人間の色を人間として見る(6)



■1■マンセルの色相環やオストワルト色相環など色環にも様々なモデルがあるが、実際のスペクトル分光からではなく、理論的構造から色相環を構築してみよう。先ず光の3原色の赤・緑・青を円に内接する正3角形の頂点に据え、次に色の3原色のシアン・マゼンタ・黄色を逆向きの正3角形の頂点に置く。

■2■この1次及び2次操作で円を6分割する3つ組の補色関係がプロットできた。形は見た通り2種類の3原色が形成する6芒星である。次にこの6色の隣り合う色の間に中間色を置けば、この12色相環の色相と配置のモデルが定義できる。この3次色生成は、加法混色と法混色のどちらのモデルでも可能だ。



■3■占星術における「アスペクト」とは、ホロスコープにおいて各惑星などが形作る角度のことだ。また直線的な弦長比から見てとれる音階構造を、極座標化的に円環にすれば、音高比をその角度比で見ることができる。これらを元に異ジャンルの色相・音階・惑星・角度を同型対応視してみることにしよう。

■4■コンジャンクション(合)は0度/360度で、お互いに惑星の影響を強め合う重要な角度だ。オポジション(衝)は 180度で、緊張・衝突・対立などを示す。音では倍音(8度)でユニゾンの関係だ。色では補色関係となる。最も遠い位置にある真逆の関係であり、出会えば鮮明化も相殺もしあう対である。



■5■黄色と青の補色対に180度の軸を置けば、両色を時計回りに先頭にした6色ずつは暖色系と寒色系に相当する。トライン(三分)は120度/240度で、互いが強めあう調和的な関係を表す。また芸術的・創造的才能の源でもある。音楽的にはドに対するソ(5度)もしくはオクターブのソ(12度)の協和音だ。

■6■セクスタイルは60度で、トラインに似るが重要性では劣る。関係ある2要素の間での親和性や調和性と共に、コミュニケーションの容易さを表す3原色的配置が作る120度のトラインや、それを重複させてできる60度のセクスタイルは、色彩的に見ても相互が調和する良好な関係性としてイメージできよう。

■7■スクエア(矩)は90度で、音楽的には2オクターブ上音(15度)。フラストレーション、抑圧、内心の葛藤などを表す。限界を超えようとする人の活力の源にもなりうる。色相環では全て1次と2次で生成された原色と3次的に形成された中間色との位置関係で、相互強調色ともなり逆に相殺色ともなる。

■8■クウィンカンクスは150度。相性の合わない要素が無理に近づけられているために、困難さやストレスを表す。同時に、その人の人生における自己への無頓着さなども表している。ある色と補色の1つ前後にずれた位置の色との関係(ヨッド)を色彩学的には類似色相と呼ぶ。ドに対するラ(216度)に近い。

■9■色相環をさらに分割すれば、30度のセミセクスタイルや、45度のセミスクエア、135度のセスキコードレイトその他の細部まで見ていけようが、ここでの眼目は、色彩学や占星術の厳密さではなく、それらの根源にある私たち人間の世界認識のための思考の鋳型、もしくは精神のカタチの方への視線である。

)135度のセスキコードレイトはドに対するオクターブ上のファ(11度上音)と対応する。

■10■色相間や星座間の3、4、5の関係を見ると、プラトン立体の各面形や頂点に集まる線数も連想される。3頂点から面が生まれる。6個の色玉からは正8面体が見えてくる。また中心点を立体対角線に見立てれば、正6面体も立ち上がる。12個の点からは正20面体が生まれる。みな見る者の世界の見方だ。












 

人間の色を人間として見る(5)



■1■プリズムを介して自然光を分光し、適度の距離でその光の進行方向に対して白紙などを垂直に差し込むと、その面上に虹の色合いで紫から赤までグラデーションでつながった線分が見て取れる。この上限も下限も定かでない電磁波の波長が378〜780nmの可視光線帯域をニュートンはスペクトルと命名した。

