福岡で「太陽系トポロジー」

 

■画像を全部晒そうと思ったけれど、1日80枚以上、2日で160枚超えているので、途中で断念した。上の画像はそのほんの一部。



■熱心に話を聞いてくれる人がいるというのは、実にありがたいことであり、さらなる先を思考するエネルギーとなる。



■太陽系の惑星とカバラのセフィロトの対応をヌーソロジーバージョンで紹介したことに対して、終了後にkohsen氏がさらに言及してくれているところ。



■横浜の「宇宙食堂」では踊っているように動き回ったと言われたので、この日は集音マイク装着もあって、机の前からほとんど動かずじまい。話せば話すほど元気が出るタイプなので、聞いてくれている人の調子をきにしいしい、それでも言いたいところは言い切るまで休みなし。

■終了後は懇親会。有馬氏らの大演出もあって、とても豪華なものにして頂いた。前日は盟友kohsen氏のお宅に宿を頂き、愛妻殿の手作り夕食もうれしく、ヌーソロジーがらみの話に花が咲いたが、この日は香椎のシェアハウスに止めて頂き、ここでもしばし濃いい話を夜半まで。












ヌースレクチャーDVD鑑賞会 in 名古屋 with Mr.Kohsen



■DVD鑑賞会も回を重ねて今回は第11回目。ヌースレクチャーのシリーズもいよいよ大詰めである。今回から導入されたホワイトボードに直接プロジェクターをかました画像を投射することにした。今回は珍しく一番コアなメンバーのみの少人数でスタート。ずっと後ろから撮ったスクリーン向きの画像は、既にそれ自体、部屋の仕切りの影でフレームの中のようにも見える。中央の青い画面はプロジェクター確認のPCモニター画面。



■正面画面に向かって、確認モニターも視界に入る私の視野。室内は昔のように真っ暗ではなく、メモもできるよう明かりを落としてある。左下より時計回りにmiaさん、ふうさん、コタローさん、愚妻。手元の資料はDVD購入者でもあるmiaさんが、毎回人数分コピーして持ってきてくれている。もちろん毎回猫へのお土産も忘れずに。参加者諸氏も摘まみのお菓子等を持参してくれるので、会場はいつも和やか。有難いことだ。



■半田kohsn氏、パート3の途中から登場。自分の画面を見るのはなんか変な気分で照れくさいと言うが、正面画面とPCモニターに映る彼の実体を右下にも同時に見る私の知覚もかなり妙な感じである。さて、ものおじしない当家の猫・みかんは、kohsen氏の膝も心地よい止まり木感覚なのか、そこの上で心地よさげである(画像左、奥にいるのはコタロー氏)。またパート4の合間には、極レア(?)なツーショットも披露した。



■仕事を終えて駆けつけたlaxmiさんも混ざって、幾何学的なものが見える話やヌース的な視界その他について、和やかながらも真剣に話し合う。猫のみかんは難しい話に頭を抱えて悩んでいるのか、ただ眠っているのか、ピアノの椅子の上で御覧の通りのポーズ。コタローさんの文系のヌース的な論理構築とアカデミックへの取り込みの話や、マルクスの著作の最初の部分における本意についての言及などがとても興味深い。

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■名古屋でのヌースレクチャーDVD鑑賞会(別名:猫のいるヌースDVD鑑賞会)が毎月開催されていると知って、kohsen氏がいずれ1回は顔を出さなくては…と言明していたのだが、今回はついにそれが実現することになった。わざわざそのために飛行機で福岡から駆け付けてくれたのみならず、夜遅くまでみんなと話をするために名古屋駅のそばに自分で宿まで取っての参戦である。実に有難く、参加者には想定外の喜びである。

■中部国際空港から列車に乗って名古屋へ、そしてそこから地下鉄に乗り継いで御器所に到着したkohsen氏から連絡が入る。迎えに行くと日向で待っていた彼の第一声は「暑かね…。」この日の名古屋は38度C+。9月になってもこの暑さである。日向をふらふら歩いていたら、突然バタッと倒れそうな空気の熱さと重さだ。当家に到着すると、参加者と挨拶。軽妙だが軽薄ではないkohsen氏は、初対面の人でもすぐフランクに話し合える。

■8時半頃まで色々な話をしていたが、夕食もかねていつもの通り近所のファミレス「ロイヤルホスト」に移動して、さらに様々な話を継続する。ふうさんの「ア・コース・イン・ミラクル」、laxmiさんのヘキサゴーナルな幾何学的世界の解明、コタローさんの政治学・経済学もからめた学術論文や著作への心意気などなど、ヌーソロジーとからめると話題が活性化して面白い。miaさんも帰宅を最終ムーンライトながらに乗ることにして話に参加。

■kohsen氏とコタロー氏のKK対話で、マルクスの資本論の最初の部分における本質を分かっている人は少ないが、ヌース的世界観への連結は十分可能だと言う話が出たので、私もその最初の部分を呼んで見ることにした。その横でふうさんは「コタローさんがマルクスを丸くする」とか「「まーるっくすで考えると、まるっくす違ってくる」などとふうさんノリの駄洒落脳が絶好調になる。後に愚妻も駆け付け、深夜まで怪快な話が続いたのであった。 

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■ボーナストラック的なおまけ画像



■当家でkohsen氏と猫のみかんとのツーショット。右の画像ではあくびをしているらしいみかんの絵づらが、何か歌うか叫んでいるようにも見える。kohsen氏の目は知的だが優しい。(画像はヌーソロジーロッジに投稿したLaxmiさんのものを借用。)



■食事も兼ねて近所のロイヤルホストにみんなで出かけたのだが、この画像はみんなと食事をした後のティータテムの合間に、私とkohsen氏が何やら論じているのを愚妻が撮った画像。鼻眼鏡のkohsen氏といい、私の手の怪しい交差の動きといい、愚妻は私たちを少しなめているのではないか?右手前はLaxmiさん。(ということで、画像ソースは愚妻のTwitPicより。)


ヌースレクチャーin福岡vol.12



    (PART−1)

■ヌースレクチャーin福岡の第12回は、まず最終回まで参加してくれた人たちへの感謝を述べ、今日は最後なのでいつもより爆裂するつもりですと言って笑いを誘っいつつスタート。今日はオコツトの交信と共にある意味ヌーソロジーの骨子であるカバラに関するネタバラシでもある。

■オコツトにアクセスしていた初期の頃、3重の十字架のイメージがずっとあった。惑星周期研究家で正当なオカルティストである高橋徹氏に会って間もない頃、初めてカバラーのことを紹介してもらったのだが、その内容とこの3重の十字架とのイメージがその時重なった。

■カバラーは深く広い射程を持って歴史の中で展開してきた秘教的なものであると考えられる。ヌーソロジーの20年と共に、カバラーも並行して捉えながら考えてきた。というか、長いこと惹かれてきたからこそ、このような話をするのである。

■人間の捉えている神や仏と言うものの概念をそろそろ変えようではないか。神託を受けたモーゼ5書の世界をベースに、カバラは様々な賢者が深い洞察を持って、神智学的な体系を構築してきた。この「一神」に対して異議申し立てをしたいのである。

■物質主義的価値観、貨幣一元主義経済など、この別な姿を持って現れている一者的なものに支配されている世界の閉塞感。哲学的な同一化。これらはヤハウェが影で暗躍しているのであり、ヌーソロジーはこれをつき破って新しい人間の世界観・宇宙に出て行こうとする。



■古い神は死んだ。新しい神を我々人間が作る。様々なユダヤ神秘主義は、現在カバラー神秘主義に全て統括されていった。ということで今回のメニューは以下の4パート。実際のところ、カバラはこの大系観察子Ω9〜Ω11の辺りを説いているようだ。

 (1)カバラの成立と「生命の樹」。
 (2)大系観察子Ω9〜Ω11周辺の話。
 (3)大系観察子と生命の樹の対応。
 (4)ルーリアカバラにおける想像と救済。

■「ルーリアカバラ」。ルーリアというのは近代カバラを確立したラビの名前である。ゾハールの書。12〜13世紀のスペイン。このルーリアカバラはヌーソロジーと多くの相似点がある。ルーリアは無から創造された世界ではなく、そこに最初から悪が混じっていたという解釈をしたのである。

