デニソワ人って何?



■2014年10月19日、英国の科学誌ネイチャーのウェブサイトで、ネアンデルタール人とデニソワ人のゲノム(遺伝子情報)が発表されたと報じた。シベリアのアルタイ山脈の洞窟で2008年に化石として発見されたデニソワ人とは、現生人類やネアンデルタール人と共通の祖先を持つと考えられる古代人類である。
 
■このデニソワ人とネアンデルタール人、そして私たち現生人類の祖先は、3万年以上前に地球上で同時に活動していた時期があり、遺伝子検査の結果、これらの種が互いに交配していたという衝撃的な事実が2010年に明らかになっている。人類の祖先は、どうやら様々な種と交わりながら暮らしていたようだ。
 
■現生人類の遺伝子の約2%がネアンデルタール人から受け継いだものだという。オセアニアのパプア・ニューギニア人やオーストラリアのアボリジニなどに限って言えば、その遺伝子のうち4%が、デニソワ人から受け継いだと考えられる。このような交配は現生人類の遺伝的多様性に結びついているという。
 
■ホモサピエンスは一属一種の極めて狭い遺伝子の中で、全動物に匹敵するような生活様式の多様性、自由度を持つが、あにまんだら氏によれば、それは人間特有の自我の多様性(個性の多様性)が、動物の種の多様性に対置できるフレームとして機能し、逆に種を統合する方向に進化したのであろうと主張する。
 
■ヌーソロジー的表現では「動物は人間の意識の反映」らしい。自分とは関係のない宇宙論ではない。私たち一人一人の中に、僅かなりともネアンデルタール人やデニサワ人(そしてひょっとしたら未知なる古代人類たちも)の遺伝的素因が含まれており、その自我の多様性が動物の多様性と重なっているのだ。
 
■人ごとではない、それぞれの私ごとでもある。霊や宇宙人のみを語る前に、メディスン・アニマルやトーテム・アニマル、自分と同時に生まれ同時に死ぬヴァリヘイルという対の生物、聖なる動物から身近な犬猫までも考え直さなくては。「あにまんだら的生物進化の全貌」の話を色々と聞いてみたいものだ。












 

カンブリア大爆発はこの今に重なる


           ()画像はカンブリア紀の海の中でのダジャレ。

■ヌース温泉合宿でkohsen氏に教えてもらった『哲学する日本』(山本哲士著)がアマゾン経由で届いた。もうすでに未だ存在として顕現していない「日本」の本質についての研究ブームはあちこちで進んでいる。表面ではなく、未だない「日本」を捉え、よく知り、そして共有すべく勉強してゆきたい。「語」の世界。

■もう一冊、アマゾン経由で入手したのはS.J.グールドの『ワンダフルライフ』だ。いわゆるバージェス頁岩に見られるカンブリア大爆発に関しての古典的となっている研究だ。ヌーソロジーを通奏低音としたあにまんだら氏の生物進化論を知得する第一冊目である。幾つになっても学ぶ楽しさは喜びだ。「体」の世界。

■サイマティクスなど、いわゆる音・振動(周波数)を見る技術が急速に伸びてきている現今の最前線「音」の「形」のさらなる先を捉え見て創り行きたい。すなわち平面的に視覚化された振動数とその比の形と動きを、立体化して視認する方向。シューマン共鳴のように球表面的に、そして内部まで。「音」と「形」。












 

オリエント工業的な未来視座

http://virates.com/sexy/2541449

■1■Kayo Pattison さんの書き込みで知った、ラブドールメーカー「オリエント工業」の製品のクオリティの高さに関する紹介画面を見て、かなり深く考えさせられた。「ダッチワイフは究極の進化を遂げた!もはや生身の女性は必要ない!?」という煽り文字は、単なる煽り以上の部分真実を内包していそうだ。

■2■ウォシュレットのような精密な技術と繊細な心遣いなどで、肌触りや質感などもかつてのイメージからは格段の進化をしているようだ。様々なタイプがあり、おっぱいの形や硬さまで選択指定できるようだ。値段は60万円台だが、様々なQ&AまでHPに乗っているところを見ると、利益第一主義からは遠そうだ。

■3■値段は658000円とか、その辺りの価格だ。顔の原型となるモデルの人間も大体想像がつくけれど、自分の好み系のものがあれば感覚が揺らぐかも。その金額を無理なく出せる経済力があったら、それにのめり込んだり難しく考える前に、ひとつあってもいいかもと思う者は少なくないのではなかろうか。

