ミトラについて(2)

 

■11■この軍神としてのミトラ神をローマ兵たちが信仰し出したのが、ローマ世界での始まりだと言われている。また海賊・商人・奴隷などをも媒介として流入した。この宗教としてのミトラ教は、紀元前1世紀中頃〜紀元後2世紀初頭に整備・洗練されたとされ、その後全ローマ帝国で爆発的に広まった。

■12■後のキリスト教徒たちが、初期のキリスト教とミトラ教との関係性を、相反し対立する2つの宗教として描いたが、実際は教義や神学的展開は相似形をなし、様々な宗派として存在した。強いて言えばキリスト教の方が断然未熟であり、宗教的先進地域たる東方への布教は叶わず西進するしかなかった。

■13■紀元1〜4世紀のヘレニズム・ローマ世界で、ミトラ教はすでに確たる救済宗教として絶大な支持を集めていた。キリスト教オリジナルとされている洗礼や聖餐などの儀礼や、救済宗教としての神話も神学も密儀もみなミトラ教が備えていたが、その存在はキリスト教徒が最も触れたくない部分である。

■14■近親憎悪であるがごとく、初代のキリスト教会は為政者に巧みに取り入ってミトラ教を激しく弾圧した。やがてキリスト教内部でも教義の合わない派閥を異端として駆逐し、ミトラ神の聖域の洞窟神殿の上にキリスト教会を建立したりして、ローマ国教として一元的な宗教支配体制を着々と整えていった。

■15■アレクサンダー大王の東方遠征後にできたセレウコス朝シリアやパルティア王国は、ミトラ信仰とミトラ派の「ズルワーン神学」が興隆して国学となり、国王はミトラ神の化身であるとされた。この周辺知識新たな概念が付け加えられてギリシア人によって西により、占星術として知られるようになった。



■16■トルコ北部とクリミア半島にはクルド人がつくったミトラ教国家「ポントゥス王国」ができた。この国の海軍の将兵たちがローマ帝国にミトラ教を広めた。またアフガニスタン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方を合わせた地域には、ミトラ神を崇拝するミトラ教国家「バクトリア」が誕生した。

■17■トルコ北部とクリミア半島にはクルド人がミトラ教国家「ポントゥス王国」を作った。ここの海軍将兵たちがローマにミトラ教を広めた。またアフガン・パキスタン・中央アジア・カシミール地方には、王家がギリシア系のプラトンとつながる一族であり、ミトラ神を崇拝する「バクトリア」が誕生した。

■18■バクトリア滅亡後に「クシャーナ帝国」が生まれ、仏教を国教とした。しかしミトラ信仰も盛んだったので、影響を受けた弥勒信仰が生まれた。これら一連の歴史の流れの中で「西方ミトラ教」が生まれ、更に発展して「東方ミトラ教」になった。ミトラ神学はイスラム神学の中にも取りこまれて行った。

■19■ミトラ教は3世紀までのバビロニアを中心とした「原始ミトラ教時代」、ローマ帝国とセレウコス朝シリアを中心とした「西方ミトラ教時代」、バビロニア=イラン=中央アジア=中国など全ユーラシア大陸に広がった「東方ミトラ教時代」、イスラム神学と融合した「東方神智学時代」に区分できる。

■20■原始ミトラの流れをもつミトラ派は、アケメネス朝末期からカルデア人神官団のバビロンの占星術と結びついていく。ミトラの密儀とバビロニアの占星術が融合することで秘教占星学、つまりズルワーンの下にミトラがいて善悪両神を統括する形のズルワーン神学が生まれ原始ミトラがミトラ教となった。

■21■このミトラ教を含むバビロニアの宗教思想は、のちにバビロニア=ストア学派の手でローマ帝国に伝えられる。彼らは紀元前4世紀〜紀元後3世紀まで約700年間活動した。ミトラ教はローマ帝国内で非常な威勢を誇った。各地にミトラ神殿が建立され、歴代ローマ皇帝の中にも、信仰を捧げた者がいた。

■22■しかしその後、ローマ政権と結んだキリスト教により、一元的な宗教支配体制による世界独占の方向に進んだ。313年にコンスタンティヌス帝のミラノ勅令でミトラ教の敗北はほぼ決定した。ミトラ教の復興に尽力した教養ある賢帝ユリアヌス帝の死後は、ミトラ教をはじめとする異教の神殿は破壊された。














ミトラについて(1)

 

■1■一般的にミトラとはインド・ヨーロッパ語族である古代アーリヤ人が信仰する男神の名である。現今の研究では紀元前3000年頃、出自不明の古代アーリア人は中央アジアを起点として、ヨーロッパへ向かう西方系とイラン高原・インド亜大陸に向かう東方系に分かれて、民族移動を開始したとされている。

