身体から入る空間の認識改変(2)



■1■内耳は刺激を受容する中心的部分であり、すべての脊椎動物が例外なく備えるもので、進化的にみて最も由来が古い。内耳には音を感ずる蝸牛、身体の平衡感覚に関係する前庭・三半規管がある。前庭が直線加速度・重力・遠心力などを感受するのに対し、三半規管は回転加速度刺激を感受している。

■2■三半規管は平衡感覚を司る器官であり、無顎類(現存種はヤツメウナギとヌタウナギのみ)以外の脊索動物全てが持っている。3つの半規管(前半規管・後半規管・外半規管)は、それぞれがほぼ90度の角度で傾いており、X軸・Y軸・Z軸のように3次元的なあらゆる回転運動を感知することができる。



■3■三半規管は前半規管・後半規管・外半規管の3つの半規管からなる。前半規管は側頭骨の錐体の長軸に直角方向、後半規管はこの長軸と平行方向、外側半規管は水平面で外側方向に向いている。外側半規管は水平回転(左右横方向の回転)、前半規管と後半規管は垂直回転(上下縦方向の回転)を感じ取る。

■4■身体感覚に対応させて考えれば分かりやすい。フィギアのスピンのように上下を軸にした(左右)回転、前転(バック転)方向の回転、(左右)側転方向の回転の3軸であり、それらの複合回転を自覚する。リンパ液で満たされており、有毛細胞が刺激されることで回転が感知できるしくみになっている。

     

■5■三半規管という名前はその形状と数からきているが、人間が前方しか見えず後ろ半分が見えないことを連想させるように、なぜO型でなくその半分のC型が3つ直交しているのだろう。また三半規管の機能は鍛錬によって強化が可能だが、それはまたこの世界の空間認識を強化して適合するということだ。

■6■三半規管と身体(頭部)の軸が揃っており、それらの角度変化を認識できる世になっているのであれば、特別な角度の時、意識モードが異なる場合もあるのではなかろうか。たとえば上図のように半規管膨大部が垂直になる時の見上げる場合の意識は、水平に物事を見る時とは少し異なっている気がする。


■7■このことをもう少し掘り下げて考えてみよう。頭を60度上方に見上げてものを見る時、地球の重力方向と半規管膨大部の方向が同じになる。この60度という角度は銀河中心に対する太陽系の惑星軌道面との傾きであり、またベクトル平衡体の中心転で束ねられている各6角形面同士が成す角度でもある。

■8■大円と小円の半径比が2:1のトーラスの斜断面に現れるヴィラルソー円が、トーラスの水平面に対して60度の方向から見ると、その断面がベシカ・パイシスの形になっているのが見える。辺長比が1:2:√3の直角3角形の1つの角度、もしくは正3角形の1つの角度もまた60度である。



■9■60度は1つの例に過ぎないが、三半規管と自らの頭(及び2自毛的には自らの身体)の前後左右上下に傾けた時に成す角度には、自らの身体と周囲環境にある電場・地場・太陽や月などの天体や惑星グリッドや地脈水脈その他と位相が揃う特別な角度や姿勢というものがあるのではないかと想像してみる。






















 

身体から入る空間の認識改変(1)


■1■視覚情報処理は2次元の網膜像を元に、外界の3次元構造を過程や推量で補って復元する作業である。しかし網膜自体は3次元世界の構造だが網膜像は2次元像なので、網膜平面に対して奥行き方向の情報は失われてしまっている。そこで視覚は外界の3次元構造を推定して復元するという作業をする。

■2■このことから視覚情報処理は逆光学と呼ばれる。そもそも網膜像から外界の構造復元という逆問題は、物理的・光学的領域のみでは理論的に解くことのできない「不良設定問題」である。不良設定問題とは、唯一解がないか、多数出てきてしまい、正しい解を一意に求めることができない問題のことだ。

■3■視覚系は外界の構造に関するさまざまな仮定を設けることで、逆問題を解いている。しかしこうした仮定が常に正しいとは限らないので、世界を見る意識が能動的に激変しなければ、外界への仮定が物理的世界での規則と異なっていた場合には、物理的世界の構造を反映しない知覚が生じることになる。