■イスラエルという名前は、ヤコブが天使と戦って引き分けた結果貰った別名だからとても神聖なものである。それゆえにアシュケナージが中心となって第2次世界大戦後にその「地上的な」国を作ることに対しては、伝統的なラビたちがこぞって反対した。

■ユダヤ人たちが自分たちのアイデンティティを2000年間保つというのはとてつもなく大変なことだった。ユダヤ民族は歴史の中で生きながらえるために、その時代その時代の価値をどんどん吸収し、考え方を柔軟に修正していった(修正主義)。カバラは最終的に結果として残ったものだが、裏を返せばすべてを合体・凝縮しているとも言える。

■カバラという言葉は「受け取られたもの」もしくは「伝承」という意味だ。元は古代中東から起こった秘教的な思考をアレンジしたもの。カバラの原型となったものは?モーゼの立法が重要。諸宗教の交差衝突の地。古代史の折衷。ヘレニズム。



■生命の樹は別名セフィロトとも呼ばれている。10のセフィラー(ダートも入れると11だが、数には入れない)セフィラーは神の10個の神的な属性。10とは数そのもの。数とは段階的な霊。サファイア。光り輝く玉。セフィロトはその複数。それらをつなぐパスは22。ヘブライ文字の数。合計で32(33)の体系で宇宙の構造を考え表している。

■近代セフィロト理論はクリスチャンカバラ、魔術系カバラ、錬金術などにも派生した。ケテル。アイン…無。アイン・ソフ…神が神を見ること。自分自身を見たいと思って宇宙を創造した。『神が神を見る日』が本来の『人類が神を見る日』のタイトルだったのだが、これではさっぱりわけが分からないので当時はあっさりボツの悲哀(笑)。アイン・ソフ・アウル…無量光。

■セフィロトの世界を4つの世界に分けている。アツィルト界(流出)、ベリアー界(創造)、イェッツラー界(形成)、アッシャー界(活動)。アッシャー界が人間の場。ユダヤ人はここにいると考えている。いずれこの創造を逆に辿り、神に至る。セフィロトの男性原理…コクマー。女性原理…ビナー。

    (PART−2)

■キリスト教では「アダム」はあの最初の人類であるアダムそのものだが、ユダヤ教ではアダムとは人間の霊性そのもののことである。なおヌーソロジーにおける太陽系の惑星の対応は以下のようになっている。冥王星のオコツトは、オメガ11(ヒトの定質)をオメガ12(ヒトの性質)にするために活動していると解釈している。

■Ω1・マルクト・地球。  Ω2・イエソド・月。  Ω3・ホド・水星。  Ω4・ネツァク・金星。  Ω5・ティファレト・太陽。 Ω6・ゲブラー・火星。Ω7・ケセド・木星。  Ω8・ダート・土星。  Ω9・コクマー。Ω10・ビナー・海王星。  Ω11・ケテル△・冥王星。 Ω12・ケテル▽・惑星X。Ω13・アイン・真実の地球。 Ω14・アインソフ・真実の月。



■一神教の神を解体しなくてはならない。神が一番上だという卑屈な捉え方。ルサンチマンがある。そこへ昇って行くことが人間にとって大事であるという考え方。上ることばかりを考えているが、上るということはひっくり返った生命の樹では創造である。

■生命の樹は2本ある。イヴが食べたのは知識の樹の実だが、いくらこれを逆に昇ろうとしても叶わないでいる。追放された人間が楽園に戻れば人間は不死になる。ユダヤ教や神智学的な人たちは分かっていない。共通理解するような知がない。ひっくり返して両方ゲットしなくてはならない。双方向と言う考え方。

■自己と他者は全てが逆になっている。しかしある同一性の中に叩きこまれていて、自己と他者を同一に見るようになっている。自己と他者の対称性をケテルとマルクトの対称性として見る。この対称性を獲得して、この間にあるキアスムをカバラその他の諸思考に注入したいと考えている。エゼキエルは紀元前600年頃創造の神を幻視した時、4つの車輪をみた。メルカバー(マカバー)。4つの双対性。生命の樹を奪回せよ!ということ。

■現在まではノス(中和の力)が先に動いているのでヌース(等化の力)が表に出てこない。ヌースでは赤で表現している動きが先手で、青の動きが見えないのだ。ψ13。13は死を象徴する数。人間はまもなく「死」と呼ぶ領域に入る。最終構成。ψ14はシリコンメインのコンピュータと電脳世界。こちらが先手なので、それをどう用いたらいいのかが見えない。

■もうすぐ今までの赤先手・青後手(無意識)がひっくり返って、青が顕在化を起こす。すると無意識構造が幾何学的な構造として把握できるようになる。人間の意識の外面の顕在化。青が先手を取るようになっていく。そのように裏返った時はもう付帯質の外面とは言わず、内面と呼ぶことになる。



■我々の「魂」などと呼ばれて見えなかったものが、見えるようになってくる。人間の自己側における全体を発見すると、2013年からはまたこれらを等化する運動が起こって来る。顕在化した知識が共有される。そのこと自体では2013年から起こるということだ。

■ψ13までを顕在化させるとヒトと呼ばれる存在になる。人間の内部における意識の分離。ある思考などの何かが抜けて行く。両方を併せ持った者が変換人。世界観を相互了解するようになることが共有。宇宙・時間・人間・死などに対する概念が全く変わる。

■否定的なものを先手としていたものが、肯定的なものを先手とした世界観が出てくる。精神が先手になる。世界が反転している。付帯質の外面というものから、付帯質の内面へとかわっている。人間の時間感覚での6500年。

■精神の内面方向。8まで来たものが交差を起こす。ヒトの思形Ω9と人の感性Ω10。これが一体何をやるかということが、第3枠で語られる。人間の内面と外面はψレベルにおけるコンパスの左半分と右半分に対応する。人間の意識の内面の一部である。

■オコツトは奇数系を全て精神と呼び、偶数系を全てフタイシツと呼んでいる。最終的な混乱を避けるために、現在はいろいろと分かりにくいが変えないようにしている。人間の意識の外面とはほぼ人間の無意識のこととして捉えて置いてかまわない。



    (PART−3)

■オコツトはケイブコンパス上の動きにおいて、上に乗っかって来ること(青)を上次元と表現する。赤が下次元。ここで非常に皮肉なことが起こる。先手となった青は影響を与える。付帯質の内面が逆転する。自らが進化を起こすことによって付帯質の内面を外面に反転させてしまう。ドゥールーズの表現で言えば「神によるダブルバインド」。

■人間の意識の覚醒から人間の意識の時間にして約6500年後、ヒトは次のレベルの精神活動の場所である「精神の内面の方向」へと意識の方向性を向ける。この時生まれる方向性への等化力の流れのことを「ヒトの思形=Ω9」と呼ぶ。時間の方向としては虚時間の中で反転して、6500年前に接続しているということ。これからの未来の話が過去の原因ともなっていく。

■素粒子世界には時間はない。時空から脱出したものであるとも言える。時間と虚時間の双方向を認識できる意識存在においては、現時点で人間を育んでいる外在世界が今から約6500年前に出現したとも言えるし、今から6500年後に出現したとも言えるのだろう。

■ヒトの思形の活動と人間の意識の内面の活動の間に生じている、時間に関する不可解な問題。ヒトが誕生して約6500年経過したところは、人間にとっては約6500年前の世界にもなっているということだ。付帯質の内面の形成が人間の認識している時間の流れを約13000年前まで引き戻す働きを持っていると解釈することができる。

■ということはすなわち今現在は13000年前の世界であるとも言えるし、13000年後の世界であるとも言えることになる。人間の時間認識での13000年周期の永劫回帰が存在することになる。今から起こることはかつて起こったこと。かつて起こったことは今から起こること。ニーチェ風には「存在の輪は永遠に回り続ける」。




■人間の歴史を物証的なものから実証している歴史観が逆転していくものと考えられる。現在の歴史時間やダーウィンの進化論は明らかに間違っているのだが、ニューエイジやニューサイエンス、アカデミズムの哲学などは、このあたりのことを考えも口にしない。また思いついていても周囲や全体の中で明らかにすることを遠慮している。