■2■このスベクトル帯域は、不可視な紫外線と赤外線に挟まれて左右の切れた直線として見て取れる。このスペクトルの両端を繋いで円環にするという概念的操作によって「色相環」が作るのだが、両端の接続を滑らかにし、かつ円環内部の対称性を保つために、この可視光の欠損部分にマゼンタを挿入する。

■3■これをそのまま等分割しても表色系の色相環モデルとなるが、諸理論を背景により良いモデルにすべく様々な表色系の色相環が考えられている。いろいろな表色系の色相環をまとめてみた。比較の基準がないので単純には比べられないが、一長一短で完全なるモデルはまだないと言うことは示せるだろう。





■4■色彩の欠落部分にマゼンタを挿入するという操作に関しては触れず、単に線分を円環にするという幾何学的操作に絞って見ていきたい。可視光スペクトルという線分を色相環という円にするということは、線分の乗っている場としての平面ごと「直交座標系」から「極座標系」に変換すると言うことだ。

■5■数学的厳密性を放り投げて荒っぽく言えば、色相環とは可視光スペクトルのある画像の右端と左端を、強引にねじ曲げてくっつけたもののことだ。このような操作そのものが、既存既得のこととして色彩論のの諸論が語られているが、円環で閉じてしまっていること自体についての言及や懸念は多くない。

■6■言葉だけでこの操作を説明するのは面倒だが、幸い現代ではパソコン1台あれば無料のソフトがこの作業をコマンド1つでしてくれる。方向をより分かりやすくするために全色スペクトルではなく単色のストライプで見てみよう。これに画像変換ソフトで「直交座標→極座標」のエフェクトをかけてみる。




■7■縦縞が中心からの放射縞に変換することが分かるだろう。服飾等では縦縞をストライプ、横縞をボーダーという。90度回転したボーダーに同様のエフェクトをかけると多重円に変換される。縦縞+横縞の格子縞を変換すると、これらの双方が組み合わさった形になる。これはもう色相環の一歩手前である。

■8■ぶっちゃけた話、可視光スペクトルの線分を色相環にするということには、…いやもう半歩進んで言えば、私たちがすでに可視光帯域の両端波長部分に青と赤の混色で、マゼンタという1つの色で「見て」いること自体が、1つ余分なπによって人間世界を閉じた内面側から見ているということでもある。


この普通の風景を直行座標→極座標変換すると下図のようになる。

なおこの下の画像は上下をさかさまにしてから変換したもの。


■9■この環から外に出る…つまりは人間型ゲシュタルトを否定せずにそれを超えて「見る」ためには、このπを否定するのではなくさらにもう1つのπを重ねて、世界が平面的に見えるこの内面的な視座を超える、または色相環を5円玉ではなくドーナツとして(円環面ではなくトーラスとして)見ることだ。
















 

人間の色を人間として見る(3)マゼンタ、(4)黄色


■1■マゼンタという色の名は、1859年、イタリアを統一戦争で伊仏連合軍がロンバルディア州ミラノ県のマゼンタという地で、オーストリア=ハンガリー帝国軍に勝利した「マゼンタの戦い」に由来する。この戦闘中にフランスのズワーヴ兵が着ていた制服の赤紫色を「マゼンタ」と呼ぶようになったという。

■2■太陽からの自然光をプリズムを通して分光すると、隣りが赤外線の「赤」から隣りが紫外線の「紫」までの、可視光色の諸スペクトルが現れる。しかしその中に色料の3原色の1つである「マゼンタ」は存在していない。虹の7色の中にもマゼンタはない。マゼンタの単色スペクトルは存在しないからだ。

■3■ほぼ同量の単色光の赤色と青色を混色するとマゼンタになる。より正確に言うと、人間の色覚細胞が、ほぼ同量の赤色光と青色光を感受伝達すると、脳はそれをマゼンタと認識する。マゼンタは和名「赤紫」からも分かる通り、可視光スペクトルの両端にある「赤」と「紫」をつないで色相の円環を作る。

