ミシャクジ信仰のさらに奥に

 

■1■現在の神道・古神道的な神話層の奥に、今でも歴然と存在するミシャクジの問題は、胎盤と胎児の問題まで含有して余り有る。胎児由来の胎盤は、胎児が反転してこの世界に生れ出た途端、本来この世界のものでない在りようとして生滅していく。そしてそれに守られていた胎児と異次元で繋がりを保つ。

 

■2■胎盤を被って生まれきた子には特別な力があるという考え方が、芸能・職人世界においては現世ならぬところと繋がってものを産み、ことを創る領域との繋がりとして、この列島では今でも存在し続けている。これはどちらが先と言う話ではなく、世界卵とミトラ神の原初神話とも繋がると見てとれよう。

 

■3■個人的には記紀の内容には殆ど重きを置いていないのだけれど、それらの履いて後にある諸々の操作を差し引いた後に残る文献学的な意味と価値までは無視しない。しかしたかだか2千年にも遥かに満たない文言のみに、余りにも大きな重きを負わせ続ける現今の諸アプローチのみが正しいわけではない。

 

■4■人間の準備が整えば出現する化石のように、今後様々な定説とされてきたものたちをひっくり返すべく、遺跡や人骨もまたその出番を待ち続けていることだろう。殆ど覆い尽くされてしまった世界全般の古層の、意識地表面のまれなる露出地として、日本の今後の諸事が世界中のものごとと繋がるだろう。

 

■5■世界のより古き神や神話が、蛇として表現され象徴されているのが現状だ。しかしそのさらに元となる在りようを異なる言葉や象徴で表現できないまま、全てはミシャクジ全ては蛇というどん詰まりのなかでその先を見ていくことは難しい。もっともそれには人間の限界を超えていく必要があろうけれど。

 

■6■諏訪を中心にした広大な地域で、今でもごく自然に息づくミシャクジ信仰。出産後に胞衣・胎盤を神への感謝と共に納めたり、自宅の敷地内に埋めたりするのはバリ島などだけでなく、この列島でもあったことだとは、諏訪大好きの画家ましましさんと諏訪で温泉につかっていた時は思いもよらなかった。

 

■7■しかも胎盤は、生物学的には有胎盤類(有袋類とほ乳類)に進化して以降の動物にしかないわけで、呪術的と括られているけれどトーテミズムにも詳しいあにまんだら氏の世界もまた、ミシャクジの世界観と重なっているわけだ。さらには妖怪哲学を立ち上げようとしている甲田烈氏のワールドとすらも。

 

(続くかなー)

 


■8■たまたま自分の成そうとしていることと、それ以上に大きいこととが重なってしまうことには驚きはしないし、さしたる気負いももはやない。しかし7月10日に以前からセッティングしていた福岡での多面体ワークと話のイベントに関して、よもや第24回参議院議員通常選挙と重なるとは思わなかったし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


春分から夏至、そして秋分へ

 

■1■春分の日に関西ヌーソロジー関係の人たちメインのバスツアーで、BOBと私は奈良の大神神社を訪れた。そして夏至の日にも、BOBと私は奉納奉告祭の記念講演をさせてもらった。この翌日も2人で今度は砕けたお話会を桜井でさせてもらったのだけれど、そこの詳細はまた別のところで報告したい。

 

■2■そしてその翌々日の24日には、今回の三輪イベントの主催者と協力したチームASUKAのメンバーの一人が、関空から慌ただしくサンマリノ共和国に飛び立った。そこには数年前に神社ができて、そこでの酒関係の催しに参加し、かつ多面体と今回の絵画の掛け軸を紹介し、奉納したりもするようだ。

 

)ちなみに大神神社と三輪山はお酒にも大いに関係があり、酒を造る杜氏が全国から集まる。この「杜氏」(トウジ)という言葉は、成熟した女性を表す「刀自」からきている。かつて噛んで醸される酒を作るのは、もっぱら女性の仕事だった。

 