■ヒトの思形と感性は人間の定質と性質に対して、それぞれが全く逆の方向を向いている。この逆転性がおそらく反定質と反性質という命名の由来になっているのだろう。ヒトの思形⇒反定質の元。ヒトの関係⇒反性質の元とうことだ。

■死は創造空間とつながっている。人間をエロスとして働かせて活動させているのは男性的エネルギーであり、抑圧されて隠れている女性的エネルギーはいまだ顕現していない。ラカン曰く「女は存在しない」。

■正統なイブ。これは通常に言うところのものと同じではない。これが開放されると、女上位になると貪欲・淫乱になるリリス。我々のこと。今の人間のこと。アダムは存在の母に動かされ、イブは存在の父に動かされている。追放になったのは実はリリスであった。イブはリリスの先妻。

■押し進められた調整作用による臨界点のことを「ヒトの最終構成」という。ヒトによる調整はその下部構造(下次元)としての付帯質の外面の世界に直結しているので、結果的にはヒトの最終構成が起こると、必然的に人間の最終構成も起こるということになる。



■Ω9の持つ力の方向性は「精神の内面性への方向性」というが、このことは人間における思形であった次元観察子ψ9の本質がψ13の力にあったように、ヒトの思形であるΩ9の力の本質もまたその裏で暗躍しているψ13の力によって支えられているということを意味する。

    (PART−4)

■カバラの上向きの三角形△と下向きの三角形▽は自己と他者である。世の中で見えないものが一つだけある。自分の顔は見えない。他者の顔は全部見える。その意味において自己と他者において絶対的な違いがある。

■他者の顔は見えるが自分の顔だけが見えないというのが特殊性なのではない。単独者として存在している。そして自分がその中心になっている。しかしその中心が見えない。神は言った。私は私を見るために世界を作った。私自身が見えるようになって初めて真の他者に辿りつくのである。

■他者を作る。自分自身を救うために他者を救う。自分の姿がこのように見えているが、見えている他者はみなΩ11である。姿が見えない自分自身がΩ12。初期化されているから見えない。神から言えば創造の終わりの者である。神からのプレゼンス。贈り物。眼前のもの。

■自分の魂は始まりのものだから、他者からみればそれは逆のΩ11とΩ12である。自分自身にしてみればΩ*11とΩ*12である。人間同士を束ねたものが神の世界。時間の矢を逆転しているのに全く気付かない。自分は絶えず不在としてしか感じ取れない顔。



■カバラ的には神は人間の人格としてしか表現されない。私たちは2つの顔を絶えず見ている。唯の自分の鏡としての他者という見方と、自分がずーっと向こう側に回ってそれを通して自分を見る他者から見た自分とは、萎縮している自分と広がり続ける自分との圧倒的な差がある。

■自我の呪いから、「永遠の汝」としてじゆうであるもの。他者。自我は単独者は終わっている。なぜ人を殺してはいけないのか。他者の顔に「汝殺すなかれ」と書いてあるから…とレビナスは言う。本当の私とは本当のあなたなのである。だから殺してはいけないのだ。他者は未来からやって来る。

■カバラの中にはこのような自己他者観が入っているものと思われる。Ω11は肉体である。人間の内面の意識を作るものは言葉。言葉はPリンで作られているとはオコツトの言葉。リンPはエネルギー代謝の全てを司っている。DNAの端に付いているリン酸。

)個人的注釈:リンPの重要性とヌーソロジー的な諸関係について。
・正12面体と正20面体の辺は30あるが、対性を有しているので方向性としては15である。これは5重対称性の複合立体としてのワールドグリッドの大円の数15とも深く関係している。・28日の暦とも重ねられる基音Cに対する28度上音の振動数は15倍。つまり4オクターブの最初の音と最後の音の振動数比が1:15であるということ。・地球と海王星の表面積比もまた1:15である。・金星の公転周期は15の2乗の225である。・1+2+3+4+5=15。・15⇒3次方陣の定和。

■「有機体」とはオコツトに言わせれば全く位置が見えていないもの。宇宙的な精神が全く生まれていないもの。私たちは物質の生成、には全く関与していない。エントロピーが私たちそのものだから。ネゲントロピーを私たちは持っていない。

■お互いが相手こそが本当の私であると思っている世界。それがΩ13である。自分の肉体を指して「これがオレだもん」と言う者は、自分の顔が見えない。



■ヒトの性質として生きていた人間を全てヒトの定質へと変換していく。惑星Xの出現とはΩ11とΩ12の等化が力を持った時に起こるとオコツトは言う。

■同一性の土台。個物における単一性。全体における単一性。この2つの一を同じものとして見る。個物における単一性…モナス。全体における単一性…ヘナス。全体における1と個物における1。最終構成がおきたのでこれを解体しなくてはならない。

■反転とは個物における1を2つに分離すること。それはこのままではこの宇宙がだめになってしまうと考えた神が、自分を2つに分けたのである。自己と他者が差異を見出した。この差異を作る。ルーリアというラビがこのことを言った。

■コルドベロとルーリア。人の偉大なラビ。コルドベロは人類初の構造主義者とも言われている。ルーリアはチャネリングして接神体験を持っていた。1492年スペインからのユダヤ人の追放という大事件があった。スペインにあったユダヤ教の精神的支柱の危機。ユダヤ教における悪の自覚。カバラに修正を加える。

■ルーリアは悪をカバラに入れてくる。既存の中にはなかった3つの概念。神は悪から退却するために自己収縮を行った。残された空虚の場に新しい創造物を作った。ツィムツーム(=神の自己収縮)。悪はあるのだ。そして満たされているのだが、神の世界にも悪はあったとして納得する。



■シェビーラース・ハ=ケリーム(=器の破壊)。10個のセフィロトの内の6個が消え去った(ダートも入れれば7つ)。上位の3つとマルクトだけが残った。そしてティックーン(=容器の修復)。創造の再発火を起こして、破壊された6つのセフィロトを修復させること。

■これはヌーソロジーと全く同じことを言っている。伝統的なカバラは上から作っていった。しかし下から修復するしかないというのがルーリアカバラ。ヌーソロジーではΩ9とΩ10が出てきた時に、せっかく作り上げてきた7と8の力がひっくり返ってしまう。

■コグマーとビナーの発する光が余りにも強すぎたので、(9が出てきたことによって)真ん中の2〜8までの中心部分のセフィラーを吹き飛ばしてしまった。時空に重なっている神を2つに分けられたものが弁証法的に世界を再構築していく。ヌーソロジーと非常に対応性がある。

■マルクトをケテルと見ることと、ケテルをマルクトとして見ることを同時に成すことで、Ω13とΩ14とも繋がる。ヌーソロジーは宇宙論の体裁を取っているが、自己他者の関係を追求するもの。全ての物質に霊が宿っていなければならない。キリストは1人ではなく2人いなくてはならない。

■最後はなんやかやで話があちこちととび、そしてまとめ上げた後に、「永遠なるパルーシア」を朗読して、12回のレクチャーシリーズをパワフルに次回にも連結させつつ終了。以降は3か月に1回ほどのカフェスタイルでテーマごとにやっていくようである。 


人間、ヒト、変換人、2039年 …NOOS Lec#11 part3より



■1999年当時太陽系に起こったグランドクロスとは、大系観察子Ω13の働きを持つ精神の覚醒を意味するということらしい。Ω13の作用は単に「対化の等化」と呼ばれ、ヒトの定質=Ω11と性質=Ω12という巨大な対化を等化して次元機構全体を反転させる精神の発動である。今まで眠っていたΩ13を目覚めさせる。Ω11は太陽系惑星では冥王星。自分たちの進化の一環として人間の進化がある。Ω11をΩ12へと変換していかねばならない。

■付帯質の内面領域に侵入を果たした意識を持つ人間の事を「変換人」と言う。ここで言う変換とは、人間をヒトという高次元知性体へと変換させていくという意味だ。変換人とは人間とヒトの中間種のような存在と考えられる。ヒトの次元へと進化を起こすまでに、変換人は人間の意識では潜在化していたψ1〜ψ14までの次元観察子を顕在化させていかねばならない。