■4■つまり両端のない様々な波長の電磁波帯域から、線分的に切り取られた可視光線帯域を、このマゼンタを用いて「直線を円に変換して閉じる」ことで、この「人間の色」としてまとめたのだ。色相環は人間型ゲシュタルトによる世界と人間の関係を表した、色覚による理論的な1つの世界モデルである。

■5■この円環の180度位相がずれた位置の色同士は補色関係にある。可視光の全スペクトルが入っている白色光から緑色のスペクトル成分だけを除外すると、残る光はマゼンタに見える。マゼンタと緑は補色関係にあるからだ。ただし色相環にも様々な理論モデルがある。色の名は名であり色そのものではない。


■1■人間の色覚細胞には青錐体・緑錐体・赤錐体の3種類がある。赤と青がほぼ等量の時、人間はそれをマゼンタと知覚する。同様に赤と緑がほぼ等量の時、人間はそれを黄色と知覚する。マゼンタの単色光は存在しない。しかし黄色の単色光は波長が570〜580ナノメートルの電磁波として物理的に実在する。

■2■私たちの色覚細胞には、黄色そのものを検出する錐体がない。そこで私たちは赤と緑の中間にある単色の黄色の波長光を、緑錐体と赤錐体の双方で半分ずつ検出することになり、それを脳が黄色と認識するのである。赤色光と緑色光の混色の黄色も、単色光の黄色も、検出・認識のプロセスは同じなのだ。

■3■しかしここにパラドクスがある。正常な色覚者にはこの2種類の区別がつかないのに、3種類の錐体のうちの1つもしくはその部分が欠落している色覚異常者には、黄色の単色光と赤と緑の混色光が異なって見えるので逆に区別がつく。彼らは色覚異常ではなく、単なる人間の色覚における少数派なのだ。

■4■太陽光のように各波長の光線が混合していて色相の感覚を与えない光、つまり白色光から、波長が570〜580ナノメートルの黄色の単色光部分だけをうまく取り除くと青色光に見える。青と黄は補色だからだ。そして白色光から色光の3原色の残る赤色光と緑色光を取り除いてもやはり青色光に見えるのだ。

■5■自己他者問題的に擬人化して表現すると、ある色(自己)にとっての補色(他者)は、自分以外の全ての色の混色(自分以外の総体)に等しいということだ。自分以外の全てがまた、色相環上の180度位相がずれた自分の対の位置にある補色(他者)に集約されていて、自己と他者を重ねると色はなくなる。












 

人間の色を人間として見る (2)



■1■色光には直接光と間接光の2種類がある。前者は自ら光を発っする「光源色」であり、後者は光源に照らされて初めて見える「物体色」である。前者は炎や電灯やネオンサインやホタルなどであり、後者は染料や顔料などほとんどの色だ。天体で言えば前者は太陽で後者は月。身辺の色の多くは月である。

■2■「色とは壊れた光である」とは小林秀雄の言葉だ。全てのスペクトル成分が調和した白色(透明)光が物体に当たって調和が壊れ、その一部だけが反射し、その光が眼に入ることによって「物体色」として認識されるという意味だ。光は壊れない限り、その完全不在と同様に認識することができないのだ。

■3■私達は人間はドとミの音を同時に聞いても2つの音を聞き分け、決して中間のレ音として聞いたりはしない。しかし550nmにピークを持つ光(緑)と650nmピークを持つ光(赤)の2つを同時に見ると、中間の600nmにピークを持つ1つの光(黄)と認識する。聴覚と視覚の根本的な違いの1つである。

■4■3つの錐体が受ける刺激の比率によって様々な「色」を感じるわけだが、その刺激は特に錐体の感度ピークに一致している必要はない。スペクトルの2つの色の混合がスペクトルの他の色として知覚される。このように光の成分が違いながら、人間の目には同じ色に見える現象を「メタメリズム」と言う。