■4■言葉において「内」と「外」の概念を反転させるべく、静的な3軸直交的な3次元的な世界における第4の次元という観念的世界観の変容を生じさせるためには、むしろ身体の三半規管における動的世界の回転加速度刺激を用いるなどして、各自の「奥行き」の欠落を再認識するという方法もあるだろう。













 

両手と両の足の裏


■1■改めて両手と両足の裏のツボもしくは反射区と、その対応する体の部位をまとめてみた。思っていたより手と足の各部位との対応部位が同じなのに驚かされた。そのことが分かり易いように、左右の足裏を揃えて1つにしたような画像に合わせて、両手も親指を重ねた形を手掌側から見た図にしてみた。

■2■親指の先が頭で、その下の中央部が脊椎につながり、人差し指と中指は目に、薬指と小指が耳に対応していることは手も足も全く同じである。研究者によって若干の差異はあるだろうが、基本的に左右の肩や肺の位置や、肝臓と心臓の左右配置、小腸から上行結腸と下方結腸や生殖器の位置まで同じだ。



■3■私は専門家ではないので上手くは言えないが、手のひらと足裏の相同と相違が流派や個人的解釈で異なるのは、経絡的なツボと西洋的な反射区としての捉え方の差異もあるようだ。それにしてもそもそも動き回るための足と、物事を操作するために特化した手のこの相似形は、4つ足とは無関係なのか。

■4■発生学的に細胞の分化を逆に辿っていけば唯一の受精卵にまで行きつくが、どこかそこまでの過程でいわゆる胴体から伸びる四肢の先端部分が、胴体各部位とのトポロジカルな対応関係を生み出す時期があるのだろうか。このほかにも体の各部位との対応関係を見せる、外耳や顔面や大腸と関係はいかに。














 

地鶏暴論ならぬ自撮り棒論



■1■2014年度のヒット商品の1つである自撮り棒だが、北陸新幹線の5つの駅ホームでの使用が禁止された。他の客に当たって怪我をする可能性や、ホームから乗り出して列車の運行に支障をきたす恐れがあるからというのが禁止の理由である。思いもかけなかったが、確かに言われてみればその危険はある。

■2■この自撮り棒の登場は意外と古く、実は1980年代初頭に日本で発明されたものだ。当時のカメラの小型化軽量化で生まれたものだが普及せず、結局珍発明品扱いを受けていた。しかし近年の携帯電話やスマホの普及及びデジカメ機能の高画質化でニーズが一気に上がり、昨年末に急激にブレイクした物だ。

■3■スマホや携帯電話の画面に夢中になって、周囲の実空間に対する意識が軽薄になることは誰にもありうる。1983年に当時のミノルタカメラが、世界で初めて発売した時の商品名は「エクステンダー」だった。その名の通り拡張するのは、カメラの視座だけでなく、意識が希薄化するうっかり空間もである。

■4■身体感覚で言えば、おのれの手足の届くところまでの空間とその外とは、空間認識としては連続しているが、一意で別の次元であるとも言える。道具というものは私たちの身体の届く領域を拡張をしてくれる。このセルフィースティックとか自撮り一脚とも呼ばれている道具も、自空間を拡張してくれた。

■5■身体感覚の延長という意味では、軽量の物を運んだりできるドローンもまた同様だ。カメラを搭載すれば視覚野の拡大延長となる。ドローンは3次元的に自在にコントロールできるが、最近はよく落ちたりする。操縦の技術が未熟であったり、笑える話でないが操縦者自身が事故にあったりするためだ。

■6■武芸者や武道家には「間合い」というものがある。徒手空拳で言えば己れの身体を用いて瞬時に技の及ぶ範囲であり、武具を用いるのであればその得物の届く範囲のことだ。迂闊に入れば瞬時にやられてしまう。それは逆の立場からでも言える。武芸一般の対決はその互いの空間制圧界面のせめぎ合いだ。

■7■自他不二となるのみか、天地とも一帯になってしまう合気道は一応横に置くとして、武芸一般の間合いは自らを中心としてその界面方向へと意識や気が向かうものであろうが、自撮り棒はその撮影の間合いを界面側から自分方向へと視線と共に意識方向を向ける道具だから、ベクトルが真逆であるわけだ。