■ユークリッド次元でいう7次元空間に対する知覚を獲得するということでもある。この空間知覚能力によって人間の意識を支配していた自己同一性の全てが解体することになる。核質の解体。これがOCOTのいう自我の消滅の本質である。3軸健康法などの軸は身体固有の軸であって、幾何学的な外在の3軸ではない。感じてはいても、それを顕在化させ、知性で表現しなくてはいけない。



■背後で暗躍していた高次元構造体。潜在意識を無意識と言うのであれば、それの統合。人間の意識の知性と感性の統合。アポロン的なものとディオニソス的なもの。生命力の荒々しいエネルギーを人間は知性で抑圧している。しかしそれを顕現化していかねばならない。noosを先手とする流れと、nosをとする流れ。人間の意識の変換と人間の意識の転換。この差異は潜在化したままで見えない。

■付帯質の内面においては一方はヒトの世界へと進化していくもの、他方は再び人間の世界へと戻されるものに意識の方向が2つに分離するということを意味する。シリウスAとシリウスB。これは個体別の分別ではなく、個人の中での分離。ワルに徹底した精神は「ワルもここまで極めれば大したものだなあ」という感想すら持たれることがある。意識の強さと弱さ。ニーチェ風に言えば、強弱が分かれる。

■1989年から着々と始まっているという話顕在化の共有ができ始めるのが2013。これまで人間の個体意識や歴史的意識を担っていた力の流れの構造がある程度見えてくるということを意味している。覚醒作用の等化は2013〜2039年までの26年間で終了する。覚醒作用の等化を終えた意識状態のことをヒトと呼び、それまで変換人の意識だったものはこの時点でヒトの精神とされる大系観察子Ω7に入る。



■Ω7に入る=入神だが、この「入神」とは精神に入るという意味であり神に成るではない。瞑想とは覚醒状態の時の技術であり、知性がそれを掴んだ後に行うものだ。やみくもに世界に地図もなにもなく入ると大変なことになる。Ω1〜2、Ω3〜4、Ω5〜6(ψ11〜12と重なる)、Ω7〜8、Ω9〜10、Ω11〜12、Ω13〜14が各チャクラと重なっている。

■変換側の意識に入神が起こると、転換側で働いていた人間の意識の対化は互いの力の根拠(差異)を相殺作用によって失ってしまう。このような状態を人間の意識の中和と言う。ここで人間の意識の働きは一旦消える(OCOT)。つまり消滅してしまう。対消滅。物質と反物質が全て光となって消滅してしまうのだ。一回初期化される。2037〜2039年。今働かしている意識が機能しなくなる。

■一回麻痺する?仮死状態?SFとして聞いていなくてはならない。方向が切り替わる。期間的にどれくらいか分からない。土星の働き。十牛図の八番目と同じである。何もない真っ白の状態。ナチス(ヒトラー)の秘教主義での2039年の予言。ヒトの次元は人間の時間認識で約6500年くらいの間続く(OCOT)。元素的には原子番号13と14、アルミニウムとケイ素として現象化している。地球の地殻世界に当たる。



■次元の7つの階層。原子番号と対応している。1と2は水素とヘリウム。7と8が窒素と酸素。13と14がアルミニウムとケイ素19と20、カリウムとカルシウム。25と26、マンガンと鉄。これは地球と言う天体にも表れている。宇宙・大気・地殻・(人間の肉体?・)地球の核に対応?アルミニウムは体の外を支えている力であり、ケイ素は体の中を支えている力ではないか?

■食べ物が人間を変えるので、良いものを選んで食べるという参加者の話に対してのkohsen氏の意見。ヌース的には本質は食いものではなく、如何に人生にポジティブに生きていくか、意志が強いか弱いかの方がより問題だ。意識の方が重要である。この食でなければダメだというのも全体的ファシズムであり、ルサンチマンである。人の思いが人間の身体の中の原子を変え得るのか。

■付帯質の外面で生きている限りは、身体を変えていくことはできない。変えるのは電磁波。イオン交換は我々の意識だが、本質的な原子成生は原理的には無理である。人間の体内ではやっている。



■さて次回はいよいよレクチャーも最終回。全体像を示す続き。締めの話は、ニーチェの話を元にしたSF的な話。ニーチェを超えるべく、超人を超えて超超人にならなければならないというくらいの心意気で行かねばならない。神学の根幹になるカバラを背景に、キリスト教精神のルーツであるユダヤの話をする。ニーチェの表現で言えば、神の奴隷的精神を断つ作業をする予定。

                          (この項以上)


自己と他者の遥かなる隔たり  …NOOS Lec#11 part2より



■今回は人間の時間認識にして26000年周期で回転している「大系観察子Ωの世界」が初めて語られている。壮大なる仮説として受け取ろう。この本質的な部分は「自己と他者」の時間の問題だ。私たちは共通の暦・共通の時間で生きているつもりでいる。しかしヌーソロジーでは他者の世界と自分の世界とは13000年のタイムラグがあると主張し、この時間の差異を根源的な自己と他者の差異として捉えている。

■私は私から出れない。実のところ現実的に私たちは他者の身になって世界を見ることができない。私の目の前にいる他者は、実は私の世界内部の他者であり、他者自身ではない。他者はこの私の認識把握している全世界からは絶対的な外部にいる。この差異が13000年の差異として存在している。私の世界という領域と他者の世界の領域の隔たりである。

■ここで資料「大系観察子の運動秩序」の図を見ながら話が始まる。次元観察子と構造は全く同じで、ただ次元だけが違うだけだ。ヌースの初期に頻出していた4つの言葉がある。それは「負帯質の外面、負帯質の内面、精神の内面、精神の外面」だ。20年かかってやっと分かったとkohsen氏は語り、ここに登場させている。ものすごく巨大な構造であった。この4つの構造に沿って話を進めることになる。



■自己と他者の間には大きな4つの構造が挟まっている。「愛は遠い。絶望的に遠い。」それぞれ人間の時間感覚でそれぞれ6500年ずつで、合わせて26000年かかる。この方向を次元の方向性と呼んでいる。ニーチェ的に言えば創造の方向性だ。付帯質の外面において2つの相反する意識の働きのことを、それぞれ反定質と反性質と呼ぶ。反定質とは人間の自我意識として創りだされていく意識の流れのことだ。

■反性質とは反対に自我意識を確立させていく力の流れのこと。この反性質は自我を背後で支配しているという無意識の主体側が持った意識とも言える。反定質(自我意識)と反性質(無意識)とは方向性が全く逆のものとしてケイブコンパスでは示されている。「人間の意識の内面」と「人間の内面」は大系観察子的表現と次元観察子的表現であり、混乱しないようにしなくてはならない。

■自我意識の流動がnos、無意識の主体意識の流動がnoosによって保持されている。人間の自我意識の形成は中和と等化を持った観察子の対称性の拡張運動によって進展していく。この発展段階はドゥルーズ=ガタリの欲望機械論で示された次の3つの段階に対応させることが可能である。すなわちψ8〜ψ7が「原始土地機械」、ψ10〜9が「専制君主機械」、ψ12〜11が「資本主義機械」である。



■ここから「付帯質の内面」に話が移る。付帯質の内面とは人間の意識が活動している場所のことだ。OCOT情報では人間の最終構成が契機となって人間の意識の覚醒が始まると言う。ニーチェ的に言えば、ニヒリズムが極地に至ってようやく価値の大転換が始まるということだ。ここから人間が生成そのものへと変身していくことになる。

■人間の意識の覚醒とは、今まで潜在化していた人間の意識の外面領域(無意識の主体であったもの)が意識に顕在化してくることをいう。これにより付帯質の外面から内面へと意識の反転を支えていた機構自体が反転を起こす。この反転の決行により、人間の外面の世界へと本館的に突入していくということになる。「超人とは大地の意義である」(ニーチェ)。

■ここで斉藤さんの質問への答。ψ1と2はモノそのものの世界。背景がなければまだ認識できない。見るということができない。それを成させしめるのがψ3だ。そしてその反映としてψ4がある。観察するものとされるものとの差異。この差異がないのがψ1とψ2。中和されてしまって差異が見えないのだ。どうすれば良いのか?ドールーズ的に言えばこの差異の連続体を再現しようということだ。