■5■色光の3原色は光と私達の知覚認識の関係なのに対し、色材の3原色は光と物体の反射と私達の知覚認識の関係だから1つややこしい。太陽と地球の関係に対し、太陽と月と地球の関係にも似ている。葉緑素の緑と赤血球の赤を足すと、人間には本来黄色の受容体はないのに、その混色は黄色に見える。

■6■可視光帯域はわずか1オクターブ分だが、スペクトル上の2色の混合がスペクトル上の他の色と知覚上区別がつかない(例:赤+緑⇔黄)。音は1音に多数の倍音があるけれど、オクターブ音と基音を明確に区別できない。あまつさえ存在しない別の倍音まで聞こえる。色と音は違えば違うだけ似ている。













 

人間の色を人間として見る (1)



■1■私たちは電磁波内の特定の帯域を色と感じる。それは380〜780nmというわずか1オクターブ程の帯域だ。しかも私たちは3種の色の受容体と1種の明暗感受特性で無数の色を見ている。私たちの視覚系は全体的には非対称性であり、欠陥や偏性もあるが、それでも私たちの見る世界は限りなく鮮やかだ。

■2■偏りや歪みのない色覚をも味わってみたい。しかし先ずはその前に人間としてこの光と色に満ち溢れた世界をて見ることができる奇跡を喜び味わい楽しんでからにしたいと思う。「目に見える眼前の世界は人間が共有する壮大な幻覚世界で、本当は色はない」と言いきるには、世界はあまりに美し過ぎる。



■3■可視光線の波長帯域は380〜780nmだが、この中に赤・緑・青(人間にとっての光の3原色)の波長吸収率をプロットしてそのピークを見ると、青は420nm、緑は534nm、赤は564nmである。ここに黄色に相当する510nmを置いて見ると、青・黄・赤の波長の比率はほぼ6:7:8になっていることが分かる。

■4■人間の錐体細胞と桿体細胞が含む視物質の吸収スペクトル感度は波長によって異なるが、明所視では555nmの光に対して最も感度がよく、暗所視では507nmの光にピーク値をとる。暗所では感度曲線が短波長側にシフトしている。黄色の波長ピークの代わりにこの桿体細胞のピークを用いても同様である。



■5■中接球を共有した正6面体と正8面体の体積比は6:8であり、この2者の相貫体である正8−6相貫体のイメージが7に対応する(実際の体積比は9)。また原子番号の6、7、8は炭素、窒素、酸素で、原子量の比は6:7:8である。これに1の炭素、15のリンを加えた5元素がDNAを構成する。

なお赤・緑・マゼンタの波長はほぼ5:6:7になっている。















 

人間の色を人間として見る (0)



■1■月面や宇宙船から地球を眺めると、儚くも美しい宝石のように見える。色も音も無い宇宙空間に、そこにだけ豊かな生命が宿る、麗しくも孤独な存在の惑星・地球。しかし実はそう見え、そう感じること自体が、私たちが人間であるがゆえにであり、それこそが人間型ゲシュタルトそのものでもあるのだ。

■2■私たちが「見る」ことができるのは、様々な電磁波の中で380nm〜780nmという帯域、つまり1mmの1万分の1オーダーの波長の光だけである。それは太陽光の中で地上に到達する主波長域であり、視覚認識が生物学的戦略に沿った選択した帯域である。それ以外の光を私たちは肉眼で見ることはできない。

■3■月から地球の出を眺めても、月面も背景の宇宙も灰色と黒の茫漠とした世界にしか見えないが、それは私たちがそこに地球上の世界に見るような光を見ることができないからだ。私たちはそこを「色がない世界」と表現するが、ただ私たちがそこに「色」を見ることができない世界であるからに過ぎない。