■3■23日の夕刻、帰路の途中に、オオモノヌシ≒OCOTが重なる奉納した絵画や、大神神社などの古い神道とも自然に繋がってもいそうな、さらに古層の神たち≒ミシャクジについて語っているらしい中沢新一の『精霊の王』を購入し、ついでに買った山村明義の『神道と日本人』のページを何気に開いた。

 

■4■本の背表紙裏から出でいるしおりひも(日本ではスピンという名らしい)が挟まったページだったのだが、そこには昭和62年に日本の神道史上初めて北米大陸で「世界平和」を目指して神社創設した話が載っていた。私は21日に神道は世界に布教展開などはしないと話をしたが、乞われて造る神社はある。

 

■5■最初に書いたサンマリノの神社もそうだが、アメリカ本土の神社の神主さんも来日して神道を学び、神主の資格を認められている。そして驚いたことに、その名前は「アメリカ椿大神社」なのだ。この神社創建に尽力したのが三重県伊勢一の宮の神社「椿大神社」の97代の山本隆前宮司なのである。

 

)神職認定書は本来は神社本庁が行うのだが、現在は外国人の浸食資格を認めていないので、椿大神社が独自に認定書を出されているという。

 

■6■なぜ椿大神社の名で驚いたかと言うと、先日の夏至に大神神社への奉納に続いて、さらに今年の秋分の日に、画家の亜紀さんは、この三重県の椿大神社に絵画を奉納する予定でいる。この予定は以前から決まっていたのだが、私はこの時も記念講演をする予定になっているのだ。偶然にしてはベタ過ぎる。

 

■7■この椿大神社には数か月前に1度訪れたが、主祭神は猿田彦大神である。ここは猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされている。また別宮椿岸神社の主祭神は天鈿女(アメノウズメ)命だ。言うまでもなく「芸能の祖神」として信仰されており、ミシャクジとそのまま相い通じる。

 

■8■猿田彦の方は現今と別の世(もう少し狭めれば天つ神系と国つ神系)の界面に立ち、双方を繋ぐ存在でもあり、こちらも古層の神及びミシャクジとも大いに関係がある。さらに椿大神社は「暦」に関しても縁の深い所であるらしい。私は能動的に関与する意志はないのに、もうこてこての巻き込まれ型だ。

 

■9■21日に大神神社で話をした、古代の太陽ネットワークと中心が移動してきた三輪の太陽ネットワーク(夏至・冬至ラインと古代30里・30里のグリッド)を繋ぐ領域の世界として、また惑星グリッドと黄金比、太陽暦と太陽信仰などを滑らかに繋ぐための「暦」というものの変遷と世界観…。話はこれからだ。

 

()「椿大神社」は「つばきおおかみやしろ」と読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オオモノヌシのいるところを求めて



■1■「生物種の進化と分裂」と「諸生物の人間への収束」とは非平衡な時間軸の中では一点から無数に枝分かれし拡散しゆく世界と、無数の水源から小川が合流し合って最終的には大海という一所へ収束するのと同形の、非対称的な双対性を持つと見てとれる。人間という未完の頂点が今後どう展開するのか。

■2■オオモノヌシはその常に現在である交差界面(別の表現をすれば過去の総体と未来の総体の交差界面としての現在という動的平衡的世界)として、もしくはそれをそのようになさせしめている全体構造として解することができる。誰か他者が言う定義は無駄ではない。しかしそれを鵜呑みにするのは愚行。

■3■身体と世界と自分と言う世界を視覚的に見るモノの関係を踏まえて言えば、オオモノヌシは自分の右手と左手をつなぐ力戦の真ん中と、そこを見つめる自分自身の視線との間の黄金分割点にある。幾何学的表現ではない。衒学的な詩的表現でもない。他者に対してではなく自分自身への自分の言葉でだが。

■4■現今の日本には、日本にやってきた様々な人間のDNAもしくは気質が全てある。世界各地ではもう絶滅してしまった遺伝子や言語や身体所作も含めて、それらが今ここに全てある。生物学的にあり得ない急激な身体変化、寿命、そして国としては絶滅危惧国のぶっちぎりのトップでもある日本と言う国。