■内在平面。フラット。等化の交換。主体と客体と言うものを先ずひっくり返すこと。これが否定的なものを肯定的なものに反転する力を生む。この反転の決行により、人間の外面に存在している地球が顕在化を起こす。これはおそらくψ7に対応している。そしてこのψ1から意識は成生の世界へと本格的に突入していくということになる。付帯質の内面方向への意識の反転形成は1999年から開始された(OCOT)。

■ψ13までの7段階。7次元。人間の自我の本質だ。ここは人間の自己・自我の同一性を確保している場所であり、太陽を燃えさせている空間でもある。私たち人間は他者から見た世界から自分を見ている。止核。4次元の方向。差異。同一性の方向からはもう出ている。絶対的前。4次元。絶対的不動としての身体というものにおける前後左右上下の方向。身体からはその方向が絶対的に見えない。

■ものが1,2,3次元。ものと身体をつなぐところが4次元だ。内面と外面の4次元。前後軸を貫いているもの。左右の耳の位置を通して直交しているのが5次元。回転とは意識的操作。左右から来るもの、思形。主観の中に客観を引きこんでくる働き。背骨を通る軸。自我の本質。この軸が資本主義の本質を作っている。その身体に直交する3軸、4,5,6次元。それを統合したものとしての7次元。



■人間は3次元にあわせて3次元だと思っている。これを7次元として逆に重ねなさいよと言うこと。素粒子世界。時空にはりついた7次元的世界。今まで素粒子として考えていたものを、この世界の上に見ることができるようになるということだ。生成の本質の世界。骨格となる構造は実にシンプルである。肯定的に重ねるとは、この方向に重ねていくこと。

                     (その3に続く)


ニーチェは何を語ったか… …NOOS Lec#11 part1より

(※)今回の内容リポートは私個人の聞き間違えや解釈の違いの可能性なども自由因子として含まれているので、私個人のバイアスがかかっているであろう事を忘れずにお読みください。なお本文の内容は、特に注意書きがない限り半田kohsen氏が語る主体であるということも失念なきように。



■今回は今シリーズ全12回の第11回だ。11と言う数からは、まずスペイン優勝でつい今朝幕を閉じたばかりのワールドカップサッカーの1チームがピッチ上に立つ人数を連想する。サッカーに関してはまた別に話を記したいと思うが、ヌーソロジー的には「11」は鏡の数としても捉えられている。鏡開き。そしてその11の本質は「永劫回帰」であると強く主張し、ここからおもむろにニーチェの話が始まった。

■ニーチェは短命だった。『ツァラストゥストラはかく語りき』が有名である。『悲劇の誕生』は28歳に書いた。46歳くらいまでしか正常人でなく、それ以降はいわゆる狂人的な生き様を呈した。ニーチェは1844年プロシアの片田舎に生まれ、父はプロテスタントの司祭だった。厳格な教育環境の中で育ったが、父は4〜5歳頃に亡くなった。それ以降周囲は女性だらけであり、小さいころから神童と呼ばれていた。

■大学では神学を学び、またソクラテス以前のギリシアを学んだ。しかしフィシスの自然観などをベースに自分の哲学を固めていき、神学からはだんだん離れていった。ニーチェは大学において哲学者にして教員であるということに矛盾を感じていた。教師として教えると言う立場は保守的であり、新しいものを生みだす立場とは異なる。彼は25歳で教授になったが、自分の思想が第一だと考えて35歳で止めてしまう。

■しかしニーチェは友人たちに恵まれていて、彼らの尽力で大学から年金を貰えることになった。豊かな生活はできないが、それでもそれなりに自由にイタリアやフランスを放浪しながら一生を過ごすことになる。結局彼はイタリアのトリノで発狂する。街中で言うことを聞かない馬車の馬を叩きのめす御者に対して、ニーチェは馬を打たないでくれと泣きながら嘆願する。

■世界は自分自身であり、あらゆるものが自分自身であるという狂気の中の垣間見る自己同一性から、この馬もまた自分自身であっるという通常の人間世界からすると狂気と称することができるこのような世界を、半田kohsen氏も今から28年ほど前の現実体験から良く分かると語っている。その当時、その狂気体験の少なからずの部分を間近で見ていた私としては、ほぼ同じものであろうと推測することはできる(笑←ここ、マジ過ぎてはいけません)。



■10代後半に女遊びをした結果として30代の頃に梅毒の菌に脳を冒されてしまっていたという話もある。YouTubeで拾ってきた生前のニーチェの画像を1分ほど流す。貴重で悲惨な画像。ニーチェは確たる哲学理論と言うものを描き残したわけではない。その世の中に対して考えていること・大いなる哲学を一種のアフォリズム、警句・短文・エピグラムの形で表しているが、これらが後の哲学者に多大な影響を与えている。

■ニーチェは何を語ったのか?『喜ばしき知識』の中で彼はこう叫ぶ。「おまえたちとおれが神を殺害したのだ。神を殺したのはお前たちと俺だ。」19世紀末の神の死とはなにのことだったのだろう?確定した読み方はないが、それ以前の欧州世界はずっとキリスト教に支配されていた。その神中心の世界観の終わり。神離れしたことにより人間の理性を確固たるものにした。科学、経済、芸術、新しい世界観。

■神の権威は薄らぎはしたが、人間の「理性」がその神的な存在の位置に収まるべきものということになってきた。神というものの移設である。自分たちで神を殺しておいて、別の(偽の)神を作った。元々はエジプト人であったモーゼを殺してユダヤ人に仕立てたユダヤ人…とフロイトは表現した。そのような神・理性ですらも当てにならないものである。もはや神と言う中心になるものはない。

■価値の中心というものを失った時代には、ニヒリズムが生まれる。人生には価値も目的も意味もない。これは受動的なニヒリズムである。実はニヒリズムには2種類がある。受動的なものと、能動的なものと。あらゆる宗教はルサンチマン(うらみ・ねたみ・そねみ)の塊である。善悪の価値観はルサンチマンが作っている。キリスト教における欺瞞である原罪思想。

■善悪は外部から決めつけられて与えられるものではなく、内部で自分自身が決定するものである。自分の善しと判断したことを断固たる強き意思を持って成すということ。このようなニーチェの思想では極端な話としては、ヒトラーはマリア・テレサより正しいと言うことになってしまう。しかしニーチェは本当の神を求めていたのであり、でっちあげられた神やそれを作る人間を強烈に批判したのである。



■「永劫回帰」という思想をもって、徹底して現在の状況を受け入れろとニーチェは主張した。あなたは今経験している人生を過去に何度も経験しているし、未来にもまた何度も経験するであろう。これは「輪廻思想」のようにも聞こえるが、実は全く正反対の事を言っている。何度も生まれ変わるが、その生まれかわるところはより良い別の世界ではなく、何度も何度もまたほかならぬ「ここ」なのである。

■これは今はたった1回しかないということの強調でもあり、起こったことはもう取り戻せないのだから、目前の全てを肯定せよということでもある。ルサンチマンには主体性がない。善悪は「主体」が決めればいいのに、社会による調教により生かされている。判断の基準が外部からやってくる。人間の主体がない教え。宗教全般はそういうものである。その世界の生成に対してなぜそのような酷いことをするのか。

■人間の作っている道徳や価値観はみんな嘘っぱちである。人に向かって話す思想ではなく、自分の内在野における思想である。間違っても徒党を組んで教え広めることではない。布教は最大の欺瞞だ。全ては内在である。「ヒトラーが正しい」というのは、極端な話このような境地に立った場合、殺人さえも是とされるという考え方である。もちろんkohsen氏がこの思想と同一化しているわけではない。

■ヌーソロジーはこれを乗り越えようとしているのだ。さてニーチェの出してきた「超人」というテーゼ。これが何かについては哲学畑の中でも諸説ある。ニーチェがなぜツァラストゥストラを持ってきたのか?ニーチェは友人たちに対しても、古代世界に神秘を置くことに対しはて否定していたというのに。これは彼の文献学の中のゾロアスターから持ってきている。「東方」に古代ギリシア哲学の発祥があったであろう。

■東方神智学。ミトラ教、ゾロアスター教。プラトンですら師ソクラテスを殺された後、バクトリアという東方の国に行って学び、その知を持って故郷に戻って来た。ゾロアスター教の中には、人間は1万2千年ごとの周期で世界は巡るという思想があった。一度巡ったことはまた戻ってきて、魂レベルで繰り返す。物質と霊のサイクル。ニーチェもまたその知を研究し、キリスト教を超えようとしたのではなかろうか。