■4■自分の好きな娘に顔が似ているからそれを所有する類の者が、現実と妄想の区別がつかなくなって犯罪を犯す可能性があるのではと考える人もいるだろうが、むしろ逆の方向に統計的な針は振れるかも知れない。正直な話、私はそんなものいらないし縁がない等というつもりは毛頭なく、あれば見たいし触りたい。

■5■かつては2次元コンプレックスと言って、2次元のキャラクターを愛するあまり、生身の女の子が眼中にないと批評されることもあった。コンピュータでもゲームや内的世界にはまり込んで戻ってこれないことを懸念していた。内面の内面に落ち込んだら、もう戻ってこれないし救い難いなどとも評されていた。

■6■しかしもはや3Dコピー機が当たり前のこの時代に、このリアルに近付いてきているラブトールのこの理性とは異なる意識領域での存在感は、単に2Dから逆反転した3Dなのだろうか。まだアメリカ制作の3Dアニメの上手く説明できない不気味さを伴いつつも、1つの未来の実現可能性はないとはいえない。

■7■半歩先の未来を軽くイメージしてみよう。ラブドールを先に愛した男の子は、単に性処理だけが目的の単なる「ダッチワイフ」ではなく、その善し悪し云々以前に心の安らぎをもたらす愛情の対象ともしかねない。オリエント工業の理念もそのような方向だ。そのラブドールになりたい女性も出でくるだろう。

■8■リアルを知らない男の子も高性能なラブドールだと思ったまま、人形のふりをしたリアルを愛したり。ダッチワイフと生身の人間との両刀使いはすぐに登場するだろう。顔だけあこがれの娘の3Dコピーまでわずか半歩先の現今、草食だ肉食だ等と言ってるうちに、薄桃色的ブレードランナー的世界に入っている。

■9■1980年代に数学者と同じ名の漫画家矢野健太郎氏が、何気なく拾った人形が少女になってという、いわばラブドールに魂が入って的な漫画を描いていた。実は私はその作品の一部を手伝いに行ったことがあるのだが、朝になってみたらラブドールだったという都市伝説話は、今なら結構すぐに成立しそうである。

■10■この話の切込みは結構深いところまで思考が及ぶ。「つまらない女と付き合うくらいなら、ラブドールと過ごしてた方がましだ」とか、「こっちなら数十万円出せは新しい恋人が得られるけれど、生身の人間の離婚は賠償金だの子の生活費だのと面倒くさいし金もかかりすぎる」とか嘘ぶく奴がすぐ出てきそう。

■11■毎回洗浄して清潔な貸しラブドール業界とか、性交渉がうざいので旦那にラブドールか買って与える妻とか、もう裏ではあってもおかしくないような極近未来の男の妄想世界のようだが、実はこれは、むしろ女神の時代・女性の時代などと浮かれている女性自身には、陰謀論よりリアルに深く交差した問題でもある。







 



 

生命上陸・地磁気・オゾン層



     ……単なる科学的所見ではあるが、生命上陸にも遥かなる道筋があった。

■0■地球の誕生は46億年前で、原始大気が形成された。40億年前に海中で生命が誕生した。27億年前には地磁気が発生し、磁気圏が形成された。10億年前には浅海に藻などが進出して酸素放出が開始される。5億年前にはカンブリア爆発と呼ばれる生命体の多様化が起こり、4億年前にはオゾン層が形成された。

■1■生物は海底火山の周辺で自然に合成された有機物を利用して、さしたる進化もなく細々と命をつないでいたが、32億年前、地球上に光合成細菌シアノバクテリア(1)が出現した。このシアノバクテリアは光合成を行って有機物を合成するのに水素を必要とするため,水を分解し廃棄物として酸素を放出した。

■2■27億年前、鉄やニッケルでできた地球の核がゆるやかに流動し磁気を作り出すようになった。結果として地球が1つの磁石であるかのように,地球を磁気のバリア(ヴァン・アレン帯)が包むようになった。この強い磁場に囲まれ、地球は生命に有害な荷電粒子(主に陽子・電子)から守られるようになった。