■5■フフリカを出て日本列島に辿りついた38500年前から続く平和で自我の希薄な列島人は、弥生時代古墳時代に経済的世界観、定住と宗教、戦争と階層社会を持ちこみ、また明治以降の文明開化、世界大戦の敗戦後の支配など、何度にも分けて非日本的な強烈な自我という一種の病気をパイルし続けられた。

■6■だがおかげで日本には今、世界中の文化・食・服飾・芸術が満ち、自己他者問題や科学的世界観の海の中でも、溺れずに生きていけるようになった。あとは敢えて忘れ続けてきた自らの内なる神性、万物の神性との調和、他者との不連続状態などを、自力で想起することができればもう無敵になれるのだ。

■7■いやでも強烈なエゴや絶対的な孤独感などは今後なくなる。なくなってしまうのだから、せっかく手の届くところにある今のうちに、それらを能動的に味わい尽くしてみるのが好い。好き勝手に生きろというのではない。それらに背を向け、否定し、無視して生きていくのは、あまりにも余裕なさ過ぎる。

■8■世界中の人種が、そしてそれらのエゴが、バリエーションの富みに富んだ日本人の身体と性格に反映している。あにまんだら氏の自我同一論的なものの見方を押し広げれば、あらゆる動物の対応がそこに見られるように、世界中の人種や性格や生の個的力積などが、全て日本人の上に照応してそこにある。

■9■それを表現するには、世界共通の言葉や概念ではなく、むしろ日本にしかない言葉としてのオオモノヌシを当ててみるのもアリだろう。名前ではない。名指されているところの、名指される前のそれを、敢えて名付けることによって見当を付けるのだ。反転し続けても動的平衡で変わらない構造そのもの。














 

名もなきものとしてのあなたと私



■1■「名もなきものから全ては生まれた。」老子。「吾輩は猫である。名はまだない。」漱石。しかし猫と言う種の名は既に知っている。草木や鳥虫の名前をたくさん知っていて、自然の中でそれらを名指しできるのは憧れる。しかし名は知らぬままそれらを認識し慈しんでいる者はそれより劣るのだろうか?

■2■名は人間のためのものだ。しかも言語が異なれば共有できない。それでも混乱した状況を1つ1つ明確に言語化できれば混乱はほどけ、精神も明晰になる。しかしそれは人間としての明晰であり、言語というものへの依存でもある。安易に言語化し、理解したつもりになってしまうのも人間の性向である。

■3■名付けられる前の、未だ名ものなき「それ」。言語を持って言語化されえないものを捉えんとする試み。無・虚・非・空…等の語をつけて、捉ええぬものを捉えたつもりにしたい衝動。現行の理に収まらない「論理」や「知性」はある。それらまで現在の論理や知性で判断し評価しようとすることの傲慢。

■4■未知なるものに対して謙虚にその未知を認め、観念や無知から畏れ惑うよりも、能動的にその未知を安易に言語化することなく、敬い慈しんでみようと試みる能動的な気概。既存の言語をそのまま過去の諺的な共有遺産として用いるだけでなく、新たな結び付けにより未知を共有しようとする詩人の言葉。

■5■それは既存の名ではない。名になり行く可能性の提示だ。それを名もなきものとして共に捉えようとする姿勢が、それまでにない新しき名を生む。真の詩人は単なる名づけ親などではない。その名と名付け作業と名付け主を、ただ讃え持て囃すことで自らもそれらを共有したつもりになるのは愚の骨頂だ。

■6■人間としての名を与えられる前の生れ出たばかりの赤子に、後日名を与えることで、未だ名もなかった時の存在まで、もしくは存在の時まで、その名で全て覆ってしまおうとすることは、たとえそこに愛情があるとしても暴力でもありうる。それは現在でも未だ名付けられる前のそれでもあるというのに。

■7■名づけることで名づけられる前のそれまでその名で表し呼ぶということは、今の人間がある程度共有している約束事だからまあ良い。しかし名づけることによって名付けられた当体までもをわかったつもりになる愚は、名指しすることの粗雑なる傲慢さを自覚して用いることによってある程度軽減される。