■見ている世界は我々が作ったものであり、そのことを忘れてはいるが、私たちがそれを再び検証している。ニーチェは永劫回帰を悟り、新しき大地に立つ者を「超人」と表した。超人とは生成である。価値転換を図る能動者である。超人とは大地の意義である。20世紀の哲学者には存在の構造を暴きだそうとしていた。ニーチェの表現だと「同一性の解体」。OCOTの言うところの「人間型ゲシュタルトの解体」。

■この同一性が解体すれば私はあなたであり、ニーチェが抱きついた馬であり、世界そのものでもあることになる。否定を続けても仕方がない。まずあらゆるものを肯定せよ。これが進めば、自我が消滅していくであろう。「変換人」とニーチェの言う「超人」とがヌース的には重なる。ニーチェ風に言えば、ヌースは超人的な表現である。レクチャーはしているが、これはただ種を蒔けば良いのである。

■人間はつねに否定が先行している。この否定性のために、他人を否定して自分を正当化しようとするような思考で生き続ける。ヌースの外面と内面を、この否定と肯定に置き変えられないだろうか。付帯質は何もないところに言葉が増殖していき、そこに概念が溢れていく。人間の思考パターン。無からどうやって有が生まれたのだ?という発想自体がすでに否定でもある。ニーチェはむしろ原始仏教的である。

■現在の人間の付帯質先行が、人間が否定先行であるということと本質的に同じなのではないか。今は既に肯定的なものに変換していく時代に来ている。OCOTの言うところの最終構成だ。意識の流れには2つの流れがある。すなわち否定的なものが先にくるものと、肯定的なものが先行するものとだ。さてでは能動的ニヒリズムとは何かという問い。それは中沢新一の言葉で言えば「寛容的な無関心」である。

■何も価値観がないところから新しい価値観を立ち上げる、というところで能動的であり、破壊的ではない。キリスト教では神の創造を語るが、生成・創造と言うことに対して、仏教はどのように言っているのか?、ニーチェは、イエスは反キリスト者であるとも言っている。イエスのことを決して否定してはいない。ニーチェの病気があの思想を作ったという話もある。

■病は確かにルサンチマンだが、自分は病人からの視点からも健康を見たし、健康な視点からも病人を見たところから考えていると言ったらしい。 

                     (その2へ続く)


ヌースレクチャーDVD鑑賞会終了



■我が家で行われている毎月のイベント。今回はコタローさん、ふうさん、miaさん、私、そして猫2匹。猫はしっり参加しているつもりの様子である。猫たちもいつになくしっかりくつろいでいた。上の画像はみかん。ヌースDVDの後に「動くエッシャーの絵」のDVDを上映した時、動き回るエッシャー虫の動きに目を奪われ、ずっと凝視していた。  

■ふすま2枚を立てかけてその上に模造紙を張り、そこにプロジェクターで画像を投射しているところ。画像では暗くて見にくいが、猫はカラーボックスの上に乗り、さらにその上の画像に手を伸ばそうとしている。猫バカの私は、ヌーソロジーの内容と感想はそっちのけで、猫画像を上げた時点でもう満足している。




絵からワニが浮き出てきて、文房具などの上を一回りしてから、またもとの絵に戻る画像なのだが、このうねうね動きが気になって仕方ないらしく、時々伸び上がってタッチしていた。参加者にもかなりウケ他の出、これまた満足の私である。



来月の「猫のいるヌースレクチャーDVD鑑賞会in名古屋」は5月1日開催の予定らしい。(←あれ、なんかいつの間にかタイトルによけいなものがついてしまっている気がするが…笑)


Noos Lecture Report (vol.6)



さて、2010年ヌースレクチャー第6回をTwitterでリアルタイムリポートしていたので、それをまとめ直してアップしておきます。興味のある人はテープ起こしほど正確ではないけれど、大体の感じは分かるかも知れません。まあDVD化されるまでのつなぎという感じでもいいかと思います。今回は大幅修正が入るかも知れないので、ある意味貴重かも知れません(笑)。


資料の図との説明対応がないこと、個人的な誤解や理解していないところや聞き間違いなどもないとは言えないので、kohsen氏や諸氏の修正や補佐を強く望む次第です。与えられるだけでなく与え合うことが重要かと考えているので、即座に「助け舟」を出せなかった代わりでもあります。「情報は公平かつ無償で迅速に!」がモットーなのでよろしく(…あ、なんかカッコいいこと言ってるかも、わし)。



PART−1------------------------------------------

■さて始まりました、2010年最初のヌースレクチャー。話の枕は最近話題の、オリオン星座中の赤色巨星ペテルギウスの縮小から。超新星爆発はもういつ起こってもおかしくない状況だと科学者は言っている。爆発したら満月くらいの明かるさになると言う話もあるそうだ。

■オリオンからのプレ・チャネリングでのNOMIからの情報だと、この星が今の人間の本質、人間精神の根底を支えていて「テツ」と呼ばれている。原子番号26鉄と同じ名だ。これが爆発するとかなりの大異変なのだろうが、すでに人間の本質がゆらいでいるのではないか。

■これを枕に自己と他者のトポスへ。人間型ゲシュタルトから別のゲシュタルトへ。ヌーソロジー的には全く別の場所へと自己と他者が移っていくのだ。人間はプレアデスから離れてシリウスへと移っていく。当然、物質的な星の事だけを言っているのではない。射影と反映。

■ヌーソロジーではまだマクロ世界へのトレースは未完である。Ψ3と4からΨ5と6に話題は移る。まずは今回の内容のお題提示から。オリオンとシリウス。神話のシリウスビジョン。垂心から垂質へ。背中合わせの自己と他者。以上4つのテーマで今日は展開していく予定だ。

■ヌーソロジーとシリウスについて。オコツト情報は謎のままが多い。オコツト自身がシリウスと関係しており、冥王星を通して情報を送ってきている。シリウスと冥王星の関係。変換作用。シリウスとオリオンとプレアデスの三位一体の関係。子がプレアデス、精霊がシリウス、父がオリオンに対応する。

■キリスト教的世界の三位一体に対して、ユダヤ教は父と子の頑なな契約からなる一神教だ。これが人間型ゲシュタルトの元。科学的な客観的視線とは一体誰が見ているのか?それは父たる神の視線である。これを契約解除しよう。子から発する精霊を回復するために。

■ドゴン族の情報によれば、かつてこの星はシリウスだった。そしてまたオリオンでもあった。「変換作用」とは何か?シリウスとは?次元観察子の1〜8。体系観察子。シリウスはオメガ7。プサイに翻訳する時、プサイ13にまで至ると、オメガ7に至る。これがシリウスだ。

■これが付帯質に反映された反転作用。かつてシリウスまでの流れがあった。その先のシリウスの進化の方向。赤の中に青が入っていく。青先手。進化しようとすると青が赤に関与する。赤が先手で青が後手になる転倒の働きが生じる。これがプレアデス。人間の現状。

■物質世界中心に世界を見るようになる。人間は倒錯している。鏡像空間。名前を与えてネットワークを作る。プレアデス・人間・子。シリウス・ヒト・精霊。オリオン・真実の人間・父。水の洗礼、水の受難。水槽・水の中・再浮上。象徴。父と子の契約を意味する。

■それらが次元として重なることで関与する。それによって動かされている。人間の男性的な世界観と女性的な世界観がある。もしくは理性か感性かなどのように。男性世界から女性世界に帰るというのではなく、両性具有のセクシャリティが誕生してくるということである。



PART−2
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■次の話は神話を通したシリウスのビジョン。イシス・オシリス神話で、古代エジプトの男神・女神であり、日本のイザナギ・イザナミのようなもの。ネフティスとゲブとで全部で4兄弟だったが、ゲブがイシスを自分のものとすべく、オシリスを殺して14の肉片にしてしまう。

■イシスはナイルのほとりを巡って13までのパーツを集めるが最後の1つは見つからないままだった。トートに頼んで時間を止めてもらい、黄金を使って黒い儀式でオシリスの14番目パーツ(ペニス)を創り、蘇ったオシリスの種を宿す。それが太陽神ホルスとなってゲブを殺す。