■3■ヴァン・アレン帯は地球を2層構造で360度トーラス状に取り巻いている。最も層が厚いのは赤道付近で、極軸付近は極めて薄い。内帯は赤道上高度2〜5千kmに位置する比較的小さな帯で陽子が多い。外帯は1〜2万kmに位置する大きな帯で電子が多い。電子は太陽が起源、陽子は宇宙線が起源とされている。

■4■まだ致命的な紫外線は地表まで到達していたが,今まで強烈な太陽光を避けて深海の暗黒の世界にいた生物が、紫外線の届かない海面近くまだ進出し、太陽エネルギーを利用して光合成をするようになった。地球磁気圏の誕生と光合成生物の浅海への進出は地球の歴史として最も重要な出来事の1つである。

■5■紫外線は生命情報であるDNAを破壊してしまうので、陸の上は長いこと生物の全く存在しないところだった。現在よりずっと多かった初期の大気には、現在の何十万倍もの量の二酸化炭素が含まれていたが、その中に酸素は全く存在しなかった。最初に酸素が大気中に放出されたのは、約20億年前である。

■6■35億年前にラン藻植物による光合成が始まって以来、それまで産出された酸素はすべて海中の鉄イオンと結合して酸化鉄になり、鉄鉱石として海底に蓄積され続けていた。この鉄イオンは地球が形成される材料となった隕石に含まれていたものであり、次々に放出れる酸素により、やがて使い切られてしまう。

■7■約20億年前、海中で飽和状態に達した酸素は空中へ放出されるようになった。この酸素は大気の上層部、高度約20〜50kmの領域でオゾンとなり、オゾン層として地球全体を覆った。オゾン層は紫外線を吸収する働きを持つので、地上でも生物が安全に生活できる環境が整った。約4億年前の出来事である。

■8■ただし初期はまだ酸素濃度が薄いため、酸素を光解離させる紫外線は地上近くまで届いていた。したがって先ず最初に高濃度のオゾン層が存在したのは、成層圏ではなく地上付近だった。そして酸素濃度が上がると共に、紫外線の到達できる限界高度が高くなり、これに伴いオゾン層も上空へと移っていった。

■9■生物の上陸が開始すると、それまでむき出しのはげ山状態だった陸地にやがて古代の森林が形成され、陸地の景観は大きく変化していくことになる。5億4千万〜5億3千万年前のカンブリア爆発や、4億年前の両生類の誕生と陸上進出に関しても、殺人的紫外線を低減するオゾン層との関係が考えられる(2)。

■10■約5億7500万年前から始まる古生代のカンブリア紀になると、生物は爆発的多様化を開始する。現在の動物の体の基礎構造ができあがったのもこの頃である。この多様化の中で初期の無脊椎動物から魚が出現した。さらに1億年後には生物が陸上へ進出し、やがて陸上で様々な進化を展開しゆくことになる。

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1)このシアノバクテリアが最初の酸素発生型光合成生物かどうかは議論の分かれるが、確かなストロマトライトの化石は27億年前のものである。
2)ただしオゾン層とカンブリア爆発の関連性はまだ完全には未証明。












 

人間の物語、人間のドラマ(4)



■1■世界中の神話の基本的ストーリー展開は、様々なパターンがあるのではなく、基本的にたった1つの物語展開であると学術的に認識されている。ゆえに有名なハリウッド映画や人気のある物語や古典も、意識的であるなしに拘らず、主人公の成長プロセスやストーリー展開とも重なっているということは既述した。

■2■この基本的構造は人間個人の生物学的・心理学的・社会学的成長とも重ね見ることができるし、種としての人間の社会的・文明的成熟とも相似形として見て取ることができる。従って人間型ゲシュタルトの骨格構造であり、これを無視・否定するのではなく熟知することによって、超えていく方向が見い出せよう。

■3■人間として共通の「原質思念」と呼ばれる領域を念頭に言えば、精神異常もまた一生や長いスパンから捉えれば、日常から異常に外れる旅をして超正常として帰還する、人間の構造的原型パターンとして捉えることもできる。ただし精神や意識の変容旅は完結しない物語に似て、必ずしも帰還できるとは限らない。

■4■生物学的という表現の中には、胎児の受胎から出産までの時期の様々なドラマや展開にも重ね合わすことができよう。そして物語の定型性自体にすでに不満を持ち、何らかの新しい未知の展開が在り得るのではなかろうかと真剣に思うように、現代の人間はすでに人間という基本の物語構造枠からはみ出している。

