田広宣+小野満麿を囲む会」で「後拾遺集」的に話した、いわば前日の私の話のCパート。

 

この時は桜井駅傍と会場も異なり、マイクも使わずに話したので、雰囲気は少し異なります。

 

 

 

 

■祈念講演時の画像を何点か…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


絵画奉納奉告祭の記念講演(その1,2)

★奈良の大神神社で、夏至の日に盟友半田広宣氏と共に行った「絵画奉納奉告祭の記念講演」の、午前の部担当の私の『オオモノヌシと呼ばれているところの呼ばれる前のそれ』というタイトルの話のAパート。

 

本編の中で私は押戸石を繰り返し「おしどいわ」と言っているが、正しくは「おしといし」だ。まあ愛嬌ということで見逃してください(^^)。

 

 

★これまた三輪山の麓の大神神社で、Akiさんの絵画の奉納奉告祭連動した記念講演「オオモノヌシと言われているところの言われる前のそれ」の続きであるBパート。この日はこれで完結。

 

本編中で、正4面体の正3角形の内角の和60×3=180度を120度と勘違いして、180×4=720度となるべきところを、120×4=480度と計算してしまって、ちょっとうろたえる場面もありますが、まあこれもご愛嬌として容認してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『大物主命』絵画奉納奉告祭・記念講演会 於 大神神社


今年2016年6月21日の夏至の日に、画家堀内亜紀氏による絵画『大物主命』奉納のための祭典が、奈良は三輪の大神(おおみわ)神社において執り行われます。その式典終了後に、絵画奉納奉告祭の一環として、小野満麿と半田広宣による記念講演会をする運びとなりました。

 折りしも先立つことちょうど1/4年に当たる3月20日の春分の日に、2人揃って参拝することになっておりました。自然な流れの中の不思議なご縁を感じつつも、大神神社の境内にある大礼記念館において、「オオモノヌシ」をキーワードに話をさせてもらいます。

 居住まいを正しつつも、内容は神道の範疇に留まることなく、生物学や言語学から数理や惑星天文学、はたまた素粒子物理や哲学思想の最先端から立体幾何学その他にまではみ出して、現在の人間精神を見据えながら、長年の思索と研究を通して今後の未来を語ります。

■日時:2016年6月21日(夏至)
受付開始9:15
★前半9:30〜12:00 ★後半14:00〜17:30

■会場:大神神社 大礼記念館 〒633-0001 奈良県 桜井市三輪1422

■話者と演目:(時間は少し前後することもあります)

★前半9:30〜12:00
(1)小野満麿「大物主と呼ばれているところのそう呼ばれる前のそれ」
   …日本人と日本語の過去と現在から未来を見る

★後半14:00〜17:20
(2)半田広宣「ヌーソロジーから見る大物主と日本の霊性」
   …認識の新しい地平を切り開いて形にして示す

(3)小野満麿+半田広宣 対談
…オオモノヌシを未来に向けて開く

※絵画奉納の祭典を挟んでの、公演会前半と後半となります。
 全行程に参加予定の方は、公演会前半終了後、奉納式典参加集合時間まで40分(時間厳守)となりますので、おにぎりなどお弁当の持参をオススメします。

■参加費:無料。(活動支援や志としてのカンパは喜受いたします。)

()参加希望の人はこのイベントページの参加ボタンを押して下さい。
   諸事情がお有りの方は、下記の運営委員会に、お名前、参加人数、ご連絡先、絵画奉納奉告祭•記念公演会参加希望と明記の上、お送り下さい。
    asuka.mononushi@gmail.com

・予約制ではないので当日直接の参加も可能ですが、参加希望名が確認できれば、当日の資料などは入手できると思われます。また奉納奉告祭と連動しての記念講演会なので、奇抜過ぎる服装や行動は控えるようご配慮願います。

()大神神社はオオミワ神社と読みます。
()なお、堀内亜紀氏の「『大物主命』絵画奉納奉告祭・於 大神神社」のfacebook上のイベントページはこちらです。
https://www.facebook.com/events/183316435389581/

★PV…小野満麿バージョン



★PV…半田広宣バージョン










 


オオモノヌシのいるところを求めて



■1■「生物種の進化と分裂」と「諸生物の人間への収束」とは非平衡な時間軸の中では一点から無数に枝分かれし拡散しゆく世界と、無数の水源から小川が合流し合って最終的には大海という一所へ収束するのと同形の、非対称的な双対性を持つと見てとれる。人間という未完の頂点が今後どう展開するのか。