■8■名を与えること、名を知ることが一方的に聖なることや超常力を持つこととするのは、本来の人間としての自覚が足りない。異なる捉え方、異なる表し方もあるという前提と敬意がある上で、謹んでその名を呼ぶということの意味あい。名付けられる前のあなたを、名を呼ばずに時無しにおいて敬う自分。

■9■名もなきものからすべては生まれた。そして名もなきものへとすべてが還りゆくものであろうに、名ばかりであるところの名への執着から、安直に名を残そうと努め、その名の残影に縋り付くことにはさほど意味も価値もない。縋らずとも生きるよすがはある。名付けられる前の自分自身を思い出すこと。
















 

オオモノヌシという名のなきそれ



■1■畏れ多くて口に出せない名ではなく、まさに名付けられる前だからその名を呼べないという、畏れ多きものの存在は想定できる。そうであれば、これまでの過去が今を作り未来を生み出していくだけでなく、これからの未来と捉えられていたものが今を作り、過去を作っていくという双方向を想定できる。

■2■そのような世界観の中においては、名のみであってその指示されたものが定かならぬものであるならば、これからその名で指し示す当体を明確化し、確定していくということによって未来が創出され、過去もまたそれによってより明確になりゆくということは十分ありうる。語義に拘泥している暇はない。

■3■自分が今好きな物や人の名前が、突然なくなってしまったとしても、それでもやはりそれらを愛し続けられるのかが問われているのである。名を持ってそれを認識し捉えていただけの者は、その名がなくなったら、その名指されていた「それ」が見えなくなっしまうか、永遠に失念するかも知れないのだ。

■4■名のあるものから名を取り払ってしまったとしても、それでもまだ歴然と残っているものを、もう1度考え直してみる必要がある。未だ名付けられる前の自分が、名付けられた後も絶えることなく持続しているということ。もし自覚できない未知だとしても、それに対して敬意と慈しみを抱くということ。

■5■敢えて言えば名なんぞ残らなくてもいいのだ。名は生まれそして死ぬ。名付けられないものは生まれていないものだから、死ぬこともない。既に死んでいるとも言える。それでもそれは私の中にあり、それでもそれは私でもある。今の私たちのものの捉え方、生き様、存在のカタチそのものが重要なのだ。

■6■オオモノヌシとは何か?それは人格神なのか?何らかの力なのか?システム構造なのか?いつから存在するのか?神職者は神職者はの言葉で答える。科学者は科学者の概念で考える。誰もが腑に落ちる答は見えない。それは何よりもまず問いかけそのものが粗雑過ぎるからなのだ。自らの問いの質を問え。

■7■名のみを知っていて当体をしらない者、当体を知っていてもその名をしらない者。オオモノヌシという名前だけを知っていても、言霊的な解析だけでは何も分からない。その当体を既に知っている者は、もはやその名前がなくても良い。名と当体が一致するためには知性や論理だけでてなく直観が必要だ。

■8■論理的と直観的とは全く異なる世界認識のようだが、比喩としての左脳的と右脳的と対応させつつ考えてみよう。右脳には左脳と同じ時間の流れはない。過去に散々思考を繰り返した果てに、論理の先端に直観として連結するものと、未来に散々思考したものの反映が今直観として浮上するものもあろう。

■9■オオモノヌシと呼ばれているものは、そう呼ばれる前から在った。ではそれはいつからか?科学の言う宇宙開闢からか。地球の歴史が始まった47億年前からか。生物の爆発的生成からか。人類の曙からか。縄文時代からか。それとも未だに存在はしていないのか。決めるのは他者でなく、自分自身である。














 

カミアイながら生きるということ



■1■「それ」は言語、少なくとも「名付け」の前から在ったものを、現今の私たちの言葉で指し示した瞬間に出現したり生まれたりしたものではなく、それ以前から在ったものだ。それが人間世界を今のように形作った。同時に別の表現をすれば、人間である私たちが世界をそのように認識するよう設定した。

■2■しかも西洋その他の一神教的な人格神などではなく、私たちの1人1人の誰1人も漏らさず、その一部もしくはそのものでもある。決して言葉が神であったり、数が神であったり、私たち1人1人の別の領域の存在であったりというレベルの話ではない。どこかでピリオドを打つことができる話ではない。