■5■現代の人間の人間型ゲシュタルトを胎児のドラマに重ねて言えば、月満ちて時至り、全世界である子宮の収縮が始まっているのに子宮口はまだ開かず、現状維持も過去への退行も叶わぬ絶体絶命の状態とも見て取れる。さらにまたこの現実世界もまた第2の子宮であり、そこで守られ育まれて来たとも表現できる。

■6■カンガルーの育児囊は、反転した子宮とも表現される。わずか3週間の妊娠期間を経て生まれたカンガルーの子は2.5cmほどで無毛で目も見えない。母親の腹部を這い上がって育児囊に入り、乳首と合体して成長する。より高度な胎盤哺乳類は子宮内で長く成長するので、出産後はすぐにほぼ自力で生きていける。

■7■人間もまた胎盤哺乳類に括られているが、他の多くの動物たちに比べて独り立ちするのに要する時間はケタ違いに長い。外見も行動も大人らしくなるのには20年を要する。社会的教育や保護がない野生で生活すると、人間として自立できない。第2の子宮とは社会であり、人間型ゲシュタルトそのものなである。

■8■もちろんそれに重なる神話的構造パターンは社会や個人の中にも存在する。そして神話の子宮の中に留まらず、そこから生れ出る者をウパニシャッドなどでは「2度生まれの者」と呼ぶ。社会や個人の全体を否定することなく、社会・教育・習慣・経済・文化などから解放されて、新に再生する者のことである。

■9■人間が、そして人類がその英雄譚である旅において真に「2度生まれ」するならば、その物語構造自体を超越するのだ。もちろん流産する可能性は残る。子宮を否定して生れ出る者はいない。必要以上に難解な理論はいらない。現状を現状として肯定した上で、自らが本当に好きなことをすれば良いだけなのだ。

(その5に続く)












 

人間の物語、人間のドラマ(3)



■1■ジョセフ・キャンベルは世界中の神話構造には細部に渡る相似性があり、「英雄の旅」と呼ばれるいわば1つの母物語が存在することを見い出した。人間が聞いて自然に理解でき、しかも個人の人生とも重ねることができるもの。彼はカール・ユングが原型と呼ぶ、常に存在する共通テーマを参考にした。

■2■その構造に対応するものは既存のものでなく、新しく作ることも可能であろう。ドラゴンが宇宙人に、蘇りの妙薬がLSDに、守護霊が未来人に。自分の出自が前世では王家の一族だったものが、何々星からやって来た存在というように。それを否定するつもりはない。ただ構造と比喩の混乱は避けたい。

■3■特化した趣味や教養がある一部の者のみに限らず、構成も内容も良質であり広く傑作として認知される映画やドラマや漫画などの多くは、上述した構造を踏まえている。独善や偏愛に流されず、それでは進歩や進化がなくてつまらないと主張する者は、この道筋に沿ってそれ自体を超えて行けるだろう。

■4■良質の物語は普遍的なテーマを内包するので、集合的な無意識に共鳴させて、個々人の本質的な問題意識を励起する。「生きるとは何か?」「4語の世界とは?」「運命とは?」「自分はいかにして充実した人生を送れるのか?」等など。ハウトゥーはないが、自分自身を英雄譚に重ねてみる術は在る。

■5■作品を鑑賞する側から製作する側に回って、この普遍的な構造やテーマやプロットなどを、有能な映画台本や漫画のネームを参考に見て行こう。先ず主人公は最初、明白な欠点を持っている。主人公が1つの目標を達成しようとする過程でその部分に変化変容が生じ、見る者はそこに本能的に共感する。

■6■私たちは漫然と生命を自ら食い潰し、感謝も慈愛も発露しないまま死に向かっているのではない。欠点を持つ主人公の葛藤と努力に共感するのは、自らの欠点と苦境を乗り越えて、人間的な完成または霊的成熟によって人間そのものを超えて行く存在であるという、深い無意識の内の「知」があるからだ。

■7■主人公が憧れや夢と共に抱えている自らの欠点は様々だ。自己中心的、偏見、無知、怠惰、引き籠り…。物語はすぐに、主人公は安穏と過ごすことができない状況に陥る。自分が変わらぬまま様々な手段を試みて結局行き詰る。自らの欠点を直視し、それを乗り越える「英雄の旅」に乗り出す決意をする。