■2■オオモノヌシはその常に現在である交差界面(別の表現をすれば過去の総体と未来の総体の交差界面としての現在という動的平衡的世界)として、もしくはそれをそのようになさせしめている全体構造として解することができる。誰か他者が言う定義は無駄ではない。しかしそれを鵜呑みにするのは愚行。

■3■身体と世界と自分と言う世界を視覚的に見るモノの関係を踏まえて言えば、オオモノヌシは自分の右手と左手をつなぐ力戦の真ん中と、そこを見つめる自分自身の視線との間の黄金分割点にある。幾何学的表現ではない。衒学的な詩的表現でもない。他者に対してではなく自分自身への自分の言葉でだが。

■4■現今の日本には、日本にやってきた様々な人間のDNAもしくは気質が全てある。世界各地ではもう絶滅してしまった遺伝子や言語や身体所作も含めて、それらが今ここに全てある。生物学的にあり得ない急激な身体変化、寿命、そして国としては絶滅危惧国のぶっちぎりのトップでもある日本と言う国。

■5■フフリカを出て日本列島に辿りついた38500年前から続く平和で自我の希薄な列島人は、弥生時代古墳時代に経済的世界観、定住と宗教、戦争と階層社会を持ちこみ、また明治以降の文明開化、世界大戦の敗戦後の支配など、何度にも分けて非日本的な強烈な自我という一種の病気をパイルし続けられた。

■6■だがおかげで日本には今、世界中の文化・食・服飾・芸術が満ち、自己他者問題や科学的世界観の海の中でも、溺れずに生きていけるようになった。あとは敢えて忘れ続けてきた自らの内なる神性、万物の神性との調和、他者との不連続状態などを、自力で想起することができればもう無敵になれるのだ。

■7■いやでも強烈なエゴや絶対的な孤独感などは今後なくなる。なくなってしまうのだから、せっかく手の届くところにある今のうちに、それらを能動的に味わい尽くしてみるのが好い。好き勝手に生きろというのではない。それらに背を向け、否定し、無視して生きていくのは、あまりにも余裕なさ過ぎる。

■8■世界中の人種が、そしてそれらのエゴが、バリエーションの富みに富んだ日本人の身体と性格に反映している。あにまんだら氏の自我同一論的なものの見方を押し広げれば、あらゆる動物の対応がそこに見られるように、世界中の人種や性格や生の個的力積などが、全て日本人の上に照応してそこにある。

■9■それを表現するには、世界共通の言葉や概念ではなく、むしろ日本にしかない言葉としてのオオモノヌシを当ててみるのもアリだろう。名前ではない。名指されているところの、名指される前のそれを、敢えて名付けることによって見当を付けるのだ。反転し続けても動的平衡で変わらない構造そのもの。














 

名もなきものとしてのあなたと私



■1■「名もなきものから全ては生まれた。」老子。「吾輩は猫である。名はまだない。」漱石。しかし猫と言う種の名は既に知っている。草木や鳥虫の名前をたくさん知っていて、自然の中でそれらを名指しできるのは憧れる。しかし名は知らぬままそれらを認識し慈しんでいる者はそれより劣るのだろうか?

■2■名は人間のためのものだ。しかも言語が異なれば共有できない。それでも混乱した状況を1つ1つ明確に言語化できれば混乱はほどけ、精神も明晰になる。しかしそれは人間としての明晰であり、言語というものへの依存でもある。安易に言語化し、理解したつもりになってしまうのも人間の性向である。

■3■名付けられる前の、未だ名ものなき「それ」。言語を持って言語化されえないものを捉えんとする試み。無・虚・非・空…等の語をつけて、捉ええぬものを捉えたつもりにしたい衝動。現行の理に収まらない「論理」や「知性」はある。それらまで現在の論理や知性で判断し評価しようとすることの傲慢。

■4■未知なるものに対して謙虚にその未知を認め、観念や無知から畏れ惑うよりも、能動的にその未知を安易に言語化することなく、敬い慈しんでみようと試みる能動的な気概。既存の言語をそのまま過去の諺的な共有遺産として用いるだけでなく、新たな結び付けにより未知を共有しようとする詩人の言葉。

■5■それは既存の名ではない。名になり行く可能性の提示だ。それを名もなきものとして共に捉えようとする姿勢が、それまでにない新しき名を生む。真の詩人は単なる名づけ親などではない。その名と名付け作業と名付け主を、ただ讃え持て囃すことで自らもそれらを共有したつもりになるのは愚の骨頂だ。