■3■私たち人間の脳の使い方使われ方が、ある時代的なスパンで異なるというのは在りうることだ。価値判断や意思疎通や、神や他者を含む世界と自分との関係で言うならば、現今の西洋文明的な流れの中にあった論理・知性・証明・認識・科学・哲学とは異なる世界把握、自分の在り方は確実に在るだろう。

■4■数理の10進法や60進法そのものは、それら異なる世界の捉え方を繋ぐ共通言語性を保持していると考えられる。私たちとは別の数学や幾何学も想定できるだろうが、それは異なる世界や個を語る時のパラメーターには使えないので外しておこう。思考の時代から直観の時代へ…という捉え方は浅薄過ぎる。

■5■頭の中で神の声が聞こえるという古代ローマの人々などを、脳の異なる使われ方として語るだけでなく、強烈な自我を持つ時代と自己すらあまりない時代が交互に訪れるという捉え方に甘んじず、今はそれもまた自分が自分と認識していない「未自分」として捉える可能性のある時だ。私が私を見るのだ。

■6■在る時の瞬間的な閃きや天啓や直観はどこから来るのか。「どこ」という設定が朴とつに過ぎるから、個の中の別の時から、もしくは個を超えた別の所からという生半可な答が出てくる。別の時、異なるところでの熟考の果実。真剣な祈りと純粋な思考とは似ているところがある。自身への受動と能動。

■7■「前時代」とか言う言葉を安易に用いると、一定の時代ごとにほぼ全取っ換えで時代が転がっていくイメージだが、そのような用い方でアトランティスとかムーとか神話・伝説の時代などと語っても、それらと今とがどのように繋がっているのかを解明し創出し、共有していけなければさほど意味がない。

■8■それらの作業はとても単なる個体で成せるものではない。そもそも個体という意識が強すぎる。自分が1人でいる時でも他者と共にいる時でも、自分が自分と思っている自意識の無い時がとても多いことにまず気がつかなくては。生きるということがそもそも世界との融合であり、神会いである時なのだ。















 

飛鳥はなぜアスカと読むの?



■1■今日、熊本まで車で帰る途中に、以前ほしいと挙手していたディジュリドゥーを、私の誕生日祝いにわざわざ持ってきてくれた人の名前が「飛鳥」なのもあって、「明日香」の枕詞が「飛ぶ鳥」であることや、なぜ「飛鳥」と書いてアスカと読むのかを、『三輪山と古代史』を参考に考えてみようと思う。

■2■万葉集の中に「飛ぶ鳥の明日香」という枕詞と地名で読まれた歌は4首ある。古語辞典は無責任掛かり方不明と言う。「飛鳥と書いてアスカと読むのは、意味を取って訓みならわしたもの」という物言いは、何の説明にもなっていない。江戸時代初期から現在まで、20を超える様々な説が唱えられている。

■3■大浜厳比古は「三輪山の山容が翼を広げて明日香へ飛来する鳥の姿に見えるから」という説を主張する。持統天皇陵の東端に立ち、三輪山一体を見渡すと、三輪山を胴体にして左に龍王、右に巻向山が翼を成して大きく舞い明日香を包む、まさに「飛ぶ鳥の明日香である」と自らの感動的な体験から語る。

■4■もちろんこの説にもツッコミが入る。飛ぶ鳥を呈するのなら「飛ぶ鳥の三輪山」の方が正しいのではないかと。岡本健一が「明日香の3文字の中に鳥が飛ぶ」という別解を示している。明日香の中の「日」の字は元々〇の中に〜」入る形であり、「〜」の形は飛ぶ鳥を表すという字源を知っていたと言う。

■5■中国の神話学者・劉城淮は言う。中国上古の人は太陽黒点を発見した。古来の太陽紋は円の中に1つの黒点を書いて太陽の黒点を表している。これに基づいて「日」の字を創出者は円の中に〜と写した。「〜」はすなわち飛鳥の象(ひちょうのかたち)である。一般の人は太陽を金烏・陽烏と呼んでいる。