■8■幾つかの試練や奮闘の末、最終的に究極の敵と対峙する。それは心理学的には自らの欠点と対をなすものでもあるが、自らを奮い立たせてそれに立ち向かい、絶望の内に1度死ぬ。しかし試練や奮闘の中で得た知識や洞察によって蘇り、勝利する。世界が変容したのは、主人公が自らを超えたからである。

■9■そしてフィナーレ。カーテンコール的な大団円。物語を見聞きするものも物語と同化する。そして無意識レベルでは、世界は1つの舞台であり、自分も大きな生命という物語の1俳優であることを想起する。私たちは日々この物語構造のフラクタルの中に生きている。全てがハッピーエンドとは限らない。

■10■私たちは1つ1つ、1日1日の人間の物語に能動的に参加して、それら様々なレベルの物語たちを完成させ、良い意味で「人間の物語」を終わらせていくという象徴的な生き方を人生に重ねることもできるだろう。もちろん参加の義務はない。繰り返し自他を傷つける、不安で退屈な日々でないならば。

(その4に続く)












 

人間の物語、人間のドラマ(2)



■1■1856年に『比較神話学』を著したマックス・ミュラーは、古代の叙事物語間の相似性に気づいた。そしそして1949年に『千の顔を持つ英雄』を発表したジョセフ・キャンベルは、異なった時代の世界中の神話を分析した結果、みな相互に相似性を持つことを発見している。彼はこれを「英雄の旅」と呼ぶ。

■2■そしてこの共通する物語は、私たち個人個人がもれなく、未知と混沌の中をおのれの限界と共に日々生きていく物語であり、また進化と超越のための道筋でもあるのだ。優秀な物語作者はそれを理解していようといまいとも、この「英雄の旅」の物語構造に沿って話を紡ぎ、そして成功しているのである。

■3■今でこそ「どうしたら漫画家には成れるか」などのハウトゥー本や入門書が少なからず出回っているが、私が遥か昔最初に手にした「マンガの描き方」は手塚治虫その人の本だった。今覚えているのは、画面の構図を3角形で安定させるということと、4コマの起承転結が物語展開の基礎だということだ。

■4■空間(平面)の3と時間(展開)の4。暗示的な3と4の問題でもあるが、物語構成においては起承転結の4に対して、序破急という3の構造がある。序破急は、日本の雅楽の舞楽から出た概念であり、古典的な芸能や脚本の構成のみならず、映像分野の3幕構成や文章の3段構成ともほぼ同義語である。

■5■ハリウッド映画の脚本のほとんど全ては、この世界中の神話に共通のパターンを踏襲している。わずかにもしくは大胆にそのパターンを外すと、現実的に興行成績の減少に反映する。映画の台本は設定・葛藤・解決、もしくは3幕であり、基本的にそれは1ページがほぼ1分に当たる120ページ程である。

■6■現代ハリウッド映画の脚本は3幕構造として捉えられるが、基本的に第1幕、第2幕、第3幕が30、60、30ページであり、また30、60、30分である。しかも第2幕のちょうど真ん中辺りに主人公にとって偽りの勝利もしくは敗北が置かれなければならない。つまり起承転結とほぼ等しい4分割構造なのだ。

■7■例えば運動や音楽のテンポは1,2,3,4、2,2,3,4…と繰り返されるし、月齢や円環の分割も4相や4直角に分割される。ハリウッドの脚本公式のみでなく、私たちの歴史的出来事や、民族や国家、そして個人の周期とも重なる物語的構造を、何らかの無意識レベルで知っていると思われる。

■8■26000年の1/4である6500年、また4倍の104000年、1年の4分割の四季、1日の4分割、マヤの赤白青黄に対応された4日と4方向なども含め、人間が以前人間であるかぎり、この物語の構造は一貫して変わらない。では次はこの物語構造の内部にある、変わらない要素・象徴・展開等を見て行こう。

(その3に続く)

人間の物語、人間のドラマ(1)



■1■通常、物語とは作者の見聞や想像を基礎として、人や事件など特定の事柄の一部始終について、散文で語られたものや書かれたものを言う。文学作品の1形体であり、狭義には特にそれらのうちの平安時代から室町時代までのものを指す。ただし日記や随筆、近代の私小説など自照的なものは含まれない。

■2■ドラマ(Drama)とは、登場人物の行為・行動を通して描かれる芸術表現の一形態。登場人物が何らかの目的を持ち、その達成のために行動を積み重ねる過程で、様々な障害や葛藤に直面する。最終的にそれらを乗り越えるか否かが大きな山場となる。こういった過程そのものを、ドラマと呼ぶ場合もある。