■問題は14の部位の13と再構成した1つによって、再創造するという部分だ。時間を止めるということ。思考では身体を取り戻せない。イシスが古代エジプトではピラミッドでもある。イシスの神殿。天空ではイシスがシリウスだとすると、オシリスがオリオンと対応する。

■オコツト情報では、意識から付帯質を外すことによってピラミッドを作ったという。岩石の主要素材である原子番号14:Siケイ素と、オシリスの14番目の最後のパーツという符合と意味。「14」の完全化によって、この世界がぐにゃぐにゃに見えてくる。概念のボルトをはずしていく。

■これだけなら発狂するだろうが、重なっている世界があるはずだ。オリオンの3ツ星は最終構成の集約で、このようなものが8回ある。オリオン星座の4つの外側の星は4つの交代化の次元。13+13=26の鉄の原子番号。ホピの予言。フナブ・ク・インターバルの4周期で1くくり。

■『青い狐』ドゴンの宇宙観。作者は5人の美女を伴って調査のためにドゴン族の中に入り研究を続けた。「いいなあ」とkohsen氏(笑)。中沢新一がこの本を日本で出版させた。ポストモダンの思想家とドゴン族のイメージが重なった。この本には宇宙の秘密が書いてあるとkohsen氏。

■kohsen氏はこの本を読んでオコツト情報との相似に震えた。ドゴン族の人たちはシリウスからやって来た。シリウスは連星。AとB。楕円の焦点。双子星。19世紀末に天文学が発見。ドゴン族はそれよりずっと先に木星の4大衛星などと共に知っていた。マヤンの世界観同様ずっと進んでいた。

■シリウスの背後にオリオンがいる。オリオンはアンマの座と言われている。アンマはドゴン族の神。アンマの鎖骨4つ。アンマは8人いる。双子4組。フォニオという名前。シリウスを支配。出来が悪い8番目のノンモが、自分も宇宙を作れると作ったのが我々の宇宙。我々人間…オゴ。

■双子の4組。元止揚。ヌーソロジーは創造の2段階説を採用している。先ず観念が作られる。アンマは先ず想いの中に記号(トング)を作った。ドゴンの図。この空間は14重なっている。フォニオの図。十字の中に十字がある。これは回転を表す。回転しながら舞い降りてくる。

■シリウスと太陽の図。イトスが身ごもって太陽神を生み出す。太陽の裏にある太陽。前世界からの知識。ドゴン族の話はあまり表には現れていないが、ヌーソロジー的には重なる話が満載である。古代オジプト人の知識はドゴン族の知識、オリオンとシリウス、オコツト情報とも重なっている。

■ドゴン族の8番目の子だけが零れ落ちてきて地球に出現した。オゴが宇宙の大元まで台無しにしそうなので、アンマはシリウスからノンモを派遣して、オゴを穴の中に閉じ込めた。これが青い狐と呼ばれる。ドゴン族にはまたシリウスからノンモがやって来るという話がある。

■それはノンモがいつ現れるか。第10番目の月が現れた時。それをドゴン族は「魚の日」と呼んでいる。イエスは魚。ベシカパイシス。魚の浮き袋。イエスはこの中に宿る。原始キリスト教の象徴。ノンモは両生類的生き物として描かれている。水を支配し、陸上も支配する。

■科学的に考えるより象徴として捉えるべきだ。kohsen氏は反転の概念として捉えている。空間認識を変えるということ。シリウスへ足を半分突っ込んで、オゴ征伐にかかっている。10番目の月とは惑星X?巨大なものが現れてくる予感。人間を変換していく力。ここでハーフタイム。



PART−3-----------------------------------------

■さて第3パート開始。点球次元。モノの観念を使って空間をイメージしている。ψ1と2。差異を作るために捩じる。垂子。ψ3と4。点球の周りの空間。モノ1つの周囲の空間。2つの反転した空間。青と赤で表現された畳重した空間。物理学でいうところの座標。xyzの座標の世界。

■ψ5と6。モノ1つから広がる空間に対して、人間1人から広がる空間。垂質。これにも2つの重なる空間がある。外面の球空間がψ5、内面の球空間がψ6。ψ7と8は多数の人間を包む空間。球精神。外面がψ7、内面がψ8。地球の空間。ψ7が始まりであるというオコツト。

■我々はこれを区別でていない。肉体内部と物質内部は同じように扱っているが、次元が異なっている。空間のレイヤーとして広がっている。見る視力をつけていく。次元の顕在化ということ。これが分かればψ9、10、11、12の構造が見えてくる。

■ψ3と4。元の見えどころ。ψ1。ぐるぐる回すとψ2。これを支える背景がψ3。背景面は動かない。この背景面を回転させると1、2では動かなかった背景が、手に持って自分ごと回すと背景が回転する。これがψ4。ψ5とはこれに対して自己と他者の空間である。

■ψ5は自分から広がる球空間。自分はそこから逃れられない。同時に他者はこの空間の中心に入って来れない。重なることはできない。自己。感情、思考などの総合全てをψ5が持っているわけではない。自己や他者の場所を提供している。フレームである。

■国家的なことの熱弁を奮っている時はまた別の状況である。本当の自己と他者が一体化するのはψ13、ヒトになりシリウスを完成させるまで無理である。モノの周りの、青と赤で表された2つの3次元空間。リーマン球面的に表した内面の無限遠と外面の無限遠。

■4次元からは裏と表が見える。表面の色。球面上に3次元が入っている。外面は見えている。宇宙の果てが解像度は悪いが見えている。その先は開示している。無限遠点。そこに意識主体がいる。赤い側の空間は見えない。現実的でない想像的なものである。

■無限遠点には穴があいている。開いている。青が主体空間で赤側が客体空間である。ひとつのモデルとしてψ3とψ4の球面上のz軸で考えてみよう。青は無限大に到達するがね赤は到達できない。等化とは回転が必要とオコツトが言った。

■どうやったら裏側に入れるのか。全ての方向に伸ばしたら前ではなく後ろから出てくる。3次元の回転とは何か。x軸に対してxyzを回転し、y軸に対してもxyzを回転し、z軸に対しても回転する。空間の多様体化。座標系をどこにも顕現できる。座標が座標系化できる。モノが沢山ある世界。

■ψ3が無数にある。だからψ5の中に無数のψ3がある。モノと肉体とは次元が1つ違う。モノの向こうにはプラスの無限大、手前にはマイナスの無限大がある。極北位置が±無限遠が重なっている。ネット上の図をズルリと動かせるように、2つの空間が同時または別個に動かせる。



PART−4
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■さて早くも第4枠目のスタートである。自分の後頭部が無限遠点である。モノの手前にいる自分がなぜ無限遠点なのか?3次元にはなぜか時間が重ねられている。遠くに行くに従って過去のものが見えている。ここは4次元である。4次元上のどの点も、3軸を丸めることができる。

■内面であっても、どこの空間位置でも3軸を丸めることができる。自分の真横はプラスマイナス無限大。ただし自分は動いていない「不動の私」の位置であるという前提でである。これはどういうことか?幾何学概念を変える必要が出てくる。「面点変換」という概念である。

■無限遠点まで球面と考えるが、そこを点として考えられるところはどこか?モニターを通してぐるぐる回してもモニター自体は動いていない。それが極北位置の点である。それは身体の前と言う方向だ。どこを見ても身体の前という方向しかない。自分の身体を不動と考えれば前は一点で纏めている。

■それは身体の方向。自分の前にしか世界がないとすれば、ψ5とは身体の前のことだ。ただし人間の身体は外面に対して不動のものとして考えなければならない。動いているのは世界の方向である。この身体の前の奥行きに記憶があると捉える。ベルグソン。私とは「これ」である。

■目の前のモノを突き抜ける。顔を裏返す。顔は面。仮の面。本当の自分の面・表は「こちら」側である。眉間に鉛筆を立てると、鉛筆は不動で周りの風景が動いている。この視線を例える鉛筆の方向が自分。広場で目を閉じて走り回ると、外がルームランナーのように何も動いていない感覚。