■2■この東方系アーリア人は、紀元前2000年頃にイラン高原とインド亜大陸に分岐した。すなわちイラン系アーリア人とインド系アーリア人である。そして紀元前1500年頃、インド亜大陸に本格的に侵入を始め、先住民族のドラヴィタ人と支配・融合過程で双方の宗教が融合して、バラモン教が形成された。

■3■この際ミトラ神もヴァルナ神と共に双主神として取り込まれている。内容が紀元前15世紀まで遡ると考えられている古代インドの聖典の1つ『リグ・ヴェーダ』には、千の耳と万の目を持ち、常に目覚めているミトラは、光・真実・盟約を司る太陽神であるミトラへの賛歌が繰り返し出現している。

■4■紀元前1〜後5世紀頃のイラン高原東部からインド亜大陸西部にかけては、素朴な太陽信仰・ミトラ教・ゾロアスター教などが混交分布していた。ここに大乗仏教化・菩薩信仰化しつつある仏教が進出してきて生まれた弥勒菩薩(マイトレーヤ)信仰には、ミトラ神崇拝が深く影響したと考えられている。

)仏教の弥勒・マイトレーヤ(Maitreya)はクシャーナ朝の太陽神ミイロに由来し、ミイロはイランの太陽神ミスラMithraに由来するので、ベーダの契約神ミトラMitraと関連する。

■5■この弥勒菩薩については、その救世主的性格からゾロアスター教の影響も指摘されている。後の阿弥陀仏信仰についても、その光明神としての性格や西方浄土信仰から、ミトラ神が影響していると見る説もある。なお浄土の思想的原義はインドの仏国土だが、一般には阿弥陀仏の西方極楽浄土をさす。



■6■紀元前2000年頃アナトリアに侵入したヒッタイト人は、前1680年頃王国を作り、古バビロニアを滅ぼした。その古代ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ(現トルコ領)から出土した、紀元前14世紀の粘土板文書『ボアズキョイ文書』に、ミトラはヒッタイト人とミタンニ人の盟約の神として現れている。

■7■ザラスシュトラは、善悪二元論を背景とした、唯一の至高神アフラ・マズダーへの一神教『ゾロアスター教』(ゾロアスターはザラスシュトラのギリシャ名)を創始したが、後にアーリア人に信仰されていたミトラ神も天光の神として取り込まれており、正義、契約、盟約、真実を司るとされていた。

■8■ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』ではミトラは死からの救い主・浄福を与える者・勝利者・戦士・広い牧場の主などと称され、多神教の内の一柱だが非常に人気が高かった。このように同じ名のミトラ神であっても、信仰される土地や時代によって、その呼び名や意味あいは様々に異なっている。

■9■カスピ海南東部及びイラン高原東北部に興ったパルティア王国(紀元前247年頃〜紀元後224年)では、首都の1つにミトラダトケルト(現トルクメニスタンのニサ)という名があり、ミトラダデスと名のる王が何人もいたように事からも明らかなように、ゾロアスター教と共にミトラ教が信仰されていた。

■10■アルメニア王国(紀元前190年〜紀元後428年)のゾロアスター教では神々が改変された。最高神アフラ・マズターは「父」、ミスラ神はその「子」と尊称され、またこの世の終末に再臨するなど、キリスト教と重複する内容となっている。(なお「母」アナーヒターを仏教の弁財天と同一視する説もある)














ミトラの流れを辿って



■1■ここのところずっとミトラ神及びミトラ教をトレースしている。世界最初の宗教で、メタトロンや弥勒菩薩、マニ教やズルワーン教、ゾロアスター教は勿論、キリスト教の教義のほとんどの元型があり、占星術のサビアンから神智学・人智学にも係わる、ユーラシア大陸の深い知的・情的な通奏低音である。

■2■それと同時にユーラシア大陸中央部を視野の中心としてこれまで教えられてきた歴史を見ると、それらがいかに西洋的な独善と偏見に満ちたものであるか、また中国の中華思想的な史書や世界観に基づいたものであるのかが良く分かる。中央で連結したまま東西がいかに連動して栄枯盛衰発展滅亡してきたか。

■3■千年・二千年のタイムスパンではなく、五千年・一万年のタイムスパンでも世界を見る時、日本・韓国・北朝鮮・中国・台湾、そして東南アジアや中央アジアの国々と、争いいがみ合うべきでなく、敬愛し合い助け合いながら進むべきかが見えてくる。水のように湧きあがり広がりゆく中央アジアとは何か? 













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