■6■人間としての名を与えられる前の生れ出たばかりの赤子に、後日名を与えることで、未だ名もなかった時の存在まで、もしくは存在の時まで、その名で全て覆ってしまおうとすることは、たとえそこに愛情があるとしても暴力でもありうる。それは現在でも未だ名付けられる前のそれでもあるというのに。

■7■名づけることで名づけられる前のそれまでその名で表し呼ぶということは、今の人間がある程度共有している約束事だからまあ良い。しかし名づけることによって名付けられた当体までもをわかったつもりになる愚は、名指しすることの粗雑なる傲慢さを自覚して用いることによってある程度軽減される。

■8■名を与えること、名を知ることが一方的に聖なることや超常力を持つこととするのは、本来の人間としての自覚が足りない。異なる捉え方、異なる表し方もあるという前提と敬意がある上で、謹んでその名を呼ぶということの意味あい。名付けられる前のあなたを、名を呼ばずに時無しにおいて敬う自分。

■9■名もなきものからすべては生まれた。そして名もなきものへとすべてが還りゆくものであろうに、名ばかりであるところの名への執着から、安直に名を残そうと努め、その名の残影に縋り付くことにはさほど意味も価値もない。縋らずとも生きるよすがはある。名付けられる前の自分自身を思い出すこと。
















 

オオモノヌシという名のなきそれ



■1■畏れ多くて口に出せない名ではなく、まさに名付けられる前だからその名を呼べないという、畏れ多きものの存在は想定できる。そうであれば、これまでの過去が今を作り未来を生み出していくだけでなく、これからの未来と捉えられていたものが今を作り、過去を作っていくという双方向を想定できる。

■2■そのような世界観の中においては、名のみであってその指示されたものが定かならぬものであるならば、これからその名で指し示す当体を明確化し、確定していくということによって未来が創出され、過去もまたそれによってより明確になりゆくということは十分ありうる。語義に拘泥している暇はない。

■3■自分が今好きな物や人の名前が、突然なくなってしまったとしても、それでもやはりそれらを愛し続けられるのかが問われているのである。名を持ってそれを認識し捉えていただけの者は、その名がなくなったら、その名指されていた「それ」が見えなくなっしまうか、永遠に失念するかも知れないのだ。

■4■名のあるものから名を取り払ってしまったとしても、それでもまだ歴然と残っているものを、もう1度考え直してみる必要がある。未だ名付けられる前の自分が、名付けられた後も絶えることなく持続しているということ。もし自覚できない未知だとしても、それに対して敬意と慈しみを抱くということ。

■5■敢えて言えば名なんぞ残らなくてもいいのだ。名は生まれそして死ぬ。名付けられないものは生まれていないものだから、死ぬこともない。既に死んでいるとも言える。それでもそれは私の中にあり、それでもそれは私でもある。今の私たちのものの捉え方、生き様、存在のカタチそのものが重要なのだ。

■6■オオモノヌシとは何か?それは人格神なのか?何らかの力なのか?システム構造なのか?いつから存在するのか?神職者は神職者はの言葉で答える。科学者は科学者の概念で考える。誰もが腑に落ちる答は見えない。それは何よりもまず問いかけそのものが粗雑過ぎるからなのだ。自らの問いの質を問え。

■7■名のみを知っていて当体をしらない者、当体を知っていてもその名をしらない者。オオモノヌシという名前だけを知っていても、言霊的な解析だけでは何も分からない。その当体を既に知っている者は、もはやその名前がなくても良い。名と当体が一致するためには知性や論理だけでてなく直観が必要だ。

■8■論理的と直観的とは全く異なる世界認識のようだが、比喩としての左脳的と右脳的と対応させつつ考えてみよう。右脳には左脳と同じ時間の流れはない。過去に散々思考を繰り返した果てに、論理の先端に直観として連結するものと、未来に散々思考したものの反映が今直観として浮上するものもあろう。

■9■オオモノヌシと呼ばれているものは、そう呼ばれる前から在った。ではそれはいつからか?科学の言う宇宙開闢からか。地球の歴史が始まった47億年前からか。生物の爆発的生成からか。人類の曙からか。縄文時代からか。それとも未だに存在はしていないのか。決めるのは他者でなく、自分自身である。














 

カミアイながら生きるということ



■1■「それ」は言語、少なくとも「名付け」の前から在ったものを、現今の私たちの言葉で指し示した瞬間に出現したり生まれたりしたものではなく、それ以前から在ったものだ。それが人間世界を今のように形作った。同時に別の表現をすれば、人間である私たちが世界をそのように認識するよう設定した。

