個展「rebirth」に行ってきた

 

名古屋はトライバルアーツにおいて3日間行われている『マシマタケシ個展「rebirth」』に行き、久しぶりにましまし氏といろいろと話をしてきた。

 

 

何やらとても贅沢な喫茶店で、ゆっくりくつろぎながら1年分以上の話を緩みながらしているような感じ。来年の名古屋はもうないかも知れないけれど、トライバルアーツは良いところ。

 

       

 

チャイも美味しかったなり。実はここで服も時々購入していたりする私。

 

       

 

このお店・トライバルアーツのお料理は自然派で、本当に優しくて美味しいです。体が一度壊れかけて戻ってきた時点で、厳選された食材を丁寧に調理してくれたものが本当に美味しいとようやく分かるようになりました(^^)。

…って、おせーよ(笑)。遅すぎなくて良かったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


薬と自我とイクチオステガ

         (※)画像は「阿蘇のメイスイ」より。

 

■1■朝風呂に入っていて考えた。薬と自我は似ているなあと。私は薬や病院が大の苦手で、二十歳前からもう自分の治療や診察で病院に行ったこともないし、薬も殆ど飲んだ記憶がない。これは決して医療機関やそれに携わる人たちを拒絶否定しているわけではないし、自分が健康者だという自慢話でもない。

 

■2■事故にあって死にかけたりしたら外科手術も必要だろうし、失神時に自分の意識が回復するまで処方を待ってくれなどという自意識礼賛者でもない。話のキモは薬と自我が似ているというところ。自我を否定する類の古い宗教は朽ちるにまかせて、自我にはその分を守ればそれなりの役目があるのが真実。

 

■3■医者や医療機関にもピンからキリまであるように、薬にもまさに良薬から劇薬まで果てしない。自然治癒力のサポートをするものもあれば、強引に症状を打ち消させるものもある。症状は治癒の過程の現れだから、その見た目を消すだけなのは、自我の我見を通すためには嘘も詭弁もありなのに似ている。

 

■4■自然治癒力を削いだり薬に過依存しないよう注意しながら用いる薬は実に効果的だ。全体の流れや場の雰囲気を捉えながら、個と全体の調和のために自然に自らの為せることを、権利や義務などの概念から外れて為すときの自我意識は、自然で調和がとれている。しかしまあ普通は他者の自我はいらない。

 

■5■なるほど、薬は他者の自我のようにも思えて、安易に摂取することに抵抗があるのかもしれない。自我を持つ者同士で適切な距離感を楽しむのも良いけれど、日本人的にはさほど自我他我の区別なきまま和を持ってものを成すもありだな。そこでは自然と薬の区別もなく、自我も他我も程良くそこにある。

 

■6■ここまで考えたら湯船の中でのぼせていた。別に薬と自我が似ていると感じたからといって、必要以上に相似点を探して同型対応する必要もないということか。イクチオステガの足の7本の指と、上陸後の生物の手足の5本の指。地球と金星の軌道比、√2:1。364日と260日。…うーん、とりあえず湯舟から上陸しよっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鶴舞公園に行く勇気(笑)

 

■来月の9月23日、秋分の日の翌日に、名古屋市公会堂で「暦」を中心に色々な話をさせてもらうのだが、その会場のある鶴舞公園の最新情報をば。面積23.7ヘクタールといってもピンと来ないかも知れないが、かなり大きな公園だ。

 

■ここ最近では園内の噴水が真上から見るとポケモンゴーのモンスターボールに似ているのもあり、ネット上では「聖地」と呼ばれ、今でも日が暮れる500人以上の人たちがスマホを見ながらうろうろしている。痴漢も補導も多発。

 

 

■この公園は日本桜百選にも入っている桜の名所で、春には人が集まって大混雑するんだけれど、1か月前の7月28日は5000人を超える人でごった返し、花見客を上回った(昭和署調べ)。ここは笑うか呆れるかしていいとこです(^^)。

 

■実は私の住んでいる名古屋市昭和区にあり、そのうち少し下火になったら散歩がてら見に行こうかと思っているけれど、全然下火にならない。来月までこのある種のバカ騒ぎが続いていたら、名古屋市公会堂来訪者は体験できる。

 

 