■6■そして「明日香」の地名を表す文字の中に、1羽でなく3羽の鳥が飛んでいることにも飛鳥の人たちは気が付いた。「明」にも「香」にも確かに「日」という字が含まれている。聖徳太子の時代には「阿須迦」と書かれていたが、天武朝になって「明日香」が生まれ、持統朝になって飛鳥が登場したのだ。

■7■650年頃制作された「玉虫厨子」の中には「陽仲の金烏」と「月中の白兎」が描かれている。天武朝の人々は太陽の中に3本足の烏が住む神話を強要として知っていたと考えられる。熊野では烏は神の使いだが、日本サッカー協会のエンブレムが、ボールを持つ3本足の八咫烏」名のはすでには有名である。

■8■枕詞と地名のセットの長谷の泊瀬(ながたにのはつせ)から枕詞の長谷がハセとなり、また「春日の霞処(はるひのかすが)」から枕言葉の春日そのものをカスガと訓むようになったように、飛ぶ鳥の明日香も飛鳥でアスカと読むようになり、713年に地名表記が2文字に統一されると飛鳥が定着していく。














 

日本の食事は神が神を食べる神事



■1■日本には何でもある。世界中の食べ物が、その美味さも兼ね備えてほとんど揃っている。世界中のファッションの最先端が様々に入手できる。私たちはそれが当たり前だと思っているが、他国からは羨ましがられている安全や清潔、誠実さや譲り合いなどの世間を共有している。それは単なる幸運なのか?

■2■ここ数十年間に日本人は身体も精神も大きく変貌している。ただ一様に身長が伸び、性格が穏やかになったのではなく、画一的と言われがちな私たち日本人の身体的特徴も心的な性格も、今までにないほどその幅が広がった。高潔極まりない人から、悪魔のように邪まな者まで、同一空間にいる不思議さ。...

■3■あにまんだら氏の「種我同一論」の概念を拝借して、種の「生物種」を「人種」に置き換えれて表現すれば、まるで世界中の様々な人種の特徴の反映が、この島国の中に揃っているかのように思われる。そしてそれは人間の個体の内面として見ても、幅が広く奥行きは計り知れない。この日本と言う世界。

■4■しかしこの短期間における激変は、1万5千年、2万年以前からの長きに渡る繋がりの先端に接続している。例えば日本語の食前の「いだきます」という言葉は、食材を運んだ人や調理してくれた人への感謝ではなく、先ず食材そのものへの「命をいただきます」という感謝の気持ちが込められている。

■5■欧米の言語には神の恵みに対する食前の祈りはあるが、この食材への感謝の言葉である「いただきます」に相当する言葉がない。海に囲まれ森林豊かなこの列島は、多種多様で豊穣な食材に恵まれてはいたけれど、それらを徒に貪ったり粗末に扱ったりせず、食事そのものを祈りとし、神事としてきた。

■6■手を合わせ目を閉じて「いただきます」と言う、言わば音なき一礼一拍手の仕草は神前のニ礼二拍手に通じる。食材もまた神である。食事とは単なる生命活力のチャージではなく、動植物の命を摂取して生を伸ばす者の、大自然との命の交換の儀式であり、良く噛み己れの血肉とする「神事」でもあった。

■7■そして食後の「ごちそうさま」は食材を作ってくれた人や食事を作ってくれた人に対する感謝の言葉である。言葉は時代により変わってきたかも知れない。しかしその言葉に乗せる思いや祈りは、私たちの命の繋がりの中で、絶えることなく1万年以上前から食事の度に繰り返し唱え続けられてきたのだ。

■8■青森の大平山元I遺跡から出土した土器は、信頼の置ける放射性炭素年代測定法により、それが約1万7千年前の世界最古の土器であることが判明した。そしてその土器の内側に付着していた炭水化物から、食事の煮炊きに用いられていたことも分かっている。人類最初の調理の揺ぎなき証拠なのである。

■9■神道が発達したのは、米を中心とする農耕社会に移行してからと考えられているが、その起源は遥かに以前の縄文に遡れる。そして古来より日本人にとっては、食事が神事でもあった。現代ではそれを祭りの後等の直会と言うが、ひとたび神に供え祈りを捧げてから、そのお下がりとして頂くものだった。