■3■叙事詩とは一般的に、民族の英雄や神話、歴史や重要な出来事を、韻文の形式で口承もしくは記述された物語のことで、ある程度の長さを持つ。『ギルガメシュ叙事詩』、『イリアス』、『オデュッセイア』、『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』など。日本には厳密な意味での叙事詩は存在しない。

■4■現代においてはこのドラマ的な要素を、主に映画やTVドラマが担っている。本来演劇や戯曲を指していたが、今では葛藤や因果関係のない演劇作品や戯曲も数多有り、それら全てをドラマと呼ぶのは不正確である。また現実の人物がこのような状況下にあること指してドラマティックと呼ぶ場合もある。

■5■さてここでこれらの物語、ドラマ、叙事詩のほとんど全てには、明確に共通の構造が存在する。その構造は世界中の民族的な神話にも同様に見て取られ、また民族や国家の興亡から個々人の一生とも重なり、さらには精神的危機や異常とそこからの帰還とも相似形があることは、あまり知られていない。

■6■基本的にそれは民族や人種、時代や世代に関わらず、人間であるという点において同様の構造を有しているのである。俗に「大衆はすでに自分の知っているものを好む」と言う。基本的に人間は同じ物語に少しのひねりや部分的変奏を施したものを繰り返し見たがる。これは商業的成功の基本でもある。

■7■創作者が独自の創造性を、作品にして広く世間に問うならば、それを太古から確定している話の定型構造を通して表現しなくてはならない。そしてそれを通して、少数者の趣味や美学を満足に限らず、その構造を破壊もしくは超越することができたならば、それはもう人間の物語・ドラマの構造ではない。

■8■商業的成功や他者の意識操作をする者の一部は、この人間の物語・ドラマの基本構造を知っている。しかしそれらを目的とするのではなく、人間として人間を超えて行くために、それらの構造を知らぬまま拒絶して進むより、能動的に知り、それら定型を楽しみつつ超える道を模索することもできるのだ。

(その2に続く)












 

人間は地球にとっての触媒なのか


 
■1■シンプルな人間としての「主体−客体」もしくは「私とあなた」という自己他者問題を元に、生物学的にもこの自己−他者の問題を対応させてみよう。先ずは親水性と親油性の2分子膜が水中で自然に閉じて液胞になったことが、生命の基本構造となったと同時に、内と外の2つに分離した最初である。

■2■原始地球における化学反応が内と外を生じる液胞を創り出し、液胞がピロリン酸塩を生み、ピロリン酸塩はケト酸を、ケト酸はアミノ酸を創り出した。そしてアミノ酸は核酸を作り、核酸が遺伝子コードを創出した。そしてさらにこのような化学物質が集合して最初の細胞を形成して最初の生物となった。

■3■以後、断続的ながら綿々と生命の再生産、もしくは進化を伴った自己複製を繰り返した。しかし海水の中に膜で隔てられたとは言え、内部と外部は緩やかに繋がっていた。この場合の自己複製の自己とは何であろう。そしてさらに生物は、自らの内に生命の場でもあった海を包み込んで上陸を開始する。

■4■上陸した動物が大気の中で内部に海を自らとして保ちつつ生きているが、自分自身とそうでないものを区別し認識する抗原抗体という問題がある。しかし同じ物質でも反応に個人差があったり、過敏すぎてアレルギーを生じるケースもある。自他を区別し、認識するのは生物学的システムでも存在はする。

■5■単細胞生物が融合して多細胞生物となる場合の自他同異認識はどうなってた至のであろうか。いやそもそも受精卵という異物の融合からして不思議であるし、母体に対する胎児そのものが寄生する異物であるという見方も成立する。他者とは未知の別名でもある。未知に対する敬愛ともつという大前提。

■6■自己言及は論理階型の異なる2つの視座から成り立つが、下位からは上位は自己として認識できていない。それなりに表現するとしても未自己である。これが4人称問題として展開すると、小さな(普通の)1人称に対して、大きな(先祖や多くの他者をも内包する)1人称もまた同様の構造を持つ。



■最近「人間は地球の生命総体の流れからはみ出している<触媒>である」という面白い考え方があることを知った。何の触媒かと言うと、生物の進化や絶滅のために、ゆったりした安定波を過度に増幅して、通常の恒常性を砕けさせたり新しい波を起こさせたりするためのものとして存在している、地球の触媒。