■4■可視光帯域とそれ以外の帯域は非対称ではあるが2元的分別はできる。しかし可視光線の帯域でも不可視の光の在りようはある。補色関係の2つの色光を合わせても、また色光の3原色を混色しても、不可視で透明な白色光となる。さらに言えば全ての可視光帯域のスペクトルを重ね合わせても同様だ。

■5■白色光と言っても実は透明でそれは目に見えない。同様に絵具等の色材は補色関係の2つの色を合わせたり、色材の3原色を混色しても黒色となる。もちろん全ての可視光帯域の敷材を重ね合わせても黒色となる。白色光及び理想的な黒色とは、言葉を換えれば透明光と真の闇で、どちらも不可視である。



■6■現在の人間の色覚は、生物進化の過程で4原色から2原色に退化し、そこから再度赤の色覚から緑色覚を分割生起させての3原色であり、いわば不完全なものだ。それを人間とまだ呼べるのか分からないが、今後完全なる3原色を経て、もしくはスキップして4原色の色覚が主流となりゆくかもしれない。

■7■私たちの色覚だと、スペクトル中の赤と緑の部分を取り出して混色すると黄色になる。私たちはこれをスペクトル中の黄色と区別できない。前者を再度プリズムに通せば再び赤と緑の光に分かれるが、後者を再度プリズムに通しても黄色光のままである。人間は色覚不全による一種の色覚異常なのである。



■8■人間はかつて赤・青・緑・紫の4色の視物質を持っていたが、肉食の爬虫類から逃れるべく長く夜行性の生存様式を余儀なくされたので2つを失った。やがて1つを回復して現在は赤・青・緑3種の視物質ヨードプシンを有する。私たちはこれらと明暗を感じる視物質ロドプシンで全色彩を認識している。

■9■「朝は4つ足、昼は2本の足、晩は3本足で歩くものは何か?」ソフォクレスの『オイディプス王』に出てくるスフィンクスの有名な謎掛けだ。「1つの声を有しながら、4足、2足、3足になるものは何か?」というバージョンもある。こちらの方は1,2,3,4の数が出揃っている。足せば10だ。

■10■特にこの2つに直接の関係はないが、4−2−3という数が相似なのは面白い。この後1つの声の持ち主の人間として統合されるのか、また単色色覚となるのではなく、現在5%程いるという4種類の色覚オプシンを持つ4原色色覚の人間に進化するのか、このまま永らえるのか。人間の色覚の道筋…。













 

4色型色覚再考(2)



■1■女性と男性の色彩感覚にも想像以上に違いがある。元々男女で好みの違う色があるし、年齢によっても好みが変わるし、似合う色も変化する。女性の255人に1人、男性では12人に1人が色覚に何らかの問題があるというデータがある。十人十色、百人百色。色即是空だが、空の色も老若男女、千差万別。

■2■躁鬱。「躁」状態だと実際に目に映るものが鮮やかに見えるし、「鬱」状態になると色あせて見えると言う。「世界が灰色に見える」とか「お先真っ暗」というのは比喩や文学的表現かと思っていたけれど、感覚的には実際に取り込む光量すら異なるらしい。心・脳の状態は内即ち外の豆まき状態なのか。

■3■色型色覚者の協力を得て、現在ワシントン大学で研究中のジェイ・ナイツは、現在の人間社会の様々な色表現の世界は3色型色覚者向けに作られているので、4色性色覚がフルに力を発揮する必要が無く、能力が秘められたままなので、能力を呼び覚ます何らかの訓練が必要なのではないかと考えている。

■4■総じて女性の方が4色型色覚的な世界の共有空間が広いわけだから、未発現や無自覚であっても、4色型色覚的な色の見極めの早さと正確さは、男性より女性の方が能力が高い。宮崎駿氏も色を見極める能力は女性の方が高いと判断して、スタジオジブリのセル画の色指定は昔から女性が担当していた。