■10■今ではそのようなことを意識して食事をする人は稀れだろう。敢えてする必要もない。しかしそれらは未だ消え去ることなく、私たちの言葉や仕草や遥かなる記憶の中に残っている。完全に忘れ去られる前に、ふとそれらを思い出したら、記憶の中のかみあわせを意識しつつ食事をすることもできるのだ。

■11■縄文以前の旧石器時代から絶えることなく繋がってきた私たち日本人の心身が現在前代未聞の変化を来していると言ったが、それは他人事ではなく私たち1人1人の内部の出来事でもある。今ここでこれまでの歴史や伝統を糧にして、神道からすらもはみ出した新しい領域に突入しているのかも知れない。















 

神道、この不思議なもの(1)



■1■日本語と日本人を考える場合、やはり日本固有のものである神道は外せない。神道は実に長い時間をかけて形成されてきた日本土着の民族宗教だ。仏教・儒教・道教・キリスト教・イスラム教など、様々な宗教に出会い影響も受けてきた。しかし名称だけをみても神道は神道であり、何々「教」ではない。

■2■神道とは何か?と問われた時、学者や専門職の者は自らの言葉でそれなりに語ることはできるだろう。しかし多くの人が納得できる説明ができる者は殆どいないだろう。神道が複雑で難解だからではない。むしろシンプル過ぎて説明がしがたいのだ。神道神学や古神道という言い方すら中世以降のものだ。

■3■神道には創始者もしくは開祖がいない。宗教的な教義もない。救済という概念すらもない。そもそも最初は神社の拝殿や本殿もなかった。ルーツをずっと辿っていけば、各地の社殿が土地に定まるずっと以前から祭祀はあり、それは屋外の巨石や磐座のある場所で行われていた。建物の中では決してない。

■4■岡田荘司編の『日本神道史』には、玄界灘の沖合にある沖ノ島と奈良の三輪山の例が載っている。沖ノ島では祭祀は最初、島内の巨岩の上で行われていたが、やがてその祭祀の場は岩陰に移り、さらには半露天を経て露天で行われるようになった。一貫して神殿その他の建物の中では行われていなかった。

■5■三輪山もまた、最初は山中の磐座で祭祀が行われていた。山中には非常に多くの巨石がある。禁足地内は発掘ができないが、周辺にも祭祀が行われた遺跡がある。三輪山の麓にはいつ創建されたのか定かでない大神神社が鎮座しているが、祭祀が始まったのはさらにその遥か昔であることは確かであろう。

■6■仏教もキリスト教も他の様々な宗教も、信じる者の「救済」を謳う。しかし神道には救済という概念がない。八百万の神と一神教の神に同じ言葉を用いるのも混乱の元である。後になって救済論を確立せんとする動きや、救済を前面に押し出す神道系新宗教も現れたが、それは後付けであり主流ではない。

■7■日本の神は天地創造の神ではない。『古事記』を見ても、神々はすでにある高天原にただ現れてくる。最初に現れた神々は何もしないまま消えていった。地上を人の住めるようにせよと言われたイザナギとイザナミは、矛でかき混ぜはしたが、オノゴロ島も自然に凝り固まってできた島という意味である。

■8■八百万の神もただ非常に沢山なだけでなく増殖していく。人間を神として祀るのにどこかの許可を得る必要もない。もちろん納得できる由緒がなければただ人界から消えていくだけだ。単に人格神的と捉えようとしても無理がある。どれだけ分け御霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も同じ働きをする。

■9■トヨタの「カイゼン」は世界的に通用する言葉だが、神道は基本的に進歩も改良もない。昔から少しも変わらぬまま、受け継いでいくということが根本的に重要なのだ。そして私たちの現代のものの考え方では解せない様々なものたちも、露わにされることなく歴史を超越してひたすら引き継がれてきた。