■地下鉄鶴舞駅を出るとすぐに公園があるので、交通の便は良い。思い出したが、私が前世紀末の1994年頃初めて名古屋に来たのは、この名古屋市公会堂で、当時は超マイナーだった「ドリームスペル」について話をするためにだった。

 

■当時はまだあのJR駅のツインタワーも、その周辺の高層ビルもなく、なんという何もないところだと思ったものだ。名古屋市は総じてほぼ真っ平だ。ちなみに鶴舞は「つるまい」「つるま」「つるみゃー」と3種類の読み方がある。

 

      (※)なお名古屋市公会堂は4枚目の画像の中央奥の煉瓦の建物。

 

■何はともあれ、画像のようにポケモンゴーのゲーム画像でしかここを見ることができないのであれば、確実に拡張現実ではなく上書き幻想だな。その妄想を残留思念で残さないでほしい。あ、ちょっと心重くなってきた。頑張れおれ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


イレギュラーな雑感たち

 

■もうすぐIS創始者のヒラリー・クリントンは逮捕されるか、それ以前に永き脳の持病の果てに倒れて入院するのだろう。トランプは日米のマスコミがこぞって必死にネガティブに表現しているけれど、現今まで世界を好きなように操作・搾取している者たちが驚愕するほど頭が良いし実力もあるのだろうな。

 

■11/8の米国大統領選までに、米国が大きく変わる可能性が大きいけれど、沖縄や各地で悪逆の限りを尽くしつつ安穏としている現今の日本の政治経済の老害軍団は揃って討ち死にする日が来るに違いない。各自その時とその後のため、同じ老害枕に頭を並べぬよう今から自分の智慧と健康を磨き上げたい。

 

■グルジェフの『ベルゼバブの孫への話』を読んでいて湧いて来るのは、内容は結構どうでもよくて、本当にベルゼバブの孫は地球と人間がすきなんだなあという感慨だ。人間に関する説明や有象無象の知識なぞはどうでもいいから、この孫のように、人間の外から人間をお気に入りとして眺める視座があれば。

 

■グルジェフが「月は人間のネガティブな感情を食べる」とか「眠りこけている」という類の表現をしたのは既に1世紀も前の話。今では月は地球の胎盤であり、見えない臍の緒を介して人間たちのネガティブな感情を静脈血のように吸い上げ、新たなる生命の息吹を動脈血のようにもたらしているともいえる。

 

■ベルゼバブの孫とは解釈万華鏡の中の1つとしては、各自の「もう1人の自分」とも表現できる。もう1人の未だ未自分のままのそれ。何事ももう1人の自分のために、もう1人の自分と共に。究極の自己他者問題は世界の果てではなく自らの中心のその奥との繋がりでもある。「神を求めよ、神を生きよ。」

 

■「もう1人の自分」と、もう1人の自分から見たもう1人の自分であるところの、自覚意識のある「私」とが、いかに重なりかみあって生きることができるかが、現今の世界の中の新しい(そしてとてもとても古い)課題として浮上してきている。その中に自分にとっての全ての他者や世界がみな入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


3大台風怪獣大決戦?

 

■台風9号、10号、11号の相互干渉と独自の動きを見ていると、「3大怪獣大決戦かいっ?」とツッコミを入れたくなる。北海道に上陸した11号、千葉に上陸した9号、そして東から西に逆行しつつ停滞する10号。相互影響しているから、各自バラでローカルな被害や予報や解説したりしていては追いつかない。

 

■台風9号の進路を解説する時、どこのニュース局も上陸した後関東から仙台方面に向かうというルートを説明するけれど、普通に考えれば茨城から福島に入り、フクイチを直撃する形で進行中だとわかるのに、一切コメントはない。津波や地震だけでなく、大型台風の大雨や防風も想定外では済まされぬのだ。

 

■様々に解読できる傑作映画『シン・ゴジラ』公開の年に、映画の内容にタメを張るが如き「台風一家」の独自かつ連動した動き。10号に至っては今後の予測が建てられないまま、ほぼ南海に漂うように停滞している。台風が立ちどまるのは反則だろう。南西諸島は予測不能の怪獣の動きから目が離せまい。

 