■5■女性の方が圧倒的に霊的なものを見やすい感じやすいというのも、今まで男性側の論理で非理性的だとか思い込みが激しいとか十代後半特有の心理的不安定だとか説明されてきた。しかし4色型色覚的な世界の無意識的共有も含む色覚そのものの差異も、その一因に入れてしかるべきなのではなかろうか。



■6■X染色体の上の異常ならば男性は蚊帳の外かと言うと、決してそういうではない。単純な比較ではないが、三毛猫やサビ猫のオスも存在するわけだから、4色型色覚の男も皆無というわけではないだろう。そして色だけでなく「共感覚」も話題に乗せると、これが一気に広大な領域に展開することになる。

)三毛猫の希少性は30000匹に1匹程度とされる。

■7■アスペルガー症候群や発達障害の人は色覚が一般人と違う場合が多く、原色的に発色しているように見えたりするという研究結果がある。男性に多いと言われる赤緑色覚異常を持つ女性にもこの傾向は多い。赤緑色覚異常の人は単なる色覚劣性者でなく、青に対しては一般的3色型の人よりも感度がいい。

■8■非尋常者イコール4色型的色覚者ではない。しかし尋常ではない色彩感覚が有利であるということを逆に見れば、まさに色を扱う映画やビデオ等の視覚画像制作者や、服飾やスタイリストその他のファッション系の領域に、同性愛者や両性愛者の存在頻度が高いことの1つの理由と見られないこともない。

■9■性同一性不全症候者、性転換手術をした者、諸事情で生殖器系を切除した者なども、4色型「的」傾向は大きそうだ。芸術や創作系の領域でも、メジャーな3色型色覚の世界を前提に多数派受けや商業ベースを念頭にプロデュースするよりも、自分の感性や情動根源を追求していくタイプなのではないか。

■10■精神異常者にも明らかに常道を踏み外している異常者と、常識を踏まえた上で常識を超えている異常者がいるように、視覚異常もまた正常に対して超正常という異能者が存在し得るということだ。未自覚な者や未開発な者も含めたそれらに対して抱くのは、敬意か敵意か無関心なのかは自分次第である。

)無意識型の4色型色覚者は、その世界の見え方捉え方として、「共感覚」という括りではみ出して知覚認識しているというケースも考えられなくはない。しかしこればかりは私だけが云々しても観念的に過ぎる。何か思い当たる人は自問してみて下さい。













 

4色型色覚再考(1)



■1■人間の4色型色覚の実態は未だ未解明不分が多い。4色型の目は3色型で反応できる光の波長の限界を超えて、近紫外線帯域の波長を捉える事ができるとされている。3色型の人は赤・青・緑の錐体細胞で識別するが、4色型の人は赤・青・緑・黄(結果として黄帯域にピーク)で識別するとされている。

■2■4色型色覚を持つ人は女性のみで、男性はいないと考えられている。X遺伝子の変形によって黄色錐体ができるからだ。女性と比べると男性は黄色の感度が鈍く青の感度が高い。当人の自覚を抜きにして、女性全体の12%が4種の錐体細胞を持つ、潜在的な4色型色覚者の可能性があるとも言われている。

■3■一般的に1種類の錐体細胞から約100種類の色を識別し得るとされ、2色型だと2乗で約1万色、私たちも含む3色型だと百万色、そして四色だと型私達にとっては色見本もない1億色以上が分別可能だと考えられている。だがそれらの色を共有するすべはない。その各色に対応する言葉がないからである。

■4■4色型色覚者同士ではただ指し示し合うだけでよく言葉すら不要だ。しかし私たちにはその違いが見えないのだ。私たちは科学的データと4色型色覚者を信頼して、その未知色を受け入れられるだろうか。それは世の中が虚偽や不実を排した後にではなく、その場で即座に判断せざるを得ないことなのだ。