■人間そのものもそのさまざまな触媒的在りようの表れの1つのカタチでもあり、人間自体も絶滅か進化かみたいなところまで過度に自らを追い込んで、相反転することにトライしている最中なので、大きな流れから見ると全てが肯定される。そして相転換したもの(例えばヒト)が人間にとっての他者…みたいな。












 

イルカのおでこのメロンパン



■1■私はイルカが猫と同じぐらい好きだ。ということは、この上もなく飛びっきり大好きだという大前提の、恥ずかしげも何もない宣言でもあるのだけれど。さてハクジラ亜目のクジラ(イルカ)の頭部のほぼ中央にはメロンパンのような脂肪組織ある。この組織は実際にメロン、もしくはメロン体という。

■2■完全には解明されていないが、このメロン体の機能は、反響定位(エコーロケーション)の際に音波を集中する器官だと考えられている。大気中のコウモリが超音波で空間認識をするように、イルカは水中で超音波を含む様々な音を発し、その反響をソナーのように捉えることで空間を認識している。

■3■イルカは頭の上に鼻の穴があり、その奥に猿の唇とも言われる隙間がある。その狭いすきまに空気を通すと、ちょうどおならのように音が出る。それを頭蓋骨やメロンで集めて前方におでこから発射するのだ。その反射音で空間認識したり、対象の質感や材質を区別したりする能力がエコロケーションだ。

■4■目標に通常音を浴びせても素通りするけれど、超音波だと魚の浮き袋などで反射して戻ってくるので、光の無い夜や濁った水中でも世界を認識することができる。しかし私は人間が水中に入ったら、血流や脳波その他の情報から、その時の喜怒哀楽やどんな生命姿勢なのかまで分かるのだと思っている。



■5■人間の可聴帯域の20〜20000Hzより広域の音を自ら出せるイルカは、知覚認識の方法も異なっている。イルカの喉には人間のような声帯はないし、耳の穴は耳垢が詰まって完全に栓をされている。それでも音が聞こえるのは、反射音を下あごの骨でキャッチし、それを耳骨で解析して認識するからだ。

■6■20余年ほど昔、小笠原沖の海中でイルカに囲まれ、みんなに一斉にピッと音波を発せられたことがあった。「ああこのまま息つぎもせずに、一生海中で幸せに生きて行ける」という実感が自然に湧いてきた。まあ今思えば幻覚とも言えるけれど、あの至福に満ちた恍惚感があったということは忘れない。

■7■Melon-headed whaleというイルカがいる。直訳すれば「メロン頭クジラ」とでもなろうか。これは和名でカズハゴンドウというイルカ種である。人間でも「私の頭はメロンパンだ」などと言う人がいるが、頭が軽いという意味ではなく、イルカのようにしなやかな在りようだと解釈すればハッピーだろう。

■8■イルカはメロンで共鳴・増幅すれば様々な音波が出せる。これをビームのように用いれば魚は瞬時に気絶してしまう。しかし人間に対してはこれを凶器としては使わない。私たちの額もメロンパン内蔵かもしれない。純粋な意識を絞り込めば、もしかして額から慈愛ビームが発せられるかもしれないなあ。



■3/31に出された、オランダ・ハーグの国際司法裁判所の判決で、日本が現在行っている調査捕鯨は違法であり、今後実施しないようにとの判決が出た。控訴は不可。この問題は現在日本の表に出で来ない統治の部分まで、もはや上手く操作できなくなってきている現状のフラクタルな照応のようにも思える。

■何はともあれ、逆に自らの額の中に入っている、見えないメロン体の存在を隠し続けてきた(もしくは自分でも気付かずにいた)少なからずの人たちにとっては、ファンタジーとして朗報と解してもいいかもしれない。慈愛ビームを出してもOK。2元論理と言語・思考の世界から自由に遊離遊泳してもOK。

■20数年前にあったイルカブームの時、「自分に対応する自分だけの対のイルカがこの地球の海のどこかに必ずいる」というような表現があった。トーテムアニマルとか、対の魂とか、高次の胎盤とか、様々に表現してきたけれど、もはや自分がイルカでもあることを自分に許してもいい時のような気もするな。

()画像は3点ともネット上のものをお借りしました。














 

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