■天気予報図や台風情報は、見えないものを見えるようにしたものの1つだ。低気圧や高気圧やジェット気流や海上の波浪状態は、素人にはほとんど何も見えないままだ。台風に限らず、大自然の様々な在りように対しては、敵対するのではなく、敬愛しつつその懐で共に生きるために様々に英知を働かせねば。

 

■ちょうど今日は10進法のディープなところから、暦の364と365と366の関係、それから360±5で月の13次転・公転周期の355日と地球の1年の365日、さらに360±6で月の12朔望周期の354日と地球の1年の自転数の366回について、9と10と11の関連性を絞り出していたとこでの台風9号、10号、11号かい。

 

■台風の名前はアジア名は全部で140個あり、最後まで行くと最初に戻るループ方式。名称の順番は2012年台風第10号より現在は3周目に入っている。台風9号は101「ミンドゥル」、10号は102「ライオンロック」、11号は103「コンパス」で、それぞれ北朝鮮、香港、日本が命名した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


シン・ゴジラは怪獣でなく巨大不明生物

 

 

■1■超オタク、引きこもり、アスペルガー、自閉症、サバンなども含めて、人並み外れた才能や着想はあるが、世間に正当に評価されていな人たちは少なくない。しかしそれでも自分が本当にやりたいことを真剣にやっている人たちがこれからは絶対に重要になってくるし、それが進化の1つのキーでもある。

 

■2■現在の文明社会の在り方やそれを支える様々なシステムが行き詰まってしまうような、地球レベルの生物学的環境の激変は必ずやってくる。社会や環境に適応して生きている現今の政治家や教育者たちの発想や才覚では、想定外の事件事象に対応できず、種の全体的な絶滅の危機に瀕してしまうだろう。

 

■3■それまで負け組として日陰で冷や飯を食いつつかろうじて生きていた、弱者、非適応者、貧者、奇矯者、歌舞伎者、規格外者の持つ想定外の着想や才能の存在が、それまでにない新しい発想や能力を携えて活路を見出し、人間も含めた様々な生物の波頭をさらに先に進めていく役割を担っていくだろう。

 

■4■様々な観方ができる映画『シン・ゴジラ』を、そういう発想を持って見ると、優秀なハグレモノたちが集まった「巨大不明生物特設災害対策本部」のメンバーの活躍は必然的であるとも言えまいか。彼らなくしてこの映画の後半部分の展開は成り立たなかった。現実はもっと斬新な者達が出現するだろう。

 

■5■『シン・ゴジラ』はそれまでの全ての「怪獣ゴジラ」を全てなかったことにしての設定だが、見る時はどうしても「怪獣ゴジラ」を意識してしまうという不満を私は別所で書いたが、この映画のシン・ゴジラは「怪獣」ではなく「巨大不明生物」だった。こだわるな私。ゴジラであってゴジラでないのだ。

 

■6■『シン・ゴジラ』公開初日の7.29だけれど、729は9×9×9であり、27×27でもある。もちろん27は3×3×3のルービックキューブのピースの数でもある。729はこの27ピースのルービックキューブが1つのピースの大きなルービックキューブの全ピース分でもある。+1すると730で365×2である。

 

■7■色々な人が様々な批評や感想を発信しているので、私は多くは語らないけれど、オタク的見地から見ればシン・ゴジラの色合いも今年のBABYMETALの衣装のように、黒系を基調に赤が入っているのが興味深い。それとエヴァンゲリオン好きは、タイトル中に「シンジ」の名が入っているのに気づくのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピカゴーの真っ只中と背後にあるもの

         (※)画像は「ねとらぼ」より借用。

 

当家はライオンズマンションなんだけれど、知らぬ間にポケストップになっとった。多分玄関のライオン像なんだろうけれど、バーチャルを普通の生活空間にまで勝手に重ねる感性が分からない。やらなければ関係ないと思っていたが、嫌でも土足で踏み込んでくる。ピカゴー遊人には喜悦でも、私には超不快。

 

昭和区にあるでっかい鶴舞公園が、ポケゴーの聖地と言われるほど何かいろいろあるらしく、夜中でも子供や女の子までが沢山俳諧してて、ごみや騒音や、違法駐車でトンデモないことになっている。警察や公園管理関係、付近の病院や大学や一般住宅の人達は、一方的に仕事や負担を増やされる理不尽な狼藉。