■そしてこの4次元空間には同様の沢山の視座がある。3次元の回転。SO(3)とS^3。4次元の意識空間では、私の後頭部は目の前の人の面であり、相手の人の後頭部は私の目の前の人の面である。では私たちのψ5は時空上のどこに見えているか。縮められているが、どこを見てもΨ5である。

■「言っていることについてこれていないと分かると、骨が痛くなるような感覚がある」とkohsen氏。質問タイムに以降。Ψ5が視覚。Ψ7が聴覚。目が見えない人は7が5の代わりをしているのでは。真っ暗やみの中で目を開けているのか閉じているのかわからないケースも似ている。

■3軸直交軸は、ずらしてみると「水」という字に見える。私が動くということと、3軸のそれぞれをずらして表すこととは、同じこととして見ることができる。さてでは自己と他者の場所はどこなのか?モノを介してモノの表面と裏側の間の無限。プランク定数に関係していると思われる厚さ。

■モノの背面中心と重心点として表されたψ5に対応するモノの全面中心と重心点として表されるモノはψ*5。ψ6とψ*6。前者で世界を見ている人は自分がどうみられているかの方に重きを置くが、後者での人は自分の見ている方を大切にしている。どちらかと言うといい奴である。

■「自己と他者の関係はモノの中で背中合わせでつながっている」というのが今日の言いたかったキモである。これが今日のドゴン族の人が創った像が背中合わせの2人(双子)と重なってくる。ヤヌス神。古代にはこのようなものが沢山ある。ジャヌアリィ1月の語源。始りを司る守護神。

■エジプトでは2匹の背中合わせのスフィンクスがある。その間に物質がある。両面宿儺(スクナ)。プラトンの『饗宴』の中の超古代のペアで一体化した完全な両性具有。4本足、4本手の勢力が強くなったので、ゼウスが真ん中から切り取った。切り離された方割れを求めている。

■アリストファネスの愛の起源の話。Ψ6とΨ*6を等化したΨ7は愛であり,陽子である。オコツトが言ったΨ7は陽子であるという言葉とのすり合わせ。kohsen氏は今回の準備不足からP.D.(現在地不明)に陥ったことを強く詫びをいれ、次回へ居住まいを正しつつ話を終える。



■最後に映画『ヘドウィク&アングリィインチ』より、ライブシーンの中の「愛の起源」の曲の部分を見ながらレクチャー&パフォーマンスを終える。



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このような「無断転載を命ず」は内容の誤掲載でなければ問題ないと判断しましたが、あくまでも個人的な立場で記録したので、個人の日記の方に書き込みしました。間違いなどございましたら、ご指摘願います。基本的には阿蘇山で地獄温泉につかったりしていたので、ここへの記入がおくれましたことをお詫び申し上げます。(まあ、誰も文句は言わないと思うけれど…笑)

さらなるフォローとしてのメモとコメント

(1)BOB's ヌースレクチャーは、当家での鑑賞会のタイムスケジュールとほぼ同じように、ほぼ1時間単位での4セット、間に10〜15分のインターミッションというか、お休みがありますが、この4つのTwitter日記もまた、ほぼその4パートに準じています。

(2)だからまあ、ほぼ1時間を1つの日記枠にいれて記載してありますが、実際は行間も含めてリアルタイムの1時間を、私の言葉と感覚などで言語圧縮したものです。140字前後というブロックは、そこそこ読みやすいのでこの形式は気に入っています。

(3)人間のつぶやきのくくりがこの文字数設定なのも面白いですが、人間の理解や感覚的まとまりもまたこの辺りで括れるという発見(自分だけかも知れませんが)も新鮮でした。大文字小文字も関係なく140文字というTwitterに拘ってみた副産物ですね。

(4)この4パートが前半の1,2と後半の3,4でまとまっていて、前半はほぼヌーソロジーではなく様々な色付け話や前振りストーリーであり、後半が本論突入でした。まあ多次元内意識漂流は最後の方でしたし、私が文字化してあるので磁気嵐は記されていません。

(5⇒新たなる1)参加者は全てを覚えていないと思うので確認のため、また始めて読まれる人は自らのイメージで大幅に付け足して下さい。なお上に示した3×4の12画像は資料で、主に後半使用したものです。前半はオリオンやドゴンなどの画像でした。

)なおこの前半の画像はネット上から拾ってきたもので、実際のヌースレクに使用されたものは後半のもののみです。


次元幾何学研究会in博多の集合場所



取りあえず集合場所と時間は決まりました。それさえ決まれば後は自在です。
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名称:次元幾何学研究会in博多(on20100115)

日時:2010年1月15日午後06:00スタート。(2時間くらいは滞在予定)
    2次会的移動は現場で決定。

場所:スターバックスコーヒー福岡朝日ビル店内。(博多駅から250m )
    福岡市博多区博多駅前2-1-1 福岡朝日ビル1F (下図も参照のこと)
    地図→ http://r.tabelog.com/fukuoka/A4001/A400101/40001888/dtlmap/

参加資格:とくになし。犬猫や人非人でもOK。当日かけこみもOK。

参加費用:とくになし。自分の飲み食い代金は自己責任。

参加表明:とくに不要。現場集合も可。ただし急遽変更時は連絡不能だけれど。
      一応現在の参加予定者の確定数は5です。

内容:先ずはヌーソロジーから始まり、数、形、色、音、言葉、暦、その他自由に話題化。
    話したいことや尋ねたいことがあったらご用意ください。資料持参も良し。
    特に難しい話や堅い話に拘らず、エロい話やショボい話もいたしましょう。

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2次会は現地人の情報を頼りにしていますが、もしめぼしい情報なかったらとりあえず町に出て、必殺技「行き当たりばったりラッキー効果!」を発動します。多用すると空振りトラブリますが(笑)。


ヌーソロジーDVD鑑賞会in名古屋(3)終了



■名古屋におけるヌーソロジーDVD鑑賞会は終了した。皆さんどうも有難うございました。お土産やお菓子などもみなさんありがとう。本来ならばこちらから出向くべきところを、居ながらにして参画できる有難さが身に染みる。今回は250円弁当大人気。次会はスープくらいは準備したい。

■もはやお約束のように、また1回ブレーカーが落ちる。湯沸かしポットやコーヒーメーカーを馬鹿にはできない。当家の猫も少しはヌーシーに…あ、ニャーシーかな。いっぱしのメンバー気取りで(?)参加者の間を練り歩く。後半は猫としての矜持を保つべく隣室で爆睡だったのではあるが。

■参加者全員が、noosologyをただ無批判に受容するのではなく、また十分検証せずに批判するのでもなく、それまでに構築されたnoosology(その意味で既存の)を心地よく自らも超え行こうとする姿勢が感じられる。ロイホでの時間も濃かった。新たな問題点や独自の解釈やモデルも頻出した。



■全て録音しておいて、後でちゃんと検証したいくらいだった。コタロー氏の論理的構築能力には舌を巻く。ψ5で「ご」が生じ、五は語(な)を生じる。「な」は50音図の5行目で、「ご」は数霊では52なり。…あ、今思ったけれど、なごやか名古屋の「なご」?…ダジャレすらも奥深い。

■kohsen氏の超頑張りも胸に染みます、泣かせます。実は1994年当時に私が企画したkohsen氏のレクチャーの秘蔵ビデオも少し見たのだが、言わんとしていることや構築中のnoosolosyに対する自身と姿勢が全くブレていないことに改めて驚いた。変わったのはその表現濃度だけ。実に嬉しい。

■来週の金曜日は博多で次元幾何学研究会。実はチョコボ氏に件の秘蔵ビデオをデジタル化を依頼したのだが、この日までに間に合えば持参できるのだが。このkohsen氏の変わらぬ生命ベクトルと現在の進化具合(整理され具合と分かりやすさ)を一部共有できれば嬉しいんだれけどな。



■もうすでにkohsen氏は手元に持っているかも知れないのだが、このデジタル化した昔のヌースレクチャービデオ(注:この前年までと後年以降は市販されていないはず)のデータの一部を彼にDVDに焼くなりして置いてこれたらいいのだが。内容はさて置き見た目はすごく若い。チョコボ氏に期待。

■次会は2月6日(土)にまた当家で…がほぼ確定らしい。ご近所の興味ある人、一緒に250円弁当食べ大会に参加しませんか。…あ、趣旨違うか。詳細はまた後日。


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