■2■しかも西洋その他の一神教的な人格神などではなく、私たちの1人1人の誰1人も漏らさず、その一部もしくはそのものでもある。決して言葉が神であったり、数が神であったり、私たち1人1人の別の領域の存在であったりというレベルの話ではない。どこかでピリオドを打つことができる話ではない。

■3■私たち人間の脳の使い方使われ方が、ある時代的なスパンで異なるというのは在りうることだ。価値判断や意思疎通や、神や他者を含む世界と自分との関係で言うならば、現今の西洋文明的な流れの中にあった論理・知性・証明・認識・科学・哲学とは異なる世界把握、自分の在り方は確実に在るだろう。

■4■数理の10進法や60進法そのものは、それら異なる世界の捉え方を繋ぐ共通言語性を保持していると考えられる。私たちとは別の数学や幾何学も想定できるだろうが、それは異なる世界や個を語る時のパラメーターには使えないので外しておこう。思考の時代から直観の時代へ…という捉え方は浅薄過ぎる。

■5■頭の中で神の声が聞こえるという古代ローマの人々などを、脳の異なる使われ方として語るだけでなく、強烈な自我を持つ時代と自己すらあまりない時代が交互に訪れるという捉え方に甘んじず、今はそれもまた自分が自分と認識していない「未自分」として捉える可能性のある時だ。私が私を見るのだ。

■6■在る時の瞬間的な閃きや天啓や直観はどこから来るのか。「どこ」という設定が朴とつに過ぎるから、個の中の別の時から、もしくは個を超えた別の所からという生半可な答が出てくる。別の時、異なるところでの熟考の果実。真剣な祈りと純粋な思考とは似ているところがある。自身への受動と能動。

■7■「前時代」とか言う言葉を安易に用いると、一定の時代ごとにほぼ全取っ換えで時代が転がっていくイメージだが、そのような用い方でアトランティスとかムーとか神話・伝説の時代などと語っても、それらと今とがどのように繋がっているのかを解明し創出し、共有していけなければさほど意味がない。

■8■それらの作業はとても単なる個体で成せるものではない。そもそも個体という意識が強すぎる。自分が1人でいる時でも他者と共にいる時でも、自分が自分と思っている自意識の無い時がとても多いことにまず気がつかなくては。生きるということがそもそも世界との融合であり、神会いである時なのだ。















 

長崎県 湯治のお宿「雲仙 富貴屋」



■昨夜の夜岡本さんの3倍速運転で多比良港から雲仙温泉まで真っ暗の道を駆け登り、9時になんなんとする時間に湯治のお宿「雲仙 富貴屋」にチェックイン。もはや暗闇の山中で素泊まりの宿を探すギリ状況だったが、ホテル内は案外多くの人が起きて寛いでいたし、宿の外にもまだ人が浴衣で歩いていた。





■翌日福岡で会合があるしレンタカー返却もあるので、深夜を通して博多まで帰るという岡本さんを心配して、たっぷり休養したアキさんが運転して送って行った。彼女は今日の昼過ぎに長崎に電車で戻って、そこから新しいレンタカーで雲仙に戻ってくる予定だ。来てみて初めて長崎県の形が少しだけ分かる。





■さて富貴屋の温泉は、湯の花が溶け込んだ雲仙特融の乳白色の単純硫黄泉だ。この大浴場と露天風呂は、47℃ある雲仙乳白の湯という名の源泉に、温度調整の為の加水加温してある。浴槽内の温度維持のためにと、放流一部循環加水加温式になっている。浴室は八万地獄を見る広い内湯と庭園露天風呂がある。

       

■雲仙の湯は濃くて効くので長湯は禁物と言われるが、この宿は湯治客も広く受け入れているようで、適度に薄めているのだろうか、湯がそんなにきつ過ぎない気がする。と思ったが、それでもやはり朝の撮影だけで、どすんと効いて熱がなかなか引かない。すぐ裏に雲仙の色々地獄とそこを巡る遊歩道がある。





■また温泉神社も隣接していた。夏至のための原稿について考える暇もないまま、もうもうと煙の上がる地獄の風景野中に身を浸してみる。そう広くない温泉街のすぐ傍に、別府や蒸けの湯温泉とはまた違った温泉地獄を遊歩道がつないでいる。朝食と作戦会議は、近くのかせやCAFEでできたてパンと共に敢行。
 

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