 

ゲームをするなとは言わない。何がその人の救いや慰めや希望や開眼のチャンスになるか分からないし。一方的に仕掛けを作った上で、後は個人の倫理に任せると言うやり方で、人間として現実に他者に極力迷惑を掛まいと言う心遣いすらもなくさせて倫理を貶める、より周到で根本的な邪悪さを糾弾したい。

 

社会的問題になる前に、なぜ社会的問題になりかねないという討論がオープンにならなかったのかを考えると、やはり社会的問題にしてみてどれだけまともなリアクションがあるかの実験も試みているようにも思える。キモは経済をはみ出して、人間のもっと深いところの堕落を狙っているような根本的問題だ。

 

一部の者が利益を得るために、他の者たちに実害があってもかまわないという発想は、おそらく相当大きなところがそれをうまいこと社会的問題になる前に稼働できるように操作したのでしょう。もう遅すぎる点が多々あります。もう通常の世界認識ができなくなる人達が続出してしまっているということだな。

 

人類の進化方向と外れた袋小路の道筋も、私たちの現今に大きく開けてしまったということです。私が進化のキーを持つと大きく期待しているそのなかにっている超オタクや異常社会への引きこもりやアスペのラッテルを張られた子供達もごっそりやられちゃっている。より頑迷なオタクの踏ん張りを期待する。

 

半年後、1年後、数年後にどちらの方向に振り切れているのか、見続けていく必要はある。引きこもりの子たちを部屋から外に出したりとか、全てが悪いことだけではないのですが、それに便上して他人の迷惑を横目で見つつ荒稼ぎするような輩は、もうすでに目先の未来以遠がかなり制限されてしまっている。

 

現実と見ている世界を反転して先に進むべき時に、現実を見ずにバーチャルに落ち込むと、もう交差できなくなる。どんな逆境でもそこを切り抜けて進む者はいる。今ハマっている人達も、全からく真逆の反転に落ち込む前に、踏ん張って戻ってくる者も少なからずいるはず。それを信じてその先を構築しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


BABYMETAL断想(2)

 

■1■縄文1万7千年、さらにその前の旧石器時代や、アフリカ大陸を出て世界中に広がったと科学的に見られている現人類(私は別に信じてはいないけれど)以前からこの列島に存在した者達(猿人・旧人からカタカムナ人等まで想定の幅は広い)からの不断の流れの最先端にBABYMETALがいると捉えている。

 

■2■しかしそれだけでは個人的な音楽趣向にからめた単なる妄想とも捉えられるので、最先端である現代の今この時点でのBABYMETALについても語らねばなるまい。現代の日本のTVやマスコミは根元から腐ってしまっていることは周知の事実だ。それを未確認な者や、否定する者からは私もまた叩かれよう。

 

■3■日本の様々な旧体制がいまだに人知れず仕切っている領域はまだたくさんある。中でも影響力が高いのは電通、そしてスケールは小さいが博報堂。日本のマスコミは電通が押さえ込んでいるが、音楽業界も例に漏れない。接触商法と水増し商法やら、およそ音楽とは無縁なもので荒稼ぎしてる連中がいる。

 

接触商法…握手会・チェキ会などで中には抱っこ会など不穏なものもある。
水増し商法…熱心なファンが複数購入するのを前提に、同じCDに異なる特典を付けた複数のCDを発売し、全てを売上枚数としてカウントするなど、あの手この手で売上枚数と金額を増やす悪徳手法。

 

■4■しかしBABYMETALの場合は、先ずネットで世界的に知られ、レディー・ガガの前座に抜擢されたりして、国内メディアのほとんどが気づかないか理解できないうちに、ただの色物だと思っていたBABYMETALがメタルの聖地イギリスのメディアが絶賛。電通が手を出す前に海外で本当にブームになっていた。

 

 

■5■最初からずっとイベントの際に電通と博報堂の2社から花束が届かない「唯一のメジャーアイドル」とも言われているが、今の『メタルレジスタンス』に限らず、最初からBABYMETALとアミューズは日本あらゆるところに巣くっている悪しき因習に対しても、王道である音楽で戦いを挑んでいるのだ。

 