■5■ネイティブ系の世界観においてカラスが賢く「智慧」の象徴とされたり、最も高く飛ぶイーグルが「見るもの」の象徴とされていたりするが、「物事を明確に見分ける力」や「暗闇に光を照らす力」と言う表現は、そのまま普通の人間にはない第4の色覚による分光認識力の見分けも含まれているだろう。



■6■「鳥の目、虫の目、魚の目」という表現がある。高みから俯瞰して物事を見ること、接近して細部を見ること、そして物事の流れを見ることなどと言われているが、鳥も虫も魚すらも、みな人間にはない4色型色覚の持ち主である。爬虫類は4色型色覚だったし、哺乳類の祖先も4色型色覚を持っていた。

■7■こう書くと「やはり世界を裏で支配してきた爬虫類型人間は存在するんだ」という話に短絡接続したがる人もいるかも知れないが、それはまた別の話だ。ただし3色型では見えない帯域を用いた4色型同士での暗号やコミュニケーションはあり得るだろう。5色型色覚の存在も世の中には存在するらしい。

■8■見えないものは「ない」のでなく[見えない」のであり、[見える」人には「ある」といわけだ。どちらにも主体の視座を固定しない時、これを「二而不二」と称しても良いだろう。哲学でも宗教でも衒学でもない現実である。現実を見る側が変わっていくのだ。見る側とは先ず他ならぬ自分自身である。

■9■蛍光ペンで軸を塗って作った綿棒多面体にブラックライトを当ててみる。その光り具合を見たり、回転させて美しい軌跡を体感するのは、日常と異なる経験で楽しい。さらに白色光を照射してその光景を見ると、疑似4色型の視野が体験できる人もいるのではなかろうか。この見え方すら千差万別なのだ。

■10■ブラックライトは可視限界付近の近紫外線を放射するライトだ。その発する光自体は人間の目にほとんど見えないが、その光が当たった物体の中に含まれる蛍光体だけが発光する。深い青紫のウッドガラスを用いて波長400nm以上の可視光線をカットするブラックライトは、そのピーク波長が365nmになる。

)ここから一気に、人間の体温の36.5度やクラドニパターンの3.65倍音の10分割パターンから「暦」の問題に突入することは敢えて避けつつ「その2」に続く。

















 

4色型色覚の4重点とその先



■1■網膜上に3種の錐体細胞を有するために、私たち人間の大半は「3色型色覚」を有している。しかし赤緑色盲の遺伝子を受け継ぐX染色体のせいで、日本人では男性の4.50%、女性の0.165%が先天性赤緑色覚異常を発現する。なお白人男性では8%だが、これは現行の消費税率の様に無視できない値だ。

■2■カルロス・カスタネダの描く世界や先住民の世界観では、様々なトーテムアニマルが、自らの種族の出自や由来にも関係があり、智慧と力を持つ生物と捉えられている。カラスやイーグルは色覚的には、人間の3色型色覚に対して、近紫外線帯域まで色として見ることが可能な4色型色覚を有している。

■3■「鳥の目、虫の目」という表現がある。通常とは異なるマクロとミクロの視野を持てという文脈だが、最早この[鳥の目」を単に人間的な視覚能力で「高い所から全体を把握し、俯瞰して物事を捉える」という意味だけではなく、通常を超えた4色型色覚的な光景も想定する必要があると解されるだろう。



■4■3色型色覚の人は赤青緑の混色で識別するが、4色型色覚の人は赤青緑の混色に加えて紫外線反射量で識別すると考えられている。単純に見える色が1色追加されるだけではなく、あらゆる色に青色の外にある「紫外線の量」というもう1つの原色要素が加わり、見え方の全体が変わってしまうのである。

■5■つまり3色型色覚者にはほぼ同じ色に見える2つの物体でも、紫外線の反射量が異なっていれば、4色型色覚の持ち主には全く違う色に見えるということだ。感覚的な喩えで言えば、普通のカラーペンと蛍光ペンを使って描いた絵に、白色光とブラックライト双方を当てた時の見え方が近いかもしれない。