■10■それでも私たちが神社に出向く場合、心を整え身を清める。社殿に赴く前に、手水舎で手を洗い口を漱ぐ。だがそれは成すべき戒律ではない。神道には戒律もない。ただ穢れをなくして参拝するのは自然な流れに思える。儀式に臨む神主が精進潔斎するのもまた、規則だからではなく自主的な行為なのだ。

■11■神道は他の宗教と異なり布教はしない。国内でもそうだ。私たちは家の宗派に沿った仏教徒とも言えるが、自分は無宗教だと捉える人も多い。しかし参道を通りって鎮守の森に入り、鳥居を潜って社殿の前に立つと、程度の差こそあれ自然に居住まいを正す。そしてゆっくり神とは何か考え始めたりする。

■12■そもそも神道のことを深く考えようとすると、いつしか眠ったような状態になりがちだ。拝殿の前に立ち手を合わせると、思考も情念も静かになっている。どうも神道は現代的な論理や思考に基づいた脳の使い方とは異なる部位も用いるようだ。もちろん現代の私たちの意識の在りようもは否定されない。

■13■必要を感じなければ、わざわざ参拝する必要もない。日々のお勤めのように心の中で手を合わせる必要もない。では日本人にとっての神とは何か。自分が自分と自覚する自己領域と、それからはみ出してはいるが場とも分離してはないより大きな領域とが上手く「かみあう」ことそのものとも捉えられる。

(この項、続く…多分)














 

日本人はここで日本人になった


 
■1■日本人とは何か?多様で豊穣な地理条件の中で、戦争より共存を選択し、花鳥風月を愛で、他者を出し抜く強烈な自我に振り回されもせず、基本的に清潔で優しい生活を好む気質や伝統。そんな私たちが当たり前のこととして生きている諸事に、海外の人たちは驚き、時には羨み尊敬すらされたりもする。

■2■私たちがアイデンティティを重ねるそのような「日本人性」とは、どこか遠くの地で生じてこの地に持ち込まれたのだろうか。そうではあるまい。多様な人間が様々な時代と道筋からこの地に辿り着き、少なくとも1万年、1万5千年という長い時を経て、それらはこの地で生まれ育まれたものであろう。

■3■まだ名もない日本列島の中で、長い時をかけて世界的にも特殊な人種として括られる縄文人が生まれた。やがて民族として括られて倭人と呼ばれた。律令制のローカルな国家を構築してから、統一国家の国民としての日本人となった。かくして私たちは今、自らを日本人と称し、日本人として生きている。

■4■しかし現今の私たち日本人が「日本人性」と称しているものは、その最後のわずか千数百年の間に急遽構築されたわけではない。日本人が日本人と自称する遥か昔から、縄文時代のさらに前の旧石器時代から日本人的なその歴史は始まり、途切れることなく私たちの内外に滔々と流れ続けて来ているのだ。

■5■そしてそれは有史以前の茫洋とした縄文・弥生・古墳時代として、伝説や神話と同様に霧の向こう側にあるのではなく、私たち1人1人の心身と生命・精神の中に存在しているのだ。生物として内包された歴史はさらに遥かまでの奥行きを有している。それらをいかに想起し、反転して未来へ展開するか。

■6■地質時代のタイムスケールを1年365日に重ね見れば、更新世は12月31日の午後7〜12時にあたる。縄文1万年と言っても、約260万年間の更新世をツォルキンに比すれば、僅か1キンに過ぎない。一方的に他者他人に歴史を問うだけでなく、自らの生命の中にそれらを想起し、それを生きるという姿勢。

■7■安易に「私たち日本人はもっと自らのアイデンティティとその在りように自信を持って良いのだ」と声を大にして言うと、劣等感や優越感を徒らに攪拌してしまう。大きなアドバンテージがあることに、それとなく気づけばいい。そして気づいたら何をすれば良いのかも、各自で決断すればよいのである。

■8■縄文というものをよく知らないまま、ただ「縄文、縄文」と肩入れして唱えるだけでなく、良く知ること。また自らを地球を超えた「宇宙人」と称する者は、この地球の歴史や生命の現実をより明確に知っていなくてはなるまい。強烈な思い込みは悪くない。それを他者と共有できるカタチに整えること。













 

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