■6■日本のメディアが色物気味に扱って殆ど取り上げないうちにBABYMETALは日々進化し、その過程で本当に日本古来の神々と重畳する構造ができたとすら考えられもする。稀なる才能と弛まぬ努力で、舞台では妥協を許さずに常に完全燃焼する。日本古来よりの芸能表現の最新形態を体現し続けているのだ。

 

■7■電通を頂点にした国内メディア、政治家や官僚、様々な既得権益構造に対して、邪悪なあの手この手ではなく、実力で勝ち上がってるというのが現状であろう。肯定性に満ちた彼女らのパフォーマンスは見て私たちは幸せになれる一方、詐欺的な人気操作その他既存のビジネスモデルが崩壊しかけている。

 

■8■BABYMETALの音楽性やスタイルに対する好き嫌いや無関心もあるだろう。人は千差万別であり、1つのものに万民が肯首するのはまた異常である。しかしその奇跡的な在りように触れる度に、在るがままを肯定し、元気づけ、新しい領域を切り開いていこうとする力と方向性に、私はいつも心動かされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


BABYMETAL断想(1)

 

■1■わたし的にはBABYMETALはミシャクジに育まれた日本古来より続く芸能の延長線上の最先端に位置するとこう捉えている。フォックスゴッドとして共有している仮想神は、現今の宗教や狂信からしっかり距離を持ちつつ、それでも決して単なる虚構を超えて、互いの神憑り的領域にも明確に呼応させている。

 

■2■芸能の最たるありようの1つとして、その演奏やコンセプトや踊りや歌は、折口信夫言うところの、自然神に対して訴えかけるものから生じた「歌」や、その身振り手振りから出た「舞い」とも呼応しており、しかもそれは過去に向いているのではなく、明らかに未来方向に向いてより進化し続けている。

 

■3■BLACK BABYMETAL(YUIMETALとMOAMETALがメインボーカルを務めるユニット)で突出する時もあるが、基本的にこの2人の形態は歌舞伎等で高級花魁の身の世話をする童女の「かむろ」を連想させる。かむろはまた前髪を眉の上で切り揃えた子供の髪型の事でもあるが、前髪揃えはそのまま当てはまろう。

 

■4■メインボーカルのSUEMETALに常に寄り添い、協和して全体を可愛らしく華やかに盛り上げるという意味だが、過去のものに対比還元させるのではなく、あの完璧な振り付けを血へどを吐くほど練習を繰り返して、可愛らしくも美しく舞台を盛り上げる、かむろの未来的な最終形態としても見て取れよう。

 

■5■ちなみに歌舞伎は男性のみの世界だが、まだ男でも女でもない女の子だけは舞台に上がることができる。これまでのヘビメタ世界にも多数女性ヘビメタバンドは存在したが、歌詞やパフォーマンスが男らしさや攻撃性や邪悪さがメインの領域に、真逆のかむろ的有り様のユニットを入れたのは斬新だった。

 

 

■6■フォックスゴッドは日本古来の稲荷神とイコールではないが、全くの別神とも言わない設定が絶妙だ。稲荷神は稲荷神社のみならず寺院でも祀られている。稲荷神社は主祭神として2970社、分祀社は32000社を数え、個人や企業で祀るものや、山野や路地の小祠も数に入れると稲荷神は膨大な数にのぼる。

 

■7■稲荷は古来より日本人にとって神聖視されてきた狐としばしば同一視されており、和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場している。狐の古名は「けつ」で、「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端で、狐はやがて稲荷神の眷属に収まった。なお「三狐神」は「サグジ」とも読む。

 

■8■背後を固める神バンドの超絶演奏も、3妃神の歌と踊りの切れっ切れ具合も、プロデューサーでもあるKOBAMETALと日本人でなければできないし踊れないであろうMIKIKOMETALの斬新な振り付けも、既存の資本主義的利権や支配に対するレジスタンスも、縄文前期から続くミシャグジ的流れの最先端である。

 

■9■なおミシャグジと呼ばれているそれは縄文前期から続いていると書いたが、ヌースで言うところの現在までの調整期6500年間の前の、覚醒期65000年(ムー・アトランティス時代)のさらにその前から日本列島では存続しているということだ。BABYMETALと共にこのこともいま1つ深く考えてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


波打ち際をしばし離れて

 