■6■さて4色型色覚の世界は通常の3色型色覚では見えないけれどで、敢えて近紫外線帯域の原色、及び他の3原色との混色を概念的に可視化したのがこの図である。この平面図では4色混合領域が数字の13、全体の図に対する地が14で示されているが、実際はさらに赤−青、緑−紫外の2色混合もあり得る。



■7■従ってこれを立体的な正4面体構造にして、4原色を4頂点に、4原色のうちの2色同士が重なる6パターンを6本の線に、3色同士が重なる4パターンを4つの面に、そして4色全てが重なる1つのパターンを正4面体の胞と同型対応してモデル化できるだろう。この場合の4重点は重心に対応しよう。

■8■これはあくまでも概念的モデルに過ぎない。私たち人間の色覚も大部分の動物共々に、本来4色型色覚なのだが、非常に短い波長帯域の認識が自らのの光学吸収によって妨害されている結果であるという『妨げられた4色型色覚』であるという説もある。色覚について本当のところはいまだ謎が多いのだ。

■9■私たち3色型色覚者は、虹の中に見るはっきりした色は5つほどだが、4色型色覚者は、彼女ははっきりした10の色を見ることができるという。また女性の50%と男性の8%が潜在的な4色型であるという研究発表も存在するし、さらに非常に稀なケースだが、5色型色覚を有する人も存在するという。

■10■霊体・天使・UFO・気・生命エネルギー・地脈・惑星グリッド・オーラ等の普通は見えないものを見る人がそのまま4色型色覚というわけではないが、ドップラー効果的偏光、意識波長同士の干渉等も鑑みれば、少しは被る可能性はあろう。それが真の進化方向かどうかはまた別の問題であるのだが。












 

2色,3色,4色型色覚者


■サンディエゴ在住の画家、Concetta Anticoは4種類の錐体細胞を持つ、4色型色覚の持ち主だ。3色型色覚の通常人が100万色を視ることができるのに対し、4色型色覚の者はその100倍の1億色を視ることができると考えられている。3色型色覚の通常人は彼女同様の色は見えないが、ヒントにはなる。

■彼女の描いた絵は微妙に、あるいは大幅に、画風と言うよりその色風が異なっている。また彼女の描く夜は明るく、そして色彩に満ちていてる。そこでまず連想したのが、ゴッホの「星月夜」や「夜のカフェテラス」や「星降る夜、アルル」という夜を描いた作品の彩りと明るさだ。それは単なる狂気なのか。



■実際にはどうだったかは少しだけ横に置いて、ゴッホが元々4色型色覚の持ち主であったというよりは、狂気の中でそれに似た色覚に変容して行ったというイメージ(紫外線帯域に近い波長の電磁波にも敏感になったとでもいうような冷たい説明になるのだろうか)も、4色型色覚を想定すると可能になろう。

■『ジョジョの奇妙な冒険』の作者荒木飛呂彦氏も、そのカラー画像の独特な色使いを見るたびに、この人は色覚異常なのではないかと思っていた。ひょっとしたらいわゆる赤緑色覚異常なのではなく、男には殆ど存在しないと考えられる4色型色覚を有するという意味での、色覚異常者なのではとふと考える。



■人間の色覚は思っているより個体差が大きい。3色型色覚者が大半の人間世界では、赤緑色覚などのX染色体異常による準2色型色覚者も、これまたX染色体異常による4色型色覚者(女性にしか存在しないと考えられている)も色覚異常者と括られるが、単なるマテノリティと解されるべきではなかろうか。

■もちろんこれは単なる言いがかりに過ぎないかもしれない。しかし新しいものを創出しゆく人たちの知覚・感覚機能もまた自らの種や個体の既存性をはみ出していくわけだから、そのメタファーとしての解し方とでも断っておけばよいのかもしれない。3色型色覚者は4色型色覚者の世界そのものは見えない。














 

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