■8■武術の間合いはそれが破れた途端自らの敗北となるが、自撮り棒による自空間延長は、自身に向ける視座だけを他者との共有空間に突き延ばすのだから、確かに周りへの配慮が充分行き届くわけもない。だからと言って否定的見解だけがあるわけではない。身体感覚を介して自己と他者の再確認も可能だ。

■9■ドローンや自撮り棒を用いて3次元的視座からの自撮りもできる。それによる気付きや発見もあるだろう。その操作技術の向上と同様に、自らの周囲や他者に対する気配りや思いやりが、より一層行き届くようになれば喜ばしいことだ。そんなわけで、今私はこの自撮り棒を導入すべく思考中なのである。












 

合気道のその先を考える


■1■「武道」とは武士道を指したが、江戸時代後期頃から古武道のことも指すようになった。「古武道」とは戦闘に関わる日本の伝統的な技術を体系化したものの総称だが、「現代武道」とは明治維新以降に古武道から発展したもので、その多くは稽古鍛錬を通じて人格の完成をめざすという方向性も有する。
 

■2■日本武道協議会による「武道」の定義では、「武士道の伝統に由来する我が国で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化」であり、その理念は「それを修練することで人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である」としている。
 

■3■主な武道は、柔道・剣道・弓道・相撲・空手道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道など無数にある。そんな中で私は「合気道」について注目している。合気道は武道家・植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など諸武術を研究し、大正末期から昭和前期にかけて、独自の精神哲学でまとめ直した総合武道である。
 

■4■植芝盛平の障害や武勇伝に関しては数多くの資料や評伝があるのでここでは触れず、その独特な理念・精神性に注目したい。その基本こそ武術だが、その理念は武力によって勝ち負けを争うことを否定し、合気道の技を通して対立を解消し、自然宇宙との「和合」を実現するような境地に至ることである。
 

■5■通常の武道はその技術を特化しゆくのに対し、合気道では攻撃の形態を問わず自在に対応する。実戦的な護身武術でありながら、自分と相手との和合、自分と宇宙との和合を追及するという、求道的な平和哲学を内包するので、「和の武道」「争わない武道」「愛の武道」そして「動く禅」とも評される。
 

■6■「合気」とは、相手の力に力で対抗せず、相手の攻撃の意志、タイミング、力のベクトルなどの「気」に、自らの「気」を合わせて相手の攻撃を無力化させるような技法や原理を指す。また他者と争わず、自然や宇宙の法則と和合することで理想の境地を実現する技法から理念までを広く合気と称する。
 

■7■究極は他者・自然一切と戦わずして和合することなので、武術で相手と勝負をして「相手を倒す」「勝敗を決する」という戦いの思想がない。勝他の念や修羅の如き執着心が生じえない。合気道の極意は、世界を和合させ、人類を一家たらしめ、己を宇宙の働きと調和させ、宇宙と一致させることにある。
 

■8■真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。合気道は無抵抗主義だ。無抵抗なるが故に初めから勝っているのだ。勝つとは己の心の中の争う心に打ち勝つことだ。合気道の極意を会得した者は宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。
 

■9■だがいかにその理論だけを説いても、それを実行しなければ非力である。合気道はこれを実行して初めて大自然そのものに一致することができる。つまり体を用いることで、身体自身の叡智と慈愛を解き放つこととなる。武道にありながら、最初からそれを超えている。平和憲法の理念とも通じている。
 

■10■老若男女の多くがその理念を通底し合えたら世界はどうなるだろう。今はまだ合気道という武道ではあるが、やがて武道というものを介さずともそのような境地領域に入る人々が湧出するのではなかろうか。身体があることそのものの奇跡。そのために今ある合気道の真髄を見詰め見極めていこうと思う。
 

)画像は「矢作スポーツトレーナー研究所」より借用して加工しました。 http://www.styahagi.com/2014/10/sty0005/










 


身体各部と全体のホロンと…



■1■「手相」は手の平に現れる掌線や肉付き等の手の形態に着目し、性格や才覚、健康や運勢を判断する占いの一種だ。またこれとは別の位相で、手は相応部位という、体の各部分に対応する部位があると考えられている。手の平や甲には沢山のツボがあると言われ、実際に悪部のマッサージは効果的である。

美容健康 ツボ道場×邱 淑恵 http://www.tubodojo.com/ashimomi/ashiura_zu.htm より借用

■2■同様の発想が足の裏にもあり、「足ツボマッサージ」というものがある。これと似て非なるものに、足裏の特定部位を押せば体の特定部位に変化が起こる事を利用した反射療法とも呼ばれるアメリカ起源の「リフレクソロジー」がある。大まかな両者の違いは、面をマッサージするか、点を刺激するかだ。

http://matome.naver.jp/odai/2140915238967457301 より釈放

■3■また「耳介療法」というものもある。外耳には中枢神経系に複合的に連絡を持つ非常に多くの神経分布があるが、その耳介上に投影された人間の身体の各部位が、胎児の形に投影されているとして、そのポイントを物理的に刺激することで、その反射機構により元々の障害が緩和するという治療法である。



■4■東洋医学では顔面もまた内臓機能を写し出す鏡であると捉ている。顔にあるツボと内臓のツボは繋がっているとして、内臓機能の治療や刺激による美顔調節もなされている。中国はもちろん台湾やベトナムなどにも、リンパやホルモンを活性化して小顔や健康に役立てる、独自の顔面対応の世界観がある。



■5■口から肛門までの消化器官自体が、長い生物進化をも内包している事実があり、また実際に腸は第2の脳であるという捉え方もある。大腸そのものもまたぐるりと各内臓と接するように巡っている事もあり、身体の各部位と対応するという発想もある。大腸をひっくり返すと各部位となるのであろうか。



■6■例を上げれば切りがないが、「頭髪診断」というものもあり、頭皮に生えている髪の毛のどこに異常が多いかで、身体の血行不良による健康阻害部も分かるという。脊柱(頚椎・胸椎・腰椎・骨盤)がある背中そのものにも各内臓の反射区があり、刺激すると対応部位が活性化する仕組みになっている。



■7■古くはカナダの脳外科医ペンフィールドが作成した「脳地図」というものがある。脳と身体の各器官との対応を表す図である。身体の各器官がそれぞれ自らの内部の各器官と対応するという、スケールや部位を超越している落語の『頭山』か、互いが互いを映し込むインドラの網の明珠のようではないか。

■8■さらに生命の進化や1つの受精卵から卵割を繰り返して1個の有機生命体になるのだから、それぞれの呼応対応関係はあっても不思議はない。しかしそれだけでなく、身体そのものがまた天空の星々や特定の動物や自然要素などと、次元を超えて繋がっているという発想も、別枠扱いできるか不明である。

■9■ここで個々の治療法や世界観に触れず、全体構造の相似を足早に語ったのは、同じ大きな全体構造を別々の見方で別個に認識している可能性はないか、また内外反転したところにも相似や関連対応があり得るのではないかという問いかけをしたかったからだ。詳細に関しては各専門家にも謙虚に伺いたい。











 

背面ハグは人間クダクラゲ?



■1■横浜あにまろ合宿2日目のイベント終了後に、創出者のましましさんを筆頭に、残った全員で「背中ハグ」をやった。背中合わせで床の上に座り、背中をまっすぐ立ててお尻から無理なくぴったりつけて、軽く寄り掛かり合う感じ。後頭部を軽くつけてもいい。足は延ばしてもいいし胡坐をかいても良い。

■2■目に見えない状態で他者と背面のほぼ全面で触れ合う感触は、概念や知識として知っていても、ほぼ何も分からないままに等しい。これは先ずやってみてなんぼの世界である。一人きりで自分自身を抱きしめることはできる。でも当然ながら背中ハグは一人きりでは不可能だ。でも多人数でもできるのだ。

■3■あにまんだらさんの話で、多数の小さい個虫が集まって1つの生命体を成す群体生物の一種であるクダクラゲというものが出てきた。捕食・遊泳・生殖など様々な役割分担があり、個虫が協働して全個体即一、一即全個体という、何か哲学的テーマの1つでもあるような生物だ。最大50mのものもある。

■4■背面ハグをしながら両足を伸ばした姿勢で、その2人の両足裏に3人目と4人目が足の裏ハグすることができる。さらにその背面に新たに別の者が背面ハグをして、まるでクダクラゲのようにどこまでも連結することができる。足裏ハグもまた、土踏まずまで重ね合わせてみるという未知なる体験領域だ。

■5■足裏ハグは面と向かって顔を合わせてはいるが、足2人分離れているので近すぎるということはない。しかし実際は足の裏で接しているのである。背中も足の裏も、服や靴下を通して温かくなるのみならず、明らかに様々に交流している。前後の人だけ以上に繋がって、搾取することなく流れているのだ。

■6■何組かやるだけで、明らかに場が静かになる。日本の諸動作のように、気が下方に落ち着いていくのだ。落ち着いて温かくなり、血行も促進されるので、まるで温泉に入っているような感覚がする。心地よくてずーっと続けてしまいそうだ。誰かに負担がかからぬように時間を決めて置く方がよさそうだ。

■7■顔見知りの人でも背中合わせの感覚はなかなかない。親しい中でも赤の他人でも、正面での関係とはまた異なる感触を味わえるだろう。声や呼吸や笑いの振動を背中で感じるのも面白い。ちょっとした内臓感覚だ。広い場で多人数だと、大きな輪になることもできる。さらなる発展形紹介は後日にしよう。












 

掌を真逆に合わせる合掌の世界



■1■ハグを合掌に喩えたのには色々な含みがある。5本の指がみな手のひらで繋がっているように、5体満足の人体も重力で大地に繋がっている。もちろんジャンプはできるけれど、ハグする2人も同じ重力に引かれ、合わせる両手の指もまた同一方向を向いている。背中合わせのハグも手の甲合わせも同様。

■2■手の平を合わせたものが「合掌」なら、手の甲を合わせたものは「合甲」とでも呼んでみようか。最も簡単な合甲は、昔テツandトモというお笑いコンビが「何でだろ〜、何でだろ〜」と、掌をひらひらさせて歌っていたが、あの胸の前で腕がバツを作る形をそのままスライトすると手の甲合わせになる。

■3■もちろんその形は手首のところで腕が交差してしまうので、裏合掌としては今一つ美しくない。合掌したまま掌を手前側に開いてそのまま背中合わせにすると、胸の上で上向きの裏合掌となる。しかし掌を外側に開いて行って手の甲を合わせると、人体の関節の構造特性上外向きか下向きの裏合掌となる。

■4■どう合わせても重なりあわない両手の関係をカイラリティと言ったが、どうせぴったり重なり合わないのであれば、他の様々な合わせ方について考えてみるのも悪くない。例えば合掌している手のひらの片方をくるりと180度回転させてみよう。腕が上下に位置するが、これも合掌の1つと言えるだろう。

     

■5■『アップサイドダウン重力の恋人』という映画(2013年公開)があった。重力が反対に作用する2つの惑星で、非常に接近した上下さかさまの世界に属する男女間の恋愛を描いたファンタジックな作品だ。ちなみに私は2重重力の世界観とその中での男女の恋の描き方が陳腐そうという我見から観ていない。

 

■6■同じく2013年に日本でも『サカサマのパテマ』というアニメ作品が上映されていた。こちらも重力の働く向きが上下逆さまの世界の2人なのだが、どちらかの視点に切り替わるたびに、画面がぐるんと180度回転して、双方が等価であることを示してくれる。互いに敵視する逆向きの2つの世界の出会い。

■7■かつては逆さ眼鏡をかけることで、逆向きの世界というものを個人個人で体験していた。しかし『アップサイドダウン』や『サカサマのパテマ』等の作品が世に出ている現今では、もはや真逆の方向性を持つ自己と他者が出会い、共に1つの世界を体験・共有する時空領域に入っているのではなかろうか。

■8■かつては突然目の前に何かがぶら下がるように逆向きに出でくるものは、亡霊や妖怪のようなこの世ならぬものとして恐れられていた。昨今ではゾンビや吸血鬼の類が逆向きにぶら下がるイメージにも慣れてしまった。そして今や真逆の重力世界の男女が出会い抱きあうところまでイメージは来ている。

■9■取り合えず上記作品の一部画像なりと見てもらえれば、逆向き(この場合は上下の対性だが)の者が出現しても恐怖で泣き叫ぶだけでなく、むしろ抱き合えば双方の重力を相殺して宙に浮くこともできるという発想に繋がっていく。アセンションでもデセンションでもない3番目の空間への浮遊である。



■10■その上下逆向きのモノ同士を1つにするイメージを、もっとシンプルに持つ方法がある。右手は仏を表し、左手が衆生を表す。その両手を合わせることで仏との一体化を象徴する合掌。その左右の掌を180度回転させることで、少なくとも人間型ゲシュタルト超えの象徴を、そこに創り見ることができる。












 

両手で演じる背中合わせのハグ



■1■「背中合わせのハグ」をプラトンの「愛の起源」に重ね見たが、それだけで満足すると、せっかくの素材を視野狭窄の世界観に閉じ込めてしまう。向かい合ってのハグは、言わば私たちが祈りなど敬虔な気持ちを表す「合掌」に似ている。「背中合わせのハグ」は「背中合わせの合掌」に対応するだろう。

■2■合掌はインド起源の礼拝の仕草だが、神道では両手を打ち鳴らして礼拝する。手の甲の拍手はないだろうと思っていたら、それは裏拍手と言う名で存在するようだ。幽霊や未成仏なる者は手の甲で拍手をするという考え方がある。妖怪博士とあざなされる甲田拍手…いや博士の烈っつぁんに聞いてみよう。

■3■合掌するのは死者への作法、手の甲を下向きに合わせるのは死者からの作法というわけなのか。「手のひらのシワとシワを合わせてシアワセ、なーむ」とか言うTVCMがあったが、確かに手の甲だと指の節があるから「フシとフシを合わせたらフシアワセ、ちーん」みたいな駄洒落も有りかも知れない。

■4■手の甲を合わせる逆拍手は手話で「早くこちらに来い」という意味らしい。「マタニティヨガ」というものがあるが、その中に胸の前での「手の甲合わせ」から息を吸い込みつつ斜め上方に花が咲くように指先を引き上げるというものがある。乳管がしなやかになり、産後の母乳分泌が促進されるという。

■5■ヨガ風の呼吸ストレッチの中でも出現する。座ったまま両手を合わせ、それを頭上に持ち上げる。ぐーっと伸ばして息を吸い切ったら頭上で掌を返し手の甲を合わせる。そこから息を吐き始めて両手を伸ばしながら下ろし、ゆっくり息を吐き切ってから元の合掌ポーズに戻る。胸と肩甲骨をほぐすらしい。

■6■手の痺れの原因の1つである手根管症候群というものがある。手の神経は束になって手首の手根管を通るのだが、この中で神経が圧迫されることで痺れや痛みが生ずる。胸の前で手の甲を合わせる姿勢を1分取って手の痺れが強まる場合、これを「ファーレン徴候」と言って診察のポイントになるという。

■7■ほとんどすることがないと思っていた「手の甲合わせ」という仕草も、考えてみたらハンドクリームや化粧水やアロマテラピーの精油などをまんべんなく伸ばす時などにも、手の甲をすり合わせたりする。手の甲と掌をすり合わせたりすることも可能だ。ただし裏返しにしない限り両手は重なり合わない。

■8■このように3次元の図形や物体やある現象が、その鏡像と同一に重ね合わすことができない性質のことをカイラリティ (chirality)、もしくは「掌性」と言う。手はカイラルなものの一例で、右手とその鏡像である左手は互いに重ね合わせられない。語源はギリシャ語で「手」を意味するχειρである。

■9■荒木飛呂彦のマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』の中に、「両方とも右手の男」というキャラクターが出て来るがこれはフィクションだ。私たち人間の両手は、右手の掌と左手の甲を向かい合わせても重なり合わない。このカイラリティは幾何学的な図形、分子、結晶、スピン構造等で用いられている。

■10■さて学問的なことは専門家に任せておき、私たちはその語源でもある自らの両手の上で見てみようと思ったが、話の前フリが長すぎて「背中合わせの合掌」もしくは「両手の甲でハグ」自体についてはあまり語れなかった。申し訳ない。この次は両手のジェスチャーで意味を象徴する印契も見ていきたい。

■11■ちなみに合掌は胸の前で作るのは簡単だが、背中で作るのはかなりの柔軟性が必要となる。指先を下に向ける合掌なら簡単だが、意外にも手の甲を合わせる逆合掌は上向きでも下向きでも簡単にできる。自分が未だ体感していない人体のポーズは無限にある。見るだけでなく自分で体を動かすということ。












 

背中合わせの私と私

      

■1■今年の3月下旬に、ましましさんと一緒に「すみれのお宿」にお邪魔して「メタトロンレクチャー&プレイ」をした。つい先日もお宿のお父さんの誕生日で多くの人が集まっていたので、私もお祝いにと思ったけれど、ちょうど家の猫の1匹が他界して行けなかった。遅蒔きながら、お父さんおめでとう。

■2■さてその2日目の夕食後に、ましましさん推奨の背中合わせで座って相手を感じる「背中あわせのハグ」をみんなでやった。実際に相手があまりよく知らない人でも、見えないので恥かしさやら気遣いやらほとんどすることなく、背中の温かみや信頼感などをじっくり味わうことができる素敵な方法だ。

■3■背中あわせというと、360度ぐるりと囲む敵と戦う武士が信頼できる味方に背中を預け、自分の前面180度と全力で対峙する時代劇シーンが連想される。流れ巡る感じで温かいんだよね。中世欧州の騎士物語ならいざ知らず、これが西部劇らな逆に360度全方位から撃たれて蜂の巣にされてしまうだろう。

■4■プラトンの『響宴』の中で語られる愛の起源。世界が生まれたばかりの頃の人間は2人一組で背中合わせの生き物で、両手両足が4本ずつあった。しかし神は人間が地上を支配するのを嫌って2つに引き裂いた。今の形になった人間はそれ以来、失われた半身を求めて愛を渇望するようになったという話。

■5■人間が2人一組だった頃は「3つの性」があった。男と男が背中合わせの『太陽の子』。女と女の『地球の子』。そして男と女の『月の子』である。kohsen氏はこれを男・男は精神、女・女は物質、そして男・女が2者をつなぐ意識とし、自己他者をつなぐ両性具有の無意識の部分を象徴していると見る。

      

■6■『日本書紀』にも登場する飛騨の両面宿儺は、計8本の手足に首のない2つの顔という異形の鬼神である。奇怪な姿で描写されているが、一般には大和王権に抗した古代の豪族であると解釈されている。また背中合わせではないが、前後2つの顔を持つものには、ローマ神話の出入扉の神のヤヌスがいる。

■7■「背中合わせのハグ」と言葉にしても、それだけでは単なるイメージに過ぎない。正面で向き合ってのハグはしっかり抱き合うが、背中合わせのハグはむしろ少し寄りかかり合って、その接触面に意識を集中してみることになる。やってみて感じてなんぼの世界だけれど、温かさと安心感を感じてしまう。

■8■この2人だけで行う「背中合わせで人間温泉」バージョンの他にも、背中合わせの人にまた別の人が足の裏同士をくっつけ、その人がまた別の人と背中合わせするということを繰り返せば、多人数が連なる愉快な「エネルギー直列人間」を味わうことができる。実際にやってみて分かることも少なくない。

■9■ましまし氏は今度、この背中合わせのハグ状態で相手の顔を描くというワークをやるらしい。自己他者問題を概念や理論だけで追及する方法もあるが、実際に身体を用いた体験の実感からそれを探求していくという方法もある。
過去の文献の中や、最新の身体ワークにも例を見ない実に斬新な方法である。

■10■これは一人ではイメージトレーニングすらできないワークだ。複数であれば、何人でも可能である。背中合わせの相手が老若男女いずれであっても、正面同士と比べてハグはし易いだろう。鈍感であってしかも別な意味の繊細さも持つ背中(そして足裏)同士のハグはその先にどんな世界があるのだろう。












 

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