■1■一昨日松葉杖1本で最初の足慣らしの後、帰宅してから足の炎症部分がまた痛んだので、昨日は大事を取って禁足日。そして今日はコメダまで杖1本で足慣らし。まあ大体2週間でほぼ現状復帰できるパターンかな。しかし今年は3か月ごとに発作が起こっている。年4回か。季節ごとにってのは多いな。

 

■2■実は寝込んでみ動きすらできない、ほぼ1週間くらいの間はかなり楽しくもあった。2Bのえんぴつと消しゴムと上級者用の「数独」がずっと枕元にあった。日頃はあれこれと気が散って、じっくり十数分すらも数独に取り組めないのだ。別に多忙すぎるわけではない。意識が数独モードにならないのだ。

 

■3■9×9のマスの中で、論理的に開いているコマを埋めていくだけなのだが、様々なテクニックというか論理的技法がある。他の一切を考えることなく(痛くて考えられないのだが)ただ1つ、10進法の内の一桁の実数がそれぞれ9個ずつ81コマを埋めていく。私はそこに9×9×9=729の影を垣間見る。

 

■4■実は数理には実数の外に虚数と言う概念がある。数量の大小概念が通用しない、この虚数方向の領域を、私はずっと「未知数」と呼んできた。他者がこの言葉の用い方を聞いて、数学や代数の未知数と混乱しないよう、ずっと自分の手書きノートにだけ記してきたのだが、今後関数と関係してくるようだ。

 

■5■痛みの中でこの手書きのノートに書き記したものを、今読み返すと面白い。なおあらかじめ断っておくけれど、これは決してチャネリングや超常的な手法を用いての記録ではない。普通の一般的現代人としての、一日本人としての、思考と情緒の通奏低音的なところの、意識的な掘り起こしと記録である。

 

* * * *

 

「今を生きている私たちは、未来から顧みる者にとっては神や幽霊のようなものではないか?通常の身体の感覚と認識をはみ出して生きる時、私たちが今でない生を生きた者や生きるであろう者たちと、時間を超えて接することができるのではないか。そしてそれらは日本で言う神や霊と重なるのではないか。」

 

「そこで重要になってくるのは、おそらく場そのものと、通常の時間感覚をはみ出したその場の記憶。そしておそらく媒体としての水。しかし図と地のように自らを場と1つとして自覚自認し、その後で敢えて能動的に内と外を分けて世界を見る視座と体感機能いうものを、若い者ほど容易くに入れるだろう。」

 

「神や精霊と呼ばわり、聖なるもの畏れ多きものとして捉えるのは、そのようなプロセスを介す。また神や精霊を自身の生命と重ねる時、さらにもう1周その回転を繰り返す。我が入りすぎたら単に1→2→1で往復だが、1→2→3→4と進み行けるだろう。単なる一表現だが、世界は回転するトーラスだ。」

 

* * * *

 

■6■冗談のようだが、この未知数とミシャグジが交差してきそうな気がする。10進法の1から9までの3軸直交のルービックキューブ的な729ピースを、それぞれ重心に365と数値配分し、残る728ピースの全ての対数が7302なるような立体魔方陣の配置をすれば、全ての対数が730すなわち2年分の数になる。

 

■7■もしくはその差が全て364になるような立体魔方陣的な配置も可能だろう。ただし立体魔方陣なので、x軸y軸z軸のどの列の和も、また4本の立体対角線の和も3285にならねばならない。これは私たちが共通に用いている10進法が、非常に深い領域で地球の1年365日と通底しているということである。

 

■8■私たちの3次元的空間認識は、平衡感覚をつかさどる内耳の3半器官や、身体方向の前後・左右・上下認識を踏まえているが、この3次元空間における最も対称性の高い多面体としてある5種類のプラトン立体の面の合計は50、点の合計も50で、これら面点変換をする要素の合計は10進法と重なる100だ。

 

■9■これらの多面体をサイコロにして、その目の合計数を出すと、太陽暦の1年に近似する355となる。ちなみにこの355を113で割ると3.1415929203…となり、円周率π=3.141592653…と小数点以下6桁まで等しい数値を得られる。また双対立体の概念を、正4面体自身にも対応させて対性を認めると、この数値は太陽暦の1年365となる。つまりこちらも